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池田氏無謬論を考える!③ 藤原弘達氏未来先見性

2022-08-02 17:26:01 | 日記
<藤原弘達の先見の目>

「今も昔も宗教団体が政治に関与、野党の立場なら兎も角、政権与党の立場に成ったらどうなるか?」

これについては、今から52年も前1970年に、学会員に目の敵にされていたあの藤原弘達が、「創価学会を切る」という本の中で公明党と学会の関係を詳細に分析し、未来を的確に予言し警鐘を鳴らしています。
彼が仏敵だと教えられた私たち学会員は、この本を読んで学ぶこともなく彼を悪者扱いしていた記憶がある方は多いでしょう。

それどころか、彼の逝去の際には、藤原の自宅に不特定多数の者から匿名で「おめでとうございます」などという藤原の死亡を祝う電報が届いたり電話が頻繁にかかっていたとの遺族の証言が『週刊新潮』2000年(平成12年)3月30日号に掲載されているそうです。
これが学会員であったことは疑う余地がないでしょう。

こういう学会員の人の道を外れた残虐な行為も、学会組織自体の優位性を盲目的に信じる、上から目線の精神性からでたものであったことは、今になって自分達の心を静かに見据えてみれば、多くの会員が感じるところではないでしょうか。

創価学会を斬る 藤原弘達
https://blog.goo.ne.jp/youthuman/e/8cf9833fd43950b831339b133c78ee44

「・衆議院にあって政党政治を遂行していくという役割においては公明党はむしろ解散すべき
  である。
 ・宗教組織そのままで行動する政治勢力であるならば、公明政治連盟にかえり、活動の場を
  参議院と地方議会に限定すべきである。
 ・公明党がいまのような形態で衆議院において政権獲得を前提とする政党活動を遂行するのは
  あきらかに邪道である。

 もし自由民主党が過半数の議席を失なうというようなことになった場合、公明党に手をさし
 のべて、これとの連立によって圧倒的多数の政権を構成するならば、そのときは、日本の保守
 独裁体制が明らかにファシズムへのワンステップを踏み出すときではないかと思う。

 自民党と連立政権を組んだとき、ちょうどナチス・ヒトラ一が出た時の形と非常によく似て、
 自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における宗教的ファナティック
 な要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制を安定化する機能を果たしながら、
 同時にこれを強力にファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働らく可能性も非常に
 多くもっている。そうなったときには日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる。
 そうなってからでは遅い、ということを私は現在の段階において敢えていう。
 それがこれだけ厳しく創価学会・公明党を斬らざるをえない問題意識なのである。」

つまり、藤原弘達は当初から学会という組織の本質を知っていた様です。
盲目的に先生を信じて行動する学会員と違い、ジャーナリストの彼は学会の裏話や本音を知悉していたのでしょう。
残念ながら彼の憂慮は半世紀後に現実化してしまったようです。



ベトナム戦争の期間      1960-1975年   沖縄の基地を要にアメリカ軍のベトナム攻撃が続いた
日本初の原子力発電所運転開始 1963年10月26日  アメリカから輸入した、茨城県の「東海発電所」
公明党 結党         1964年 11月17日 大衆とともに前進する「大衆政党」
沖縄での人間革命の執筆開始  1965年 1月1日  反戦のメッセージ
ライシャワー大使との対談   1966年 2月20日  池田大作が、ベトナム戦争支持、日本の
                         再軍備を力説
藤原弘達「創価学会を斬る」  1970年      日本の議会政治、民主政治の危機を回避する為の指摘
言論出版妨害事件    1960年代末から1970年代 創価学会と同団体を支持母体とする政党・
                        公明党が自らに批判的な書籍の出版、流通を
                        阻止するために、著者、出版社、取次店、
                        書店等に圧力をかけて妨害した事件。
                    


私達も 奇遇していた 事が 的中する内容です!

