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慈悲深い人間!

2022-08-24 19:10:35 | 日記
講 中
『法門申さるべき樣の事』(新編四三三)
獅子の中の虫・獅子をくらう、仏教をば外道はやぶりがたし内道の内に事いできたりて仏道を失うべし仏の遺言なり
仏教の正義は外道から破られる事はない。百獣の王である獅子は、他の獣によって倒される事はない。ただ獅子の身中に住む虫によってのみ倒される。
仏教も、仏教を信ずる者によって失なわれる。
講中は一つの目的に向かっていても、手段は様々ですから、意見が分かれる事は仕方がないが、しかし意見を述べるに当たって、それが目的をはずれていないか、感情的になっていないかと云う事を考える必要がある。
大聖人も『孔予と申せし賢人は九思一言とてここのたびおもいて一度申す』と仰せの如くで、人への対抗意識や感情論での発言は、目的を失うどころか、講中の遅滞・崩壊にも通じるのである。
また信心以外の付き合いも程度を考へなければならない。
金銭の貸借や物品の販売、政治利用などは陥り易い事だけに注意をする事。
諺に「親しき仲にも礼犠あり」の通り、お互いが尊敬し合い、成仏道に生きる人の集まつた請中をもつと神聖なものと考えるべきである。
仏法を破るのではなく、護る立場である。


♦九思とは
⑴物事をはっきり見る事。
⑵話は明確に聞く事。
⑶穏やかな表情を保つ事。
⑷謙虚に振舞う事。
⑸誠実に話をする事。
⑹行動は慎重である事。
⑺疑問があったら尋ねる事。
⑻怒る時はしこりが残らぬ樣。
⑼うまい話に乗るな。会掌


湖山氏から資料引用

慈悲を破壊する外道創価本部カルトヤクザ

2022-08-24 19:00:58 | 日記
心の師とはなるとも心を師とせざれ(新編九八七)
説法を聞く態度、仏道修行の心構えは、少聞多解と言い、決定心を持って真剣に聞かなければならない。
私達は多聞不了と云って、多くの事を聞きながら、心が散漫なるが故に、自分に都合よく仏法を解釈し、退転する原因を作ってしまう。
大聖人はこの事を『開目抄』(五七四)に、
「つたなき者のならいは約束せし事をまことの時はわするるなるべし」と仰せになり「心を師とする」信心について警告されている。
古語にも「心こそ心まどわす心なれ 心に心 心許すな」と云う。前心に心を許してしまうのを、心の師とすることであり、邪心前心に惑わされない事を、心の師と云うのである。
大聖人の流儀は、苦難の中にあっても、その中で信心を貫くのが、「一心欲見物、不自惜身命」であり、地涌の眷属として、妙法の爲に精進する処に成仏があるとの御教である。
末法の三大秘法は、不自惜身命の実践の中で始めて成就される。
どんなに頭がよくどんなに経文を勉強しても成仏はあり得ない。
その上で大切な事は『佐渡御書』(五七九)に、「師子王の如くなる心を持てるもの必ず仏になるべし」
と仰せの如く、強い心で信心に励みなさいと云うのが大聖人様の御教えである。



