ならば?スタグフレーション(インフレなのに不景気)は物価は上がれど個人所得だけが上がらない。必然的に買えていたモノが買えなくなる。……そんなこと、計算が得意な方々なら先刻ご承知の筈だったでしょ?
『自衛するしかない』……とある記事の著者は書いている。ますます『自己責任論者』が増え冷淡さに拍車をかける時代の到来だぁ!ってな主旨である。
過去三十年の間に実際にあった激動期、大変動期を振り返ると……そうでもないよ?……と僕は思ったのである。
阪神、東北、熊本と続いた大震災のとき……当事者とその悲惨さに面した人達は『人間の当たり前』に立ち返り……『助け合った』じゃないか?……と。
行政はますます自己責任論に逃げ込みひたすら自分と組織の保全に窮々とする様になった。
しかし一方で、現実に弱者となった人々は寄り添い助け合った。
何よりそれまでの時代に例を見なかった若者達が『行動し様々のNPO』を立ち上げ救済のために『行動を開始』している。
コレ、太古の昔からこの国の人間の『当たり前』なのである。
数学的に、物理学的に『非常識、当たり前じゃないこと』を『当たり前の前提・常識』にして無自覚に生きてきただけなんじゃね?……と僕は思う。
我欲のみを『正当化し目的』として、利のために使い込めば数学的、物理学的に限界がくる。
大抵の人は…知ってたのにね?ソレ……当たり前の話。富裕層は別にして、んじゃなんで多数派の人達まで深刻に考えなかったのか?
『ソレは今じゃない?』とタカを括ってたからである。話は分かるけど?ソレは今じゃない!という根拠のない自信のみだったのが本当のところだと思う……。そんな『当たり前モドキ』のホントの正体が見えてきた時代……それが今の時代。
富裕層もまたカネで尊敬を集められるという『終わりつつある幻想』に未だにすがり付く人多く……聞かれもしないのにカネ持ってんどー!的に日々SNSに登場なさってる……。
末法思想に覆われた平安末期の時代……多くの庶民には餓死の危機が日常的に隣にあった。
売春しなきゃ二人の幼子を育てられないという女の悩み。地獄への手形を集めてる様な日々に恐れ慄く女の心である。
浄土宗の法然は『今しばらくそうすれば良いではないか』と肯定した。子供が育ち、そうしなくても良くなれば止めれば良いではないか?と応えた。
時に畜生のごとく汚くもあり、時に仏のようにキレイでもある『人間の当たり前』…。
この法然の言葉こそ『中途半端な人間の善悪両面の全肯定』だと思う。
自己責任!と人を苛烈に責め苛んでる内は、その人間は余裕をカマシてるだけである。
明日は我が身の『明日が今日になる時』……その人自身が『人の当たり前』と出会えるのかもね?……そう思いながら記事を読んだ。
先般の震災や派遣切りのとき……当事者達もお互い寄り添い、想像力豊かな若者達は自分の感性で当事者同様に心痛めながら、対岸に渡り『カヤの内側に入り』……彼等は『人の当たり前』を極めて自然に実行したのである。
今苦境に喘いでる人達へ言いたい!!
『何をしても、どんなに惨めで不細工でも生き抜いて欲しい』……と。
助けて!!と声を上げて欲しい。
人は…人によって救われ、人との関わりによって幸せを得るのだから……。
カネに浮かれ舞い上がり過ごしきたこの国。
今やっとスタグフレーションの波が勘違い人間達を、幻想から呼び覚ます時が来ているのかも知れない…。
人が人を追い詰める、そんな不自然には力がない。元来人の群れは『助けあい補完し合う』からサバイバルしてきたのである。
今一度見付けて欲しい……。
自分のホントの心は何を望んでいるのかを?
ソレさえ見付ければ人生は大成功だと思う。
『カネという奴の正体』が露わになり始めているから……今なら、今こそホントの『人間の当たり前』が分かると思うのです。
ある意味……今の流れはこの国が目覚めるチャンスなのかも知れません……。