やはり新興宗教はカルト 金儲け。


ただ池田氏の思想が 前から数十年も 同じとは言えないし

左翼思想の闘志が 老後は極右政党支持する場合も ありました。

人間の思想は 年齢と共に変化するものです。

私達が ヤング時代は左派でしたが 今は

小型戦術核兵器保有は必要だと 変わってきました。

其れはウクライナ殺戮戦争や志那習近平のウイグル自治区大量殺戮、チベット侵略戦争、内モンゴル侵略、香港武力行使ヲみたからです。


池田氏思想も 晩年に変わっていた可能性はあります。

しかし 藤原弘達氏の対話 指導ヲ 受け入れていれば このような 惨劇創価本部ニワならなかったですか?

この創価本部。統一家庭は 潰され 消滅するものと理解できますです


世間一般人は良く見ていますね 
私達は真実の創価について調べ 社会に公開して 会員の保護から  社会人として 自分自身で思考する能力を 補助します。

被害者の泣き寝入りはさせてはならない!

被害者に損害賠償請求 資産の保全を 求めましょう。


彼については私も罪の有る一人です。
その当時、私は中等部で政治の事は何も分からないにも関わらず、学会を批判するのは悪だと教わっていた他の会員と共に、彼の事を心の底から憎みました。
彼の対談等の番組を、テレビで見るたびに、いやな気持ちになっていたのを今でも思いだします。
もう彼は亡くなっていますが、彼の生命と、遺族の方々に心よりお詫び申し上げたいと思っています。
そして彼の意向の実現に少しでも協力したいと思うのです。

池田氏無謬論を考える ②

2022-08-02 17:22:03 | 日記

♦ライシャワー大使の先生の印象は、「かなり人種差別的、権威主義的な傾向が、見て取れた」とあります。
そしてその後に書かれている「例えば原爆反対など」とわざわざ特筆している事は、先生が核爆弾に話を進め、核抑止力に賛成、最低でも原子力発電に賛成の意向を示していたかもしれない私は推察します。
なぜなら、最近でこそ少しゆるくなりましたが、公明党ほど原子力発電再稼働に前向きの党はないからです。
そして更に戸田先生はもしかしたら、核抑止論者ではないかと疑われる情報を目にしたからです

<戸田先生は核抑止論者?>

昭和28年に書かれた戸田先生の「科学と宗教」の巻頭言には、
「例えば原子核の分裂という事は、今の科学においては最高のものであるが、この原子分裂の定義は単なる学問として留まる
ものに非ずして、平和を守る為の原子爆弾として行動化されている」
。。と書かれており、これは核抑止論推進の立場を取っているのではないでしょうか。
そしてこの先生の言葉はほとんどの学会員には知らされていません。

しかしその4年後の昭和32年には、私達学会員がよく知っている「原水爆禁止宣言」で戸田先生は
「原水爆をいずこの国であろうと、それが勝っても負けてもそれを使用したものはことごとく死刑にするべきであるという事を主張するものであります。」と言われています。

つまり戸田先生は、核爆弾を使う事には断固として反対であるが、核抑止論の意味で核爆弾を所持することは、平和を守る為にはいい事だという意見だと思います。

現在の公明党が核兵器禁止条約に署名しないのも戸田先生の思想を初めとして、学会の底辺に秘密裡に流れる、核抑止論の思想、又それが原子炉の再稼働容認という精神に繋がっていると思えてなりません。

<沖縄県民の心情>

話を沖縄に戻します。
先生はベトナム戦争の最中に、しかもそのベトナム戦争自体に一番深く関わっていた沖縄の地で、アメリカのベトナム戦争を強く支持する心を抱きながら、それを隠して表面上は戦争反対の表現を人間革命でしています。

沖縄戦で辛い目にあった沖縄の人々は、その先生の言葉にどんなにか癒されたでしょう。
ああ先生は分かって下さっている。戦争で苦しんだ私達のことを誰よりも分かって下さっていると涙したに違いありません。

