にいさんがしかられるので、
さっきからわたしはここで、
そでなしのあかい小ひもを、
むすんだり、といたりしてる。
それだのに、うらの原では、
さっきからしろ取りしてる、
ときどきはとびもないてる。
となりの子ども
そらまめむきむき
きいていりゃ、
となりの子どもが
しかられる。
のぞいてみようか、
悪かろか、
そらまめにぎって
出てみたが、
そらまめにぎって
またもどる。
どんなおいたを
したんだろ、
となりの子どもは
しかられる。
*私は長屋風の家で育った。
隣近所の息づかいが聞こえてきた。
長期の休みともなれば、
歳の異なる子や
異国の子たちに混じり、
毎日山野を掛け回り
時には喧嘩したりが
永遠につづくと思っていた。
しかし、
時々響いてくる、
地鳴りのような大人の声は、
小さな日が陽炎のように
消え去ることを
告げているかの様であった。
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