仏典童話 『六度集経第三』
かめの恩がえし
心のやさしい人と心のきつい人、どちらの方がよいでしょう。
みんな、心のやさしい人のほうが良いにきまっている。
だったら、みんなも、心のやさしい人にならないといけない。
自分の心が、きつすぎると思ったら、今からやさしくなるように。
みんなも、心のやさしい子になるように。
本当に心のやさしい人は、人に向かってやさしいだけとちがう。
鳥でも、けものでも、生きておるものは、何にむかってでも、しんからやさしいくする。
みんなも、心のやさしい子になるつもりなら、これからお話に出てくる人みたいに、しんからやさしい子になってください。
あるところに、たいへん心のやさしい人がいました。
その人があるとき、海べをあるいておると、一人の漁師が、大きな亀をつかまえて、
「こりゃ、ええもんとれたわい。今晩のおかずにして、たべよう。」
と、云っている声が、耳にはいった。
それを聞くと、その人は、亀がかわいそうになって、漁師に、
「その亀を、わしに売ってくれんかい。」と聞いた。
そしたら、漁師は、その人が金持ちだと云うことを知っていたので、
「この亀は、大きいから、高いよ、高いから買わんとき、おれは、今晩、たいてたべるつもりだから。」と、云って、むちゃな値段をつけた。
その人は、高すぎると思ったけれど、漁師のいいなりの値段で亀を買い取るった。
そして、浜辺へつれていって、
「もう、二度とつかまらんように気をつけて、元気でくらせや。」
と云って海のなかへ、はなしてしまいました。
浦島太郎も、亀を助けてやって、竜宮城へ、つれていってもらいました。
亀は、うけた恩をわすれないらしいが、この亀も、助けてもらってから、だいぶたった、ある晩、その人の家へきて、門をとんとんとたたいた。
その人が出てきてみると、
「わたしは、このあいだ、あなたに助けて戴いた亀でございます。何かお礼をしなければならないと思いながら、何も出来ないでおりました。ところで私は水の中に住んでおりますので、海の水がふえたり、へったりすることは、よくわかります。それで急いでお知らせに来ましたが、どうやら誓いうちに、この国にものすごい大水が出るようでございます。それで、早く船の用意をしておかれたほうが、よろしいかと思います。水が出たときには、私がむかえにまいります。」と、知らせてくれました。
それで、その人は、亀に知らせてもらうなんて、不思議なことがあるものだと思いながら、そのことを王様に知らせに言ってげました。
そうしたら、王様は、前からその人の云うことを信用していたので、
「それならあんたは、船のしたくをしてくれ、わしは早速高いところへ、にげておくから。」
と云って、山の上にある御殿へ移り、その人は、船のしたくをしました。
さて、どうなったでしょうか。
亀の知らせてくれたことは、本当だったのか、嘘だったのか。
それから一日たってから、にわかにものすごい雨がふって、ものすごい大水が、この国におそいかかってきた。
あんまりにわかだったものだから、大勢の人達や、けだものは、あれよ、あれよと、逃げまどい、みるみるうちにふえてくる水に、まきこまれて、あっぷ、あっぷと、流されていった。
水が出るのといっしょに、あの人のところへは、亀が約束どおりやってきて、
「さあ、はやく、船に乗ってください。私が心配のないところへ、つれていってあげます。」
と、云ってくれたので、その人は船に乗って水の上を、亀の案内で進んでいくことが出来た。
しばらくいくと、一匹のヘビが、船に泳ぎついてきて、
「たすけて、ください。」といって、たのんだ。
その人は、亀に相談してみたら、よいと云うことで、ヘビを船へ引き上げてやった。
そのつぎには、キツネが、たのんだので、助けてやった。
そうしたらこんどは、一人の若い男が、いまにも溺れそうになりながら、
「たすけてくれっ!」
と、たのんだので、その人は、あわてて助けてやろうとすると、急に亀が、こわい顔をして、
「助けたら、いかん。」と、いった。
「どうして?」と、きいたら、
「人間はうそつきだから、助けてやって、かえってひどい目にあわされるかも知れないからだ。」
と、云うのだった。
そのように亀がきつく反対したけれども、その人は、
「わしは、ヘビやキツネを助けてやって、人を助けないで、ほっておくわけにはいかん、えらいすまんけど、目をつむってくれ。」
と、云ってその若い男も、助けてやった。
おぼれかけている者をみたら、その人は、相手によって、わけへだてをしない。
船はやがて、安全なところへついたので、命をたすけてもらった、ヘビやキツネや、わかい男は、喜んで何遍もお礼を云って、帰っていった。
大水は、それから二日目には、すっかり引いてしまって、元通りになったが、家を流された人もおり、田んぼや畑をあらされた人もおるし、身内のものを死なせてしまった人もいる。