東洋一の最大のアメリカ軍飛行場のある町からベトナムに向けて飛んでいくB52機を壮絶な爆音と共にはるかな空に見上げる沖縄の人々、爆音の為に朝礼や授業が中断される子供達。
その背景には五人に一人が亡くなったという沖縄戦で、親や兄弟姉妹を失い、住む所を焼かれ、希望を失った悲しい姿があったのです。
そんな状況の中で’、沖縄の人々は希望のともしびを探していたのに違いありません。

例えその意図が違う所にあったとしても、確かに先生のそんな言動は沖縄の草創期の学会員達の心に、真綿に水がしみ込んで行く様に、勇気と希望を与えて、先生への信頼はゆるぎないものになっていったのは道理です。

しかしそれが誠意のあるものではなく、もともと、ある画策の実現ためだったとしたら、その結果は後々悪い方向にいくのも又道理です。

そしてもう一つの欺きは、実はその人間革命そのもの、又その後に数限りなく発表された沖縄の人達への特別な激励や詩等、今となってはほとんど代筆者が書いたものだったのだろうという事です。
しかも沖縄で書き始めたという事、その時の書斎の写真まで載せて、実に見事なまでの演出で、沖縄の人達を欺いたという事に、深い憤りを禁じ得ません。





これは沖縄の会員に対する全くの裏切りであり、冒涜ではないでしょうか。
見て下さい。今の沖縄の現状を。。
意味のない辺野古埋め立てを、安全保障に名を借りた土建屋を儲けさせて選挙票をいただこうという画策は、最近ではすでに多くの人の目に明らかではないでしょうか。
而もその事項に権力を振り回しているのが、他でもない公明党の国土交通省大臣達なのです。



学会員でない人達はどうどうと辺野古問題に反対の立場を表明できるでしょうが、学会員は応援したい心はあっても難しいんじゃないでしょうか。
あまりにも先生への忠誠心が強いため、先生が作られた公明党がやる事は何か意味がある、間違う事はないという思いで、自公に投票するという状態は今でも多くの沖縄の会員の中で慣習になって続いているでしょう。

その結果、沖縄の選挙はほとんど自公の勝利になっています。
最近ではそれがより顕著になってきています。

地元の人達が、どんなにがんばっても、頑張っても、とても厚い自公の壁。
そしてその一翼をになっているのが 、他でもない先生や組織に騙され続けている学会員です。
その状況を考えるたびに私の心は痛みます。

<牧口先生、戸田先生の思想>

ちなみに牧口先生や戸田先生は、学会が長年私達に教えてきた様な、戦争反対や軍政府反対の立場ではなかったと思います。
それは共産党の小林多喜二等が、資本家の利益至上や、利権拡大のための軍国主義に反対して無残な拷問を受けて死亡したのに対し、人間革命の中で、戸田先生は検察官にたばこをもらいながら、回宗を迫られているだけの状況から推察されることです。

お二人の言い分は、神札は感謝をするものであり、功徳を生む「法華経」をもちいなければ、戦争には勝てないという意見を譲らなかったので投獄されたのです。
他にも、天皇崇拝ではあるが、崇拝する神が違うという理由で投獄された宗教団体もあるのです。
牧口先生や戸田先生は天皇崇拝の国粋主義だったと私は思っています。
その様な情報は実は長い間、ネット上で出回っていたものなのです。

そして、現在の公明党の選ぶ政策を俯瞰して見ると、その方向性はやはり学会の草創期の頃から、決して変わってはいないのです。

初期の頃、牧口先生と戸田先生は「大日本皇道立教会」という、皇道に沿った教育を行う趣旨の元で創設された会に所属していた様で、これはその時の戦争には賛成の立場の人達とみられます。

『大日本皇道立教会』綱領要約

 「我が国體は皇祖皇宗一系の連綿たる伝統に導かれ、君・臣・民(キミ、オミ、タミ)三身の
  関係で成る構造は世界の諸国と趣を異にする。
  以て忠孝を学び、以て尊皇愛国の精神を振興すべきであり、その働きが本会の目的である。」

