サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……自分に出来ること・出来ないこと

過ごし来た時間の殆どが回り道を歩く事だった?と言っても良いモノだったと思う……。

その回り道から自然と自分に入って来た『人間ってそういうもんだよね?』って感覚が不思議なことに抹香臭いお寺の坊主の説教と妙にシンクロするようになった。

回り道は僕に出来ることと出来ないことを教えてくれた(正直に言えば……思い知らせてくれた)気がする。
まだまだ枯れる気なんぞサラサラ無いけれど……。

悩みの大半は……幾ら自分が思い煩おうと一ミリも変える事が出来ないことばかりだった。
中でも……僕のエネルギーの殆どを奪うだけ奪ったのは『人の心』だった。

見せかけの日常の下で……自分がヨシ!とするその人の今後とぞの人自身が望む今後は一度も交差することは無かった……?

今となってはそんなの……当たり前の話だけれど
当時はそれが単なる『自分の思い込み』なんて分からなかったのである。

その人間がせっせとパチンコ屋さんに通っては作る借財(横領金)を補填するおカネを稼ぎ出すことに『夢中』だった……。
支払い前の取引先のおカネだから仕方なかった。

どれだけシンドイ思いでそのカをネ作ったと思うんだ?……なぁ〜んていう僕の思いなんぞ全く関係なく彼の心はヒタスラ……パチンコを打つ事ばかり望み続けていた……。

それも当たり前の話。
彼は依存症だったのだから……。
彼の心は彼だけのもの。彼にしか変える事は出来ないことだった……。

僕はなまじっか頭が回る…。
仕事に関する技術的な事には並以上の対応力があった。
自惚れではなくセンスも悪くはなかった。
彼の起こす問題が大きくなればなるほど大きなビジネスで稼ぎ出す……という悪循環。

あろうことか?僕の絶えぬ窮状は……人によっては、見方によってはビジネスの成長とか?成功?に映ることもあった。

自分の収入で彼のあけた穴を埋める内に僕の見せ掛けの年収が一千万を超え続けたことも『そんな見方』を助長したのだろう。

すると……誹謗や中傷、あらぬ風説の流布なんかも時折聞こえ来る様にもなった。その噂の火元が全くの他人なら良いけれど……不思議なことに自分サイドの人間と信じてた人も絡んでいたり……。

これまた『人の心の不思議』だった。
不意をつかれた様なショックである。
『何故?……何故?』と狼狽することも数限りなくあった……。

愚かな事だけど……そんな火元の人間達との関係も中々切る勇気がなかった。何か?コチラに落ち度でも?……と修復を試みるなんて弱気に流れたことも何度もあった。

今思えば……信じている人間をいきなり背中から斬り付ける様な人、その心がこちらの望み通りに綺麗なモノに変わることなどあり得ないのに……。

当然そんな人間達は…僕の態度を『弱気と値踏み』しただけだった。ほとぼりが冷めたら何事もなく善良な笑顔でやって来て……またぞろもっと熱い煮え湯を飲ませてくれたものだった。

如何な愚かな僕も学習せざるを得なかった。
距離を置き、そんな人間達に取り取り合わなくなった……。

そんなこんな経緯を潜り抜け僕はやっと『僕のホントの心に従う』という行動原理を手に入れる事が出来たのだった。

人の信頼を安易に上げ下げし簡単に手のひらを翻す人達の『寂しい心』や『抑えきれない嫉妬心』が長い時間を通してやっと見える様になった。

あらぬ誹謗中傷を繰り返す人の心の中に蠢くそんな深い哀しみ……彼等もまた深く傷付いているのだと……今なら分かる様になった。

コロナ禍によって衣料品の仕事はスッパリと諦める事が出来た…。
出来る限りを尽くせた……と僕の心は自分の決断に100%満足だった。

自分に出来ないことがある……ソレが見える様になるに連れて『自分に出来ることが無限にあること』も見える様になる。

『自分の悪口・陰口』なんて気分の良いものじゃない。
しかしソレを口にせざるを得ない人の哀しみに思いを馳せれば……頗る効能が高い心の鎮痛剤となり……やがては自分の勇気となる栄養剤となるのである。

人は……自分の出来ることを為して生きていくしかない。
ソレを知ると勇気が湧かないか?
自分が出来ることをしさえすれば生きて行けるということなのだから……。

これこそが『己事究明』ってことなんじゃね?



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