金原さん曰く
「師弟不二は人に向かって説くものではなく、自分自身の内側に向かって問い深めるものと思います」
信男さん曰く
「真の師弟は、師弟を説くよりも、『24時間、365日、師匠にいつでもお会いできる生き方』をするところにあると思います」
柴崎さん曰く
「自らの一凶と闘う苦しみを乗り越えなければ,信心があるとは言えないと,私はいつも思っています」
信男さん曰く
「『自らの一凶と闘う苦しみ』
心に染み込みます。」
このお三方に共通しているのは、自分の内面を見つめて反省することの強調と言えるのではないかと思います。これは、己心主義、止観や禅に向かう方向であり、インテリ、知識階層が好む言説です。松戸さんなんかは、この己心主義(宗教社会学でいう内在主義)の典型であり、まさに日蓮仏法の禅宗的解釈と言えると思います。
禅宗(臨済)では、殺仏殺祖を説きます。「仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ」──人間に外在する一切の「聖なるもの」(超越的な神仏等の「基体」やメシア等)の存在に依拠するな! あくまでも自己の内部のポテンシャルに「自己救済」を求めよ!という松戸氏の考えは、殺仏殺祖の禅宗そのものと言えます。
そこからは、妙法への帰命とは、戸田城聖への帰命である(『人間革命』第三巻)と説いた池田先生の思いは迷妄であり、個人崇拝の邪義邪説ということになります。
たとえ戸田先生でも、池田先生でも、己心の外の権威的存在が現れたら、己心の中で“殺さ”なければならない、否定しなければならない。
大聖人は、禅天魔と喝破されましたが、『御書の世界』では、その本質を増上慢と規定しています。
斎藤 「禅天魔」は、悟りを得たとして聖人のように振る舞い、武士などから尊敬されている禅僧に対する破折です。建長寺道隆など禅僧が、当時、鎌倉で幕府の権力者から重く用いられていました。
池田 道隆は、北条時頼に用いられている。
御書では、この禅僧を、大聖人迫害の元凶の一人に挙げられています。
斎藤 「教外別伝」と言って経典を否定したり、未だ悟っていないのに悟っているように振る舞っている「増上慢」の面を、端的に「天魔」と破折されたものです。
この禅天魔、増上慢の松戸さんと同じ臭いを、縁起や空が大好きな金原さんにも、信男さんにも、柴崎さんにも、感じるのは私だけではないと思います。
はたして、師弟不二とは、金原さんのいう「自分自身の内側に向かって問い深める」というような小難しいことなのでしょうか?
また、実際に、先生の住む第二別館の広い庭の隅にある寮で警備員として暮らし、「24時間、365日、師匠にいつでもお会いできる」立場にあった信男さんなら、できるかも知れませんが、師弟不二になるには、こんな余計な思念、観念観法が必要なのでしょうか。
更に、柴崎さんのように、インテリがウジウジ「自分の内面は一凶に侵されてないだろうか」と悩み苦しみ、格闘することが師弟不二には、不可欠なのでしょうか。
私は、山内さんの「師弟不二とは生命の奥低で感応するもの」との意見に大賛成です。
師弟不二とは、生命の奥底における感応道交、合一、境智冥合、平たくいえば、意気投合、気が合うこと、呼吸が合うこと、阿吽の呼吸ではないかと思います。
池田先生とマンデラは、初めてあった瞬間から、意気投合です。久米宏のニュースステーション?で、マンデラが生き生きと嬉しそうな笑顔で、池田先生との出会いを語り、横で久米宏が苦虫を噛み潰したような顔をしていたのを昨日のことのように思い出します。師弟不二だと思います。
また、今年3月の第三回教学研究会で、闘病中の鈴木惠子さんが、池田先生と関わった生花の体験を通して、「先生と呼吸が合えば、どんなにすごい力が出てくるか、どんな不思議なことがおこるか」ということを話して下さいました。これこそ、師弟の感応道交であり、不二の姿だと思います。
また、金原さんの描いた「法難前夜」の絵のエピソードも、まさに師弟が感応した不二の姿だったと思います。
御書に、「かつへて食をねがひ渇して水をしたうがごとく恋いて人を見たきがごとく病にくすりをたのむがごとく、みめかたちよき人べにしろいものをつくるがごとく法華経には信心をいたさせ給へ、さなくしては後悔あるべし」とあるように、御本尊様!助けて下さい!で、我々、庶民は、いいのだと思いますよ。師弟も、これと同じだと思います。
お三方の言うような、己心を観じて、小難しい思念の操作をする必要はないと思います。ウジウジしてないで、スカッと行きましょう
師弟とは?
波田地氏の資料引用です!