その思想を元に創価教育学会は創設され、その時の創価教育学会の趣意書に戸田城聖はこう書かれている様です。

一、毎朝天拝(初座)に於いて御本山の御指示通り皇祖天照大神、皇祖神武天皇、肇国以来御代々
  の鴻恩を謝し奉り敬神の誠を致し国運の隆昌、武運長久を祈願すべきことを強調指導すること。

一、学会の精神たる天皇中心主義の原理を会得し、誤りなき指導をなすこと。

一、皇大神宮の御札は粗末に取り扱わざる様、敬神崇祖の念とこれを混同して、不敬の取り扱い
  なき様充分注意すること。

更に、全員座談会において牧口先生は、こう言っています。

 

「萬世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち、天照大神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる今上陛下に凝集されてゐるのである。されば吾々は神聖にして犯すべからずとある「天皇」を最上と思念し奉るものであって、昭和の時代には、天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。「義は君臣、情は父子」と仰せられてゐるやうに、吾々国民は常に天皇の御稜威の中にあるのである。恐れ多いことであるが、十善の徳をお積み遊ばされて、天皇の御位におつき遊ばされると、陛下も憲法に従い遊ばすのである。即ち人法一致によって現人神とならせられるのであって、吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが、純忠だと信ずる。」

<藤原弘達の先見の目>

「今も昔も宗教団体が政治に関与、野党の立場なら兎も角、政権与党の立場に成ったらどうなるか?」

これについては、今から52年も前1970年に、学会員に目の敵にされていたあの藤原弘達が、「創価学会を切る」という本の中で公明党と学会の関係を詳細に分析し、未来を的確に予言し警鐘を鳴らしています。
彼が仏敵だと教えられた私たち学会員は、この本を読んで学ぶこともなく彼を悪者扱いしていた記憶がある方は多いでしょう。

それどころか、彼の逝去の際には、藤原の自宅に不特定多数の者から匿名で「おめでとうございます」などという藤原の死亡を祝う電報が届いたり電話が頻繁にかかっていたとの遺族の証言が『週刊新潮』2000年(平成12年)3月30日号に掲載されているそうです。
これが学会員であったことは疑う余地がないでしょう。

こういう学会員の人の道を外れた残虐な行為も、学会組織自体の優位性を盲目的に信じる、上から目線の精神性からでたものであったことは、今になって自分達の心を静かに見据えてみれば、多くの会員が感じるところではないでしょうか。

創価学会を斬る 藤原弘達
https://blog.goo.ne.jp/youthuman/e/8cf9833fd43950b831339b133c78ee44

「・衆議院にあって政党政治を遂行していくという役割においては公明党はむしろ解散すべき
  である。
 ・宗教組織そのままで行動する政治勢力であるならば、公明政治連盟にかえり、活動の場を
  参議院と地方議会に限定すべきである。
 ・公明党がいまのような形態で衆議院において政権獲得を前提とする政党活動を遂行するのは
  あきらかに邪道である。

 もし自由民主党が過半数の議席を失なうというようなことになった場合、公明党に手をさし
 のべて、これとの連立によって圧倒的多数の政権を構成するならば、そのときは、日本の保守
 独裁体制が明らかにファシズムへのワンステップを踏み出すときではないかと思う。

 









池田氏無謬論を考える ②

2022-08-02 17:18:27 | 日記

♦ライシャワー大使の先生の印象は、「かなり人種差別的、権威主義的な傾向が、見て取れた」とあります。
そしてその後に書かれている「例えば原爆反対など」とわざわざ特筆している事は、先生が核爆弾に話を進め、核抑止力に賛成、最低でも原子力発電に賛成の意向を示していたかもしれない私は推察します。
なぜなら、最近でこそ少しゆるくなりましたが、公明党ほど原子力発電再稼働に前向きの党はないからです。
そして更に戸田先生はもしかしたら、核抑止論者ではないかと疑われる情報を目にしたからです

