古語にも「心こそ心まどわす心なれ 心に心 心許すな」と云う。前心に心を許してしまうのを、心の師とすることであり、邪心前心に惑わされない事を、心の師と云うのである。
仏典童話 『六度集経第三』
かめの恩がえし
1
心のやさしい人と心のきつい人、どちらの方がよいでしょう。
みんな、心のやさしい人のほうが良いにきまっている。
だったら、みんなも、心のやさしい人にならないといけない。
自分の心が、きつすぎると思ったら、今からやさしくなるように。
みんなも、心のやさしい子になるように。
本当に心のやさしい人は、人に向かってやさしいだけとちがう。
鳥でも、けものでも、生きておるものは、何にむかってでも、しんからやさしいくする。
みんなも、心のやさしい子になるつもりなら、これからお話に出てくる人みたいに、しんからやさしい子になってください。
2
あるところに、たいへん心のやさしい人がいました。
その人があるとき、海べをあるいておると、一人の漁師が、大きな亀をつかまえて、
「こりゃ、ええもんとれたわい。今晩のおかずにして、たべよう。」
と、云っている声が、耳にはいった。
それを聞くと、その人は、亀がかわいそうになって、漁師に、
「その亀を、わしに売ってくれんかい。」と聞いた。
そしたら、漁師は、その人が金持ちだと云うことを知っていたので、
「この亀は、大きいから、高いよ、高いから買わんとき、おれは、今晩、たいてたべるつもりだから。」と、云って、むちゃな値段をつけた。
その人は、高すぎると思ったけれど、漁師のいいなりの値段で亀を買い取るった。
そして、浜辺へつれていって、
「もう、二度とつかまらんように気をつけて、元気でくらせや。」
と云って海のなかへ、はなしてしまいました。
浦島太郎も、亀を助けてやって、竜宮城へ、つれていってもらいました。
亀は、うけた恩をわすれないらしいが、この亀も、助けてもらってから、だいぶたった、ある晩、その人の家へきて、門をとんとんとたたいた。
その人が出てきてみると、
「わたしは、このあいだ、あなたに助けて戴いた亀でございます。何かお礼をしなければならないと思いながら、何も出来ないでおりました。ところで私は水の中に住んでおりますので、海の水がふえたり、へったりすることは、よくわかります。それで急いでお知らせに来ましたが、どうやら誓いうちに、この国にものすごい大水が出るようでございます。それで、早く船の用意をしておかれたほうが、よろしいかと思います。水が出たときには、私がむかえにまいります。」と、知らせてくれました。
それで、その人は、亀に知らせてもらうなんて、不思議なことがあるものだと思いながら、そのことを王様に知らせに言ってげました。
そうしたら、王様は、前からその人の云うことを信用していたので、
「それならあんたは、船のしたくをしてくれ、わしは早速高いところへ、にげておくから。」
と云って、山の上にある御殿へ移り、その人は、船のしたくをしました。
3
さて、どうなったでしょうか。
亀の知らせてくれたことは、本当だったのか、嘘だったのか。
それから一日たってから、にわかにものすごい雨がふって、ものすごい大水が、この国におそいかかってきた。
あんまりにわかだったものだから、大勢の人達や、けだものは、あれよ、あれよと、逃げまどい、みるみるうちにふえてくる水に、まきこまれて、あっぷ、あっぷと、流されていった。
水が出るのといっしょに、あの人のところへは、亀が約束どおりやってきて、
「さあ、はやく、船に乗ってください。私が心配のないところへ、つれていってあげます。」
と、云ってくれたので、その人は船に乗って水の上を、亀の案内で進んでいくことが出来た。
4
しばらくいくと、一匹のヘビが、船に泳ぎついてきて、
「たすけて、ください。」といって、たのんだ。
その人は、亀に相談してみたら、よいと云うことで、ヘビを船へ引き上げてやった。
そのつぎには、キツネが、たのんだので、助けてやった。
そうしたらこんどは、一人の若い男が、いまにも溺れそうになりながら、
「たすけてくれっ!」