みんなは、ひどい目にあって、苦しんでいた。
それからしばらくたった、ある日のこと。
その人のうちへ、ひょっこりと、大水の時に助けてやった、キツネがたずねてきて、こんなに云うたそうな。
「私は谷の向こうに、ひとつの穴をみつけて、はいってみましたら、そのなかに、たくさんなお金がかくされていました。もう古い穴だし、それは誰のものでもありません。
あぶない命を助けていただいた、お恩がえしにと思って、お知らせに来ました。
ご案内しますから、取って使って下さい。」
その、話を聞くと、その人は、どうしょうかとまよったけれども、ふるいお金ならもらってきて、水でこまっている人達にわけてあげようと考えて、キツネに案内されて、その穴へいき、たくさんなお金を、手にいれて帰ってきた。
するとそこへ、どこでこの話を聞いたのか、やはり前に命を助けてもらった、あの若い男がやってきて、助けてもらった時の恩も忘れて、こともあろうに、こんなことを云っておどかした。
「だまって、その金をまるどりしたら、重い罪になることぐらい知っているだろう。わしに半分よこせ。よこさなかったら、役人にうったえてやるぞ。」
にくたらしいことを、云うやつじゃないか。
だけど、その人は、はじめからまるどりするつもりとちがうので、
「わしは、このお金を、大水で苦しんでいるまずしい人達に、わけてやろうと思っている。だから、あんたにわけてやるわけにはいかん。」と、云ってことわった。
すると、ことわられたわかい男は、
「よし、そんなら、うったえてやる。」と、云って、本当に役人に告げ口にいった。
古い穴のなかに、うずもれていて、だれのものでもなくとも、だまってとってくるのはいかんと云うことになっていたので、うったえを聞いた役人は、すぐにやってきて、その人を牢屋へつれていってしまった。
その人は、ちゃんとわけてやるわけにはいかん。」云ったけれども、王様はその人を信用していたのに、なんでかこんどはなかなか許してくれません。
それで、不自由な牢屋にほうりこまれてままでした。
けれども、別にその人は、誰もうらんだりしないで、心の中で、仏様のことばかり思って、静かにとじこめられていました。
そんなある晩のこと、その牢屋へ、ヘビがこっそりしのびよってきて、
「私は、受けたお恩にむくいるために、あなたをおすくいしようと思って、やってきました。
ここに、毒蛇にかまれたときの飲む毒消しの薬があります。
もし、毒蛇にかまれて、命のあぶない人がありましたら、あげてください。そうすれば、きっとあなたは、こんなところから出られるようになるでしょう。」
と云って、その薬をそっと手わたして、いってしまった。
するとそのあくる日、にわかに御殿がえらいさわがしくなった。
王子が毒蛇にかまれて、命が危ないと云う。
王様はかわいい一人子だ、えらい心配で国中の名医者を呼んだが、効果がない。
王様は、国中にあふれを出し、
「もし、王子をすくうものがいたら、その人を大臣にする。」と、言われた。
そのことを聞いた、牢屋のその人は、前の晩ヘビからもらった薬を取り出して、それを飲んでもらうように、さしだした。
王子はそれを飲まれると、嘘みたいにけろっとなおり、危ない命が助かった。
王様は、大喜びで、訳を聞いてびっくりし、
「わしが変に疑ってすまなかった。人間のくせに、ヘビやキツネよりもおとった、若い男の言うことを聞いて、心のやさしいあなたを、牢屋に入れたりしたのは、まったくわしの間違いだった。かんにんしておくれ。」と、あやまった。
そして、すぐに若い男はとらえられて、牢屋へほうりこまれ、約束通り、その人を大臣に取り立てられた。
こんな心のやさしい人が、大臣になって、国をおさめるようになったので、その国は、とてもよくおさまって、よい国になった。
話はこれでおしまいです。
けれど、この人の心が、しんからやさしい事がわかりましたか。
心のやさしいその人が、大臣になられてよかったって。
うん、それはまあ、よかった。
けれども、そこのところで、みんなまちがった考えをもたないように。
と云うのは、大臣みたいな、えらい人になるために、心のやさしい人ならば、いけないと云うことと違うのです。
そこのところを、まちがわないように。
恩返しをする、ヘビやキツネにくらべて、わかい男が、恩をわすれて、かえって恩人に、お金をわけてくれと、おどかした。
そこのとこ、とんなに思ったか。
亀や、ヘビや、キツネにくらべて、本当にはずかしかった。
あんな人間に、なりたくないな。あんな人間は、人間のくずです。
心のしんからやさしい人なら、なってくれと云っても、あんな人間にはならない。
そこが、とてもよいことだけれども、なかなかむつかしい。
みんなも、きつい心が出てきたら、それを押さえて、やっぱり自分で、つとめて心のやさしい子供になるようにしましょうね。
いい子になるように。