<戸田先生は核抑止論者?>

昭和28年に書かれた戸田先生の「科学と宗教」の巻頭言には、
「例えば原子核の分裂という事は、今の科学においては最高のものであるが、この原子分裂の定義は単なる学問として留まる
ものに非ずして、平和を守る為の原子爆弾として行動化されている」
。。と書かれており、これは核抑止論推進の立場を取っているのではないでしょうか。
そしてこの先生の言葉はほとんどの学会員には知らされていません。

しかしその4年後の昭和32年には、私達学会員がよく知っている「原水爆禁止宣言」で戸田先生は
「原水爆をいずこの国であろうと、それが勝っても負けてもそれを使用したものはことごとく死刑にするべきであるという事を主張するものであります。」と言われています。

つまり戸田先生は、核爆弾を使う事には断固として反対であるが、核抑止論の意味で核爆弾を所持することは、平和を守る為にはいい事だという意見だと思います。

現在の公明党が核兵器禁止条約に署名しないのも戸田先生の思想を初めとして、学会の底辺に秘密裡に流れる、核抑止論の思想、又それが原子炉の再稼働容認という精神に繋がっていると思えてなりません。

<沖縄県民の心情>

話を沖縄に戻します。
先生はベトナム戦争の最中に、しかもそのベトナム戦争自体に一番深く関わっていた沖縄の地で、アメリカのベトナム戦争を強く支持する心を抱きながら、それを隠して表面上は戦争反対の表現を人間革命でしています。

沖縄戦で辛い目にあった沖縄の人々は、その先生の言葉にどんなにか癒されたでしょう。
ああ先生は分かって下さっている。戦争で苦しんだ私達のことを誰よりも分かって下さっていると涙したに違いありません。

東洋一の最大のアメリカ軍飛行場のある町からベトナムに向けて飛んでいくB52機を壮絶な爆音と共にはるかな空に見上げる沖縄の人々、爆音の為に朝礼や授業が中断される子供達。
その背景には五人に一人が亡くなったという沖縄戦で、親や兄弟姉妹を失い、住む所を焼かれ、希望を失った悲しい姿があったのです。
そんな状況の中で’、沖縄の人々は希望のともしびを探していたのに違いありません。

例えその意図が違う所にあったとしても、確かに先生のそんな言動は沖縄の草創期の学会員達の心に、真綿に水がしみ込んで行く様に、勇気と希望を与えて、先生への信頼はゆるぎないものになっていったのは道理です。

しかしそれが誠意のあるものではなく、もともと、ある画策の実現ためだったとしたら、その結果は後々悪い方向にいくのも又道理です。

そしてもう一つの欺きは、実はその人間革命そのもの、又その後に数限りなく発表された沖縄の人達への特別な激励や詩等、今となってはほとんど代筆者が書いたものだったのだろうという事です。
しかも沖縄で書き始めたという事、その時の書斎の写真まで載せて、実に見事なまでの演出で、沖縄の人達を欺いたという事に、深い憤りを禁じ得ません。





これは沖縄の会員に対する全くの裏切りであり、冒涜ではないでしょうか。
見て下さい。今の沖縄の現状を。。
意味のない辺野古埋め立てを、安全保障に名を借りた土建屋を儲けさせて選挙票をいただこうという画策は、最近ではすでに多くの人の目に明らかではないでしょうか。
而もその事項に権力を振り回しているのが、他でもない公明党の国土交通省大臣達なのです。



学会員でない人達はどうどうと辺野古問題に反対の立場を表明できるでしょうが、学会員は応援したい心はあっても難しいんじゃないでしょうか。
あまりにも先生への忠誠心が強いため、先生が作られた公明党がやる事は何か意味がある、間違う事はないという思いで、自公に投票するという状態は今でも多くの沖縄の会員の中で慣習になって続いているでしょう。

