サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……無いものネダリは人の常?

浮気調査が数百組に及ぶという探偵の記事を読んだ……。

年齢立場関係なく殆どの浮気カップルに共通しているのは『純情極まりない愛情表現の時空に在ること』だと……。

何故?今で言うラブラブから結婚して時が経つとお互い無関心となるのだろうか?と彼は述べていた……。
浮気となればあんなに純情になれるのに?


特別感はそれが続けば当たり前となり日常化する。日常は落ち着いた安心をくれるけれど?同時に『自分ならでは!』、『自分だけという選民感覚』を遠ざける様になる。

自分の状況に、『取り立てて何もない』という環境は退屈極まりないけれど……心波立つこともない平穏な時間でもある。
その有難味は失って初めて自覚する事になる。

浮気カップルが散々周囲をざわつかせた挙げ句、んじゃお好きにどうぞ!となって結婚してみると?……あれ程の密月振りが色褪せていき
毒を吐き合う日常を迎える?そんな流れもまたよくある話である。

『アリ難い状況』だから人は熱望・切望出来るんだと思う…。
自分の心に、自分の手にしたい!……という状況が人の心に火を付ける。

それもあと少し手を伸ばせば?届くかも?なぁ〜んて状況が非日常を夢見させるのである。

浮気なんて……そこにセックスの介在の有無なんてガキじみたファクターを取り除けば……限りなく100%に近い人間が『心の中では実行している』んじゃね?……と思う。

人は一体……、何を以て?真実?事実?実態?として生きているのか?
人の世に紋切り型の正義を語る人は多いけれど、『自分のスタンス』なんて一皮剥けば……とても頼りなく曖昧模糊として何時もふらついているのである。

日常に馴染みヨダレを流して眠っている様な人は……浮気なんて非日常を生きてる人間を許せない気分になる。そして口を極めて罵ったりなんて挙に及ぶことも多い……。

こんな人は正義とか?倫理なんて実は自分の中に欠片もないモノを携えて(それを頼りに)非難の言葉を投げ付ける。
その動機?は大抵『自分の嫉妬心』であることに気付けないからである。

日常から脱出して非日常の冒険を満喫している人間に対する強い嫉妬心……。

丸山健二の何かの小説に地方の町役場の職員の男の放浪への熱望を書いたものがあった。
地方の街のパチンコ屋に流れ着いた男に対する強い憧れを描いたものだった。

また、彼の作品の『雨のドラゴン』では病気で寝ている青年が犬を連れた漂流者(ドラゴンと名付ける)に強く憧れる。
しかし自分が健康回復した途端……雨の中をずぶ濡れで街を追われる彼等がとてもみすぼらしく見えるのである。

『今の自分の欲求』って奴は…『何を背景に浮かび上がっているのか?』……ソレを自省の視線で見極めないと……自分の立つ瀬ってものが何時も揺らぎ続けることになるんだと思う…。

『無いものネダリ』して例え手にいれたとしても……ソレは単なるガラス玉だ!となり以前の日常に対する里心に絡め取られる?そんな足元が定まらない生き方になるだろう。

人多く人を語るけど……自分のホントその『本心を聞き届ける事が出来る人』ってとても少ないのである。
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