「創価学会には、教祖も、唯一至上の絶対者などもいない。私も会員諸氏も、共に広宣流布をめざして進む同志である。(中略)すなわち日蓮正宗創価学会員にとって、唯一至上、絶対の尊厳は三大秘法の御本尊であり、他はすべて創価学会会長といえども、平等に末法の衆生であり、凡夫である」と述べたとおりであり、同じことは、今までも数多くの会合で話してまいりました。
したがって、代々の会長を神格化などしてはなりません。とくに私は若くして第3代会長の任に就きましたが私などを絶対視してはならないし、かりそめにも、主師親の三徳とか、本門弘通の大導師といった表現を用いることは誤りであり、絶対にあってはならないことです。
私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております。「大荘厳懺梅」とあるごとく、日々、大御本尊に対し奉り強き信を持ち、三業(さんごう)を三徳に転しゆく修行であり、人生であらねばならないと肝に銘じ、深く謗法罪障消滅を御祈念し奉る日々であります。
また、今日の種々の問題も、私の指導性の不徳のいたすところであり、多くの会員信徒に多大なご迷惑をおかけし、ご心労をわずらわしたことについても、御本尊に深くお詫びの合掌をさせていただいている日々でもあります。
ともあれ、学会は、絶対尊崇の本源たる本門下種人法一箇の御本尊、宗祖大聖人に対し奉る信仰を根本とし、永遠に代々の御法主上人視下を仏法の師と仰ぎ奉り、強き広宣流布の戦士たる誇りも高く、さらに、日蓮正宗の信徒として、いっそうの外護の任を全うしてまいる決意であります。
一つの歴史の終わりは、新たな歴史の始まりでもあり、どこまでも、前へ前へと進んでいかなければならないのであります。広宣流布の長征のために、いかなる慈愛ある教訓を汲(く)み取るかが、私どもの信心ともいえましょう。
今一度、学会の存立基盤に立ち戻り、あくまでも外護と布教という根本の宗教活動を主体とし、そのうえで、社会的存在としての文化活動を推進してまいるようお願いしたい。
その意味から、僧俗の和合をあくまでも根本とし、学会の使命遂行には、いささかも揺るぐことなき信心の大確信を堅持し、社会との融合を図りながら、広宣流布を進めていかねばなりません。
さらに、一生成仏と広宣流布という、個の全体の目的の調和をとり、一人一人が自身の信仰をいよいよ深めることが、全体の安定と調和につながるとの原理を再確認したいのであります。
昨年4月24日、私が会長を勇退し、合議と強調を基調とした新会則を制定し、規則の改正を図り、そのもとに、北條第4代会長の体制が誕生したのも、安定路線を具体化するためのあらわれの一つでありました。いわば、80年代以降の学会の新展開の助走といえましょう。
ともあれ、いたずらに時を過ごし、改俊(かいしゅん)のみにどどまり、広宣流布の前進を忘失したならぱ、宗開両祖の御精神に背くことになるのを深く恐れるのであります。
私どもは、以上を踏まえつつ、ふたたび、勇んで広宣流布のため、民衆救済の前進を開始してまいろうではありませんか。
したがって、代々の会長を神格化などしてはなりません。とくに私は若くして第3代会長の任に就きましたが私などを絶対視してはならないし、かりそめにも、主師親の三徳とか、本門弘通の大導師といった表現を用いることは誤りであり、絶対にあってはならないことです。
私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております。「大荘厳懺梅」とあるごとく、日々、大御本尊に対し奉り強き信を持ち、三業(さんごう)を三徳に転しゆく修行であり、人生であらねばならないと肝に銘じ、深く謗法罪障消滅を御祈念し奉る日々であります。
また、今日の種々の問題も、私の指導性の不徳のいたすところであり、多くの会員信徒に多大なご迷惑をおかけし、ご心労をわずらわしたことについても、御本尊に深くお詫びの合掌をさせていただいている日々でもあります。
ともあれ、学会は、絶対尊崇の本源たる本門下種人法一箇の御本尊、宗祖大聖人に対し奉る信仰を根本とし、永遠に代々の御法主上人視下を仏法の師と仰ぎ奉り、強き広宣流布の戦士たる誇りも高く、さらに、日蓮正宗の信徒として、いっそうの外護の任を全うしてまいる決意であります。
一つの歴史の終わりは、新たな歴史の始まりでもあり、どこまでも、前へ前へと進んでいかなければならないのであります。広宣流布の長征のために、いかなる慈愛ある教訓を汲(く)み取るかが、私どもの信心ともいえましょう。
今一度、学会の存立基盤に立ち戻り、あくまでも外護と布教という根本の宗教活動を主体とし、そのうえで、社会的存在としての文化活動を推進してまいるようお願いしたい。
その意味から、僧俗の和合をあくまでも根本とし、学会の使命遂行には、いささかも揺るぐことなき信心の大確信を堅持し、社会との融合を図りながら、広宣流布を進めていかねばなりません。
さらに、一生成仏と広宣流布という、個の全体の目的の調和をとり、一人一人が自身の信仰をいよいよ深めることが、全体の安定と調和につながるとの原理を再確認したいのであります。
昨年4月24日、私が会長を勇退し、合議と強調を基調とした新会則を制定し、規則の改正を図り、そのもとに、北條第4代会長の体制が誕生したのも、安定路線を具体化するためのあらわれの一つでありました。いわば、80年代以降の学会の新展開の助走といえましょう。
ともあれ、いたずらに時を過ごし、改俊(かいしゅん)のみにどどまり、広宣流布の前進を忘失したならぱ、宗開両祖の御精神に背くことになるのを深く恐れるのであります。
私どもは、以上を踏まえつつ、ふたたび、勇んで広宣流布のため、民衆救済の前進を開始してまいろうではありませんか。