その結果、沖縄の選挙はほとんど自公の勝利になっています。
最近ではそれがより顕著になってきています。

地元の人達が、どんなにがんばっても、頑張っても、とても厚い自公の壁。
そしてその一翼をになっているのが 、他でもない先生や組織に騙され続けている学会員です。
その状況を考えるたびに私の心は痛みます。

<牧口先生、戸田先生の思想>

ちなみに牧口先生や戸田先生は、学会が長年私達に教えてきた様な、戦争反対や軍政府反対の立場ではなかったと思います。
それは共産党の小林多喜二等が、資本家の利益至上や、利権拡大のための軍国主義に反対して無残な拷問を受けて死亡したのに対し、人間革命の中で、戸田先生は検察官にたばこをもらいながら、回宗を迫られているだけの状況から推察されることです。

お二人の言い分は、神札は感謝をするものであり、功徳を生む「法華経」をもちいなければ、戦争には勝てないという意見を譲らなかったので投獄されたのです。
他にも、天皇崇拝ではあるが、崇拝する神が違うという理由で投獄された宗教団体もあるのです。
牧口先生や戸田先生は天皇崇拝の国粋主義だったと私は思っています。
その様な情報は実は長い間、ネット上で出回っていたものなのです。

そして、現在の公明党の選ぶ政策を俯瞰して見ると、その方向性はやはり学会の草創期の頃から、決して変わってはいないのです。

初期の頃、牧口先生と戸田先生は「大日本皇道立教会」という、皇道に沿った教育を行う趣旨の元で創設された会に所属していた様で、これはその時の戦争には賛成の立場の人達とみられます。

『大日本皇道立教会』綱領要約

 「我が国體は皇祖皇宗一系の連綿たる伝統に導かれ、君・臣・民(キミ、オミ、タミ)三身の
  関係で成る構造は世界の諸国と趣を異にする。
  以て忠孝を学び、以て尊皇愛国の精神を振興すべきであり、その働きが本会の目的である。」

その思想を元に創価教育学会は創設され、その時の創価教育学会の趣意書に戸田城聖はこう書かれている様です。

一、毎朝天拝(初座)に於いて御本山の御指示通り皇祖天照大神、皇祖神武天皇、肇国以来御代々
  の鴻恩を謝し奉り敬神の誠を致し国運の隆昌、武運長久を祈願すべきことを強調指導すること。

一、学会の精神たる天皇中心主義の原理を会得し、誤りなき指導をなすこと。

一、皇大神宮の御札は粗末に取り扱わざる様、敬神崇祖の念とこれを混同して、不敬の取り扱い
  なき様充分注意すること。

更に、全員座談会において牧口先生は、こう言っています。

 

「萬世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち、天照大神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる今上陛下に凝集されてゐるのである。されば吾々は神聖にして犯すべからずとある「天皇」を最上と思念し奉るものであって、昭和の時代には、天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。「義は君臣、情は父子」と仰せられてゐるやうに、吾々国民は常に天皇の御稜威の中にあるのである。恐れ多いことであるが、十善の徳をお積み遊ばされて、天皇の御位におつき遊ばされると、陛下も憲法に従い遊ばすのである。即ち人法一致によって現人神とならせられるのであって、吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが、純忠だと信ずる。」

<藤原弘達の先見の目>

「今も昔も宗教団体が政治に関与、野党の立場なら兎も角、政権与党の立場に成ったらどうなるか?」

これについては、今から52年も前1970年に、学会員に目の敵にされていたあの藤原弘達が、「創価学会を切る」という本の中で公明党と学会の関係を詳細に分析し、未来を的確に予言し警鐘を鳴らしています。
彼が仏敵だと教えられた私たち学会員は、この本を読んで学ぶこともなく彼を悪者扱いしていた記憶がある方は多いでしょう。

それどころか、彼の逝去の際には、藤原の自宅に不特定多数の者から匿名で「おめでとうございます」などという藤原の死亡を祝う電報が届いたり電話が頻繁にかかっていたとの遺族の証言が『週刊新潮』2000年(平成12年)3月30日号に掲載されているそうです。
これが学会員であったことは疑う余地がないでしょう。

