原田、秋谷栄之助一族郎党が 池田先生の学会を殺人疑惑カルトマフィアにしました‼ 創価学会、公明党、SGI 本部は 邪教です‼カルト殺戮まがいマフィアです‼日寛教学とアキヤ栄之助、石田次男、が原因しています‼日寛教学の六大秘法は邪説です、カルトの始まり。御祈念文についての考察
原田邪教創価板の勤行要典に変わってから、更に二度目の変更で「某過去遠々劫現在漫々の謗法罪障消滅」の文が削除されてもうかなり長くなりますが、簡単に言えば
その理由は次の4つ
1)世界宗教と改名し、全ての宗教とできるだけ妥協しようとし、浅く分かりやすい教えだけを前面に出そうとしている今の学会には、この様な三世の生命観を
彷彿とさせる深い視点はあまりにも宗教的すぎてそぐわない。(まあ、信じていないという事でしょうが・・)
2)過去遠々劫などという証明のできない世界を説くのはもう時代にあわないし、基本的にそれを信じる、信じないは根幹の問題ではない。
(この国のリーダー達は、釈迦も「無記」と言って、永遠の生命の有無を質問した弟子にはっきりした答えを与えなかった、、、という話の方を好む。)
3)現代の「謗法」とは日顕宗であるという事で、学会の「謗法」の定義が変わったこと。
(現実に私は2年程前にある2人の副会長から直接又は間接的に「謗法の勉強はする必要はない、広宣流布とは全く関係ない事だからだ」と言われました。)
そして更に次の件が一番大きいと思います。
4)「某過去遠々劫現在漫々の謗法罪障消滅」が、この一生の内に可能なのは「御本尊」への信心の功徳によるものですが、その肝心である「御本尊」への信心が
今の原田、アキヤ栄之助執行部のリーダー達にはみえません。
それは近年の創価のご祈念文と御本尊の相貌とのいかんともしがたい相違、例えば人法一箇の法門を信じない、仏界の依正不二の象徴である諸天善神への
祈りの簡略化、一組織の名前を祈念にいれて、組織教になってしまっている事などで分かります。
少し誤解の無い様追加しますが、私もここまで信心を育ててくれた組織や三代会長には当然感謝はしつくせません。
異論のある方も多いと思いますが、近年「創価仏」という言葉が使われている様ですが、私は、それはとても危険を伴う言葉だと思います。キチガイ沙汰。
仏の生命を拓くというのは、全く個人の修行からくるものであって、組織といってもいろいろなレベルのメンバーやリーダーの集まりです。
その様な組織自体が、何が何でも永遠に仏の集団だという事はありえない事だからです。
もし、それを何の疑いもなく、安易に信じてしまえば、その組織のトップにとってそれこそ都合のいいカルト殺人疑惑団体になってしまいます。
仏法には三宝というものがありますが、原田創価学会が仏なら、そのトップが決めた教義が法の宝になり、その組織やリーダーだけについていく人達だけが僧の宝になる
という事です。
組織やリーダーがまともならいいのですが、永遠に大丈夫だという保証はどこにあるのでしょう。
私は組織は盲従するものではなく、みんなで作り、守っていくものだと思っています。査問、恫喝、村から除け者、子孫滅亡思想、死ぬまで嫌がらせ、ストーカー犯罪、テクノロジー犯罪、請け負い殺人等宗教法人のやることでしょうか?ヤクザより悪質
その意味で、仏道修行の「場」である組織を、その名を永遠に踏み留めて永遠の依処にする様な小さな考えではなく、確固たる揺るぎない「法」を
根本にすえながらも柔軟さを持ち、みんなの智慧を出し合い開かれた組織になるべきです。
そういう組織の定義も価値観も決定しないまま、又実際の行動もあやふやなまま、その名前だけが御祈念文に記載され、強制的に組織に忠誠心を
誓わせる事は邪道だと私は思っています。
御祈念文の中で、いかに宿命転換という言葉を使ってみんなをはぐらかそうとも、十四誹謗の理論を削除し「謗法」の本質も勉強してなく、現在進行形で「謗法」や
「与同罪」を犯しながら、過去どころか現在の謗法罪障消滅さえもできないで、どうやって宿命転換をする事が可能でしょうか、、、
御祈念文についての考察
邪教創価の御祈念文の中で、正宗の御観念文から特に説明が省略されているのは
1.諸天の加護、感謝、供養、祈願、についてはその全文が削除(諸天供養の意義も込めて題目三唱、とだけに簡略化されている)
2.御本尊について - 全文
南無本門寿量品の肝心・文底秘沈の大法・本地難思境智冥合・久遠元初・自受用報身如来の御当體・十界本有常住・事の一念三千・
人法一箇・獨一本門戒壇の大御本尊御威光倍增御利益廣大御報恩感謝徳の御為に
3.大聖人について - 全文
南無本因妙の教主・一身即三身・三身即一身・三世常恒の御利益・主師親三徳・大慈大悲 宗祖日蓮大聖人、御威光倍增御利益廣大御報恩感謝徳の御為に
4.宿命転換の法理については
「某過去遠々劫現在漫々の謗法罪障消滅」ー 過去や現在