サンチョパンサの憂鬱

サンチョパンサの食卓 (74)被害者サロンに暮らす人々

あと僅かで還暦に踏み込むといった年代を筆頭にそこから下の年齢の人達に急に増えたのが『疑似被害者族』とも呼ぶべき人種である。

別に今更今頃の若いモンは?なぁ〜んて不満を述べるつもりは無い。

単に人品としての劣化じゃなく、職務遂行における『常識の基礎体力』が決定的に脆弱なのである。
例えば、たった一カ月でも30日に渡る売上、その内訳、利益率、昨年対比率などなどを、丹念に記録を積み重ねなきゃならない。

真面目に実力を伸ばす事を狙う時……そんな数字を見ることは必要不可欠となる。

例え料理の世界でもその基本は変わらない。
格好で言うんじゃなく冷たい数字の羅列からポーンとロマンあふれるイメージのヒントが飛び出してきたりするのである。

だからこそそんなの地味な作業を『基本』と言うんだけど。
パソコンでやろうがノートに手書きであろうが自分の仕事に真剣な人は演っている。
プロの世界なら当たり前のレベルの話である。

久し振りに凄く長い前段となってしまった。

自分の義務レベルの事をこなしもせずに、イキナリ『被害者を演じて』そんな自分にOKを出してしまう人達……。
そういう被害者サロンの住人達は『やらなきゃ始まらない初歩的基本』を必ず怠るものだと言いたかった。

そんなモチベーションで日々を生きるから、致命的欠陥、災厄的仕事をして大迷惑を引き起こす。
そんな時も『自分の致命的欠陥』に気付く深掘りはしないのか?出来ないのか?

だから被害者サロンの住人は、大迷惑を繰り返してしまう。
そしてその度に『より大変な被害者になっていく』のである。

昔むかし、若い頃『コツコツやれ!』なぁ〜んて言う奴は大っ嫌いだった。
今になって『コツコツ演るしか無い基本』って奴の大切さを思い知った。

団塊ジュニア達の立ち回りは器用でスマート。
しかし細部の基本的ゾーンに『コツコツがない』から結局最後には『モノにならない、形にならない』といった結末を導くことが多い。

そしてご本人さんの『その罪の意識』はとても希薄で、今度は『ちゃんとやります』なぁ〜んて宣ってその問題を自ら終了させてしまう……。
迷惑を被った側の人間はその度にやるせなくなるのである。

結局は『無関係となって関わらないこと』が唯一の被害防止策となる。
団塊の世代の罪は様々あれど……この罪深きジュニア達を生産した事が『彼等の最大にして最悪の大罪』かも知れない。

学歴稼ぎに大騒ぎした初めての年代だったけれど……『文化的人品の分野』に彼等の興味は及ばなかったんだね?
彼等の残した『作品達』を日々目にしてはそんな事を思う様になった。
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