こういう学会員の人の道を外れた残虐な行為も、学会組織自体の優位性を盲目的に信じる、上から目線の精神性からでたものであったことは、今になって自分達の心を静かに見据えてみれば、多くの会員が感じるところではないでしょうか。

創価学会を斬る 藤原弘達
https://blog.goo.ne.jp/youthuman/e/8cf9833fd43950b831339b133c78ee44

「・衆議院にあって政党政治を遂行していくという役割においては公明党はむしろ解散すべき
  である。
 ・宗教組織そのままで行動する政治勢力であるならば、公明政治連盟にかえり、活動の場を
  参議院と地方議会に限定すべきである。
 ・公明党がいまのような形態で衆議院において政権獲得を前提とする政党活動を遂行するのは
  あきらかに邪道である。

 もし自由民主党が過半数の議席を失なうというようなことになった場合、公明党に手をさし
 のべて、これとの連立によって圧倒的多数の政権を構成するならば、そのときは、日本の保守
 独裁体制が明らかにファシズムへのワンステップを踏み出すときではないかと思う。

 









池田氏無謬論を 考える ①

2022-08-02 17:08:17 | 日記

たまにショッピングセンターで、メンバーの顔を見かけたりしますが、あいさつだけで済ましたり中には避けていく人達もいます。

その頃から私はこの板に投稿する様になり、いろいろな情報をこの板から教えてもらったり、会合等もない事によりできた時間で、ネットで色々な情報を調べ始めました。

そういう情報をどうして簡単に信じるのかと大方の学会員が非難するでしょうが、では逆にどうして学会が言っている事の方を、そう簡単に信じるのですかと逆に問います。

私の目には、学会や先生を盲目的に信じる事はもう不可能になってしまった上、ネットで見る多くの学会批判の焦点は共通です。
それは一人や2人ではなく、出版物やブログのコメントを合わせるとほとんど天文学的数字です。

学会の歴史の情報や人気のあるブログ等は圧力がかかっているのでしょう、どんどん消滅していきます。
ですから、私が引用する情報も今ではURLが消えているものが多いのでご了承下さい。

もう一つ、私が学会から出て来る指導よりも、これらの批判の方を信じるのは、今の学会や公明党の方向性や言動が、学会の指導の延長線上にはなく批判している情報の方向にマッチしているからです。

そしてこれらの情報の中で特に心を痛めた情報の一つが、沖縄に関わる先生の態度でした。

分かりやすい様に、項目に分けて書きます。

<小説「人間革命」の主題>

それは「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」とあります。

しかし最近では学会の情報で反戦の主題を提起しないので、「佐藤優が教える、池田大作『人間革命』の読み方」を引用します。

  「この『人間革命』の書き出しに、創価学会の原理が端的に示されている。
  (戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、
   つづいていた。愚かな指導者たちに、ひきいられた国民もまた、まことにあわれである)

  「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」―池田大作は、
   小説『人間革命』の冒頭に記しています。

   執筆は、沖縄の地で始められました。1964年(昭和39年)のことです。日本で唯一の
   地上戦を経験した沖縄。戦争の悲惨さを、いやというほど味わった地から、平和と幸福の
   波を起こしていこうとの決意からでした。」
   https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51411






その時の時代背景>

ベトナム戦争 1960-1975年

現在のホー・チ・ミン (サイゴン) 市内
1960年よりベトナム人同士の統一戦争として開始され、その後アメリカ合衆国が軍事介入し、15年間続いた戦争によって、南北ベトナム両国は500万の死者と数百万以上の負傷者を出した。このことは、掲げる政治理念や経済体制にかかわらず、労働力人口の甚大な損失であり、戦後復興や経済成長の妨げとなった。アメリカ軍の巨大な軍事力による組織的な破壊と、北ベトナム軍や南ベトナム解放戦線による南ベトナムに対する軍事活動やテロにより国土は荒廃し、破壊された各種インフラを再整備するためには長い年月が必要であった。