正木伸城氏 カルト創価本部ヤクザ組織マフィアから脱退!

2022-08-24 18:55:59 | 日記

公明党支援にまつわる、学会の“公式”と“現場”のホンネ・建て前
公明党と創価学会(後編)
正木 伸城プロフィール
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公明党の支持母体である創価学会。選挙に際し、実際のところ、学会員はどのような活動を行っているのでしょうか。創価学会元理事長を父に持つ宗教三世のライター・正木伸城さんが、自らの経験をもとに、その実態を描いた後編です。
前編:創価学会員は選挙についてどう捉え、どんな活動をしているのか?

「池田先生」のために公明党を応援するという発想
前編の記事で、ぼくが創価学会の選挙活動にハマっていった経緯を述べた。また、その後、2003年に話題になった「自衛隊のイラク派遣」に関する公明党の振る舞いに納得がいかなくなり、先輩たちと政策論争を展開したことにも触れた。ただし、議論をしても厚みのある返答をくれる先輩はいなかった。そこでぼくは、学会のとある副会長に相談をした。

「政策に納得ができない時、それでも公明党を支援すべきなのでしょうか」

ぼくがそう問うと、副会長は「納得が行かない点は、どこ?」と聞いてくれた。そこから、またもや政策論争が発生するのだが、やはり納得のいく話は出てこない。そのうち、副会長の顔が曇っていった。そして彼はこう言うに至った。

「公明党は池田先生がつくられた政党だ。弟子として応援しないのはあり得ない」

それを聞いたぼくは、即座に、「確かに、宗教的にはそれも大事な視点ですが、純粋に政策で選ぶならまだしも、『池田先生のため』『同志である学会員が候補者だから』という理由で公明候補者を選ぶという政治的な決定の仕方を取るのは、どうなのでしょうか?」と質問した。

しかし、この言葉を言い終わり、さらに発言を続けようとするぼくの声をさえぎった副会長は、「お前は二乗根性にやられている!」と言ってきた。

池田大作氏の思想と公明党の振る舞いが不一致に見えることに悩む
「二乗」というのは説明が難しい言葉なのだけれど、ここでは「頭でっかちな人」「考えてばかりで信仰実践がおろそかになる人」くらいの意味で捉えてほしい。

こう言われたぼくは、ひどく落ち込んだ。

なぜ、この時ぼくは公明党に疑問を抱き始めたのか。それは、創価学会のカリスマリーダー・池田大作氏の文献を相当に読み込んだことに起因する。その思想についてかなり理解を深めた時、公明党の振る舞いや判断が池田氏の考えと「必ずしも一致するとは言えない」ということを知ったのだ。


この一連の流れのなかで不完全燃焼感をぬぐえなかったぼくは、学会幹部の父にも相談した。だが、理解の懸け橋はやはりかからなかった。売り言葉に買い言葉みたいな言い合いになり、父からは「そんなに不満なら、お前が公明党の政策を考えろ!」と言われてしまった。

この“イラク派兵”については、当時ぼくが通っていた創価大学でも、また所属していた東京・八王子市の組織でも、また他の各地でも論争が起こった。派兵反対の学会員に、ぼくに向けられた言葉と似たセリフが投げかけられたことも多く見聞きした。

「選挙活動に功徳があると学会員は信じている」は本当か
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