「アメリカの太平洋軍司令官が「沖縄なくして、ベトナム戦争を続けることはできない」と語ったように、日本はアメリカ軍にとって、重要な後方基地でした。アメリカ施政下にあった沖縄の嘉手納基地からはB52戦略爆撃機が飛び立ち、ベトナムに爆弾の雨を降らせました。
また、爆弾や毒ガス、軍服、死体袋、車両、電気製品など、アメリカ軍にとって必要な物資をつくり、日本の産業界は、「ベトナム特需」で潤いました。」
https://chihiro.jp/forpeace/vietnamwar/

<アメリカ駐日大使ライシャワーの目録>
1966年2月20日
 創価学会の池田が日本の再軍備を力説

「創価学会の会長と2時間半の会談。
今回は(3か月前にも会っている)こちらが先方の豪華な本部へ足を運んだ。
池田は人払いしてじっくり話をした。
この前会った時とは、全く違い、アメリカのベトナム政策を強く支持し、日本の
再軍備を力説する。♦

前回の曖昧な態度から一転して、かなり人種差別的、権威主義的な傾向が見て取れた。
大きな影響力となりうるこの様な集団の考えが、どの様にして形成されるかは興味深い。
彼が好ましい方向へ進むよう、影響を与えるべく努力を惜しまないつもりだ。
例えば原爆反対など。
 2003年 9月10日
ライシャワー大使目録 2003年9月10日 講談社発行

<これらの状況から思う事>

もう最近では驚く事もありませんが、先生のこの様な本音(会員への指導や人間革命の主張とは、真っ向から反する)は、多くは学会員以外との対談で正体を露わにしています

沖縄で執筆開始された人間革命の冒頭文にある戦争批判の立ち位置の表明は1964年でありベトナム戦争のまっただ中です。、
そして人間革命では、いかにも沖縄を憂え平和の波を沖縄から起こしていこうと意識革命を鼓舞しています。

上記の情報によると、「沖縄なくして、ベトナム戦争を続けることはできない」「アメリカ施政下にあった沖縄の嘉手納基地からはB52戦略爆撃機が飛び立ち、ベトナムに爆弾の雨を降らせました。」
「爆弾や毒ガス、軍服、死体袋、車両、電気製品など、アメリカ軍にとって必要な物資をつくり、日本の産業界は、「ベトナム特需」で潤いました。」
とあります。

先生が支持するベトナム戦争は、沖縄なくしては続ける事はできないのです。
つまり、ベトナム戦争を支持する事は、沖縄を戦争の行動に巻き込む事を良しとしている事に成ります。
しかも、先生は沖縄のベトナム戦争における立場が、アメリカや日本に利益をもたらしている事を知らないはずはありません。
そして、1966年のアメリカ駐日大使ライシャワーとの密談(ともいえるでしょう。会員にしらせては いけないからです。)では人間革命のメッセージとは真逆に、アメリカのベトナム政策を強く支持し、日本の再軍備を力説しています。

中には、ベトナム戦争だけはアメリカに正義があったので、その意味で先生は賛成したのだろうという方が必ずいると思いますが。
いずれにしても、自分達の正当防衛や他国が蹂躙されて助けを求めている以外では、どんな戦争でも「強く支持する」と言ってはいけないのではないでしょうか。

嘉手納第四サイトとよばれたメースBミサイル発射基地の跡地は創価学会が取得し、同会の沖縄研修道場に転用しているなど、いくつかの見せかけの平和運動はありますが、半世紀以上も先生と行動を共にしてきた学会の重鎮たち、又息子達も、先生のこの二面性を知らないはずはないのです。
この考え方は秘密裡に、上層幹部と、外部である日本とアメリカの政府方、さらに双方の経済界にも、影響を及ぼしていたと思われます。