と、たのんだので、その人は、あわてて助けてやろうとすると、急に亀が、こわい顔をして、
「助けたら、いかん。」と、いった。
「どうして?」と、きいたら、
「人間はうそつきだから、助けてやって、かえってひどい目にあわされるかも知れないからだ。」
と、云うのだった。
そのように亀がきつく反対したけれども、その人は、
「わしは、ヘビやキツネを助けてやって、人を助けないで、ほっておくわけにはいかん、えらいすまんけど、目をつむってくれ。」
と、云ってその若い男も、助けてやった。
おぼれかけている者をみたら、その人は、相手によって、わけへだてをしない。
船はやがて、安全なところへついたので、命をたすけてもらった、ヘビやキツネや、わかい男は、喜んで何遍もお礼を云って、帰っていった。
大水は、それから二日目には、すっかり引いてしまって、元通りになったが、家を流された人もおり、田んぼや畑をあらされた人もおるし、身内のものを死なせてしまった人もいる。
みんなは、ひどい目にあって、苦しんでいた。
5
それからしばらくたった、ある日のこと。
その人のうちへ、ひょっこりと、大水の時に助けてやった、キツネがたずねてきて、こんなに云うたそうな。
「私は谷の向こうに、ひとつの穴をみつけて、はいってみましたら、そのなかに、たくさんなお金がかくされていました。もう古い穴だし、それは誰のものでもありません。
あぶない命を助けていただいた、お恩がえしにと思って、お知らせに来ました。
ご案内しますから、取って使って下さい。」
その、話を聞くと、その人は、どうしょうかとまよったけれども、ふるいお金ならもらってきて、水でこまっている人達にわけてあげようと考えて、キツネに案内されて、その穴へいき、たくさんなお金を、手にいれて帰ってきた。
するとそこへ、どこでこの話を聞いたのか、やはり前に命を助けてもらった、あの若い男がやってきて、助けてもらった時の恩も忘れて、こともあろうに、こんなことを云っておどかした。
「だまって、その金をまるどりしたら、重い罪になることぐらい知っているだろう。わしに半分よこせ。よこさなかったら、役人にうったえてやるぞ。」
にくたらしいことを、云うやつじゃないか。
だけど、その人は、はじめからまるどりするつもりとちがうので、
「わしは、このお金を、大水で苦しんでいるまずしい人達に、わけてやろうと思っている。だから、あんたにわけてやるわけにはいかん。」と、云ってことわった。
すると、ことわられたわかい男は、
「よし、そんなら、うったえてやる。」と、云って、本当に役人に告げ口にいった。
古い穴のなかに、うずもれていて、だれのものでもなくとも、だまってとってくるのはいかんと云うことになっていたので、うったえを聞いた役人は、すぐにやってきて、その人を牢屋へつれていってしまった。
その人は、ちゃんとわけてやるわけにはいかん。」云ったけれども、王様はその人を信用していたのに、なんでかこんどはなかなか許してくれません。
それで、不自由な牢屋にほうりこまれてままでした。
けれども、別にその人は、誰もうらんだりしないで、心の中で、仏様のことばかり思って、静かにとじこめられていました。
そんなある晩のこと、その牢屋へ、ヘビがこっそりしのびよってきて、
「私は、受けたお恩にむくいるために、あなたをおすくいしようと思って、やってきました。
ここに、毒蛇にかまれたときの飲む毒消しの薬があります。
もし、毒蛇にかまれて、命のあぶない人がありましたら、あげてください。そうすれば、きっとあなたは、こんなところから出られるようになるでしょう。」
と云って、その薬をそっと手わたして、いってしまった。
するとそのあくる日、にわかに御殿がえらいさわがしくなった。
王子が毒蛇にかまれて、命が危ないと云う。
王様はかわいい一人子だ、えらい心配で国中の名医者を呼んだが、効果がない。
王様は、国中にあふれを出し、
「もし、王子をすくうものがいたら、その人を大臣にする。」と、言われた。
そのことを聞いた、牢屋のその人は、前の晩ヘビからもらった薬を取り出して、それを飲んでもらうように、さしだした。
王子はそれを飲まれると、嘘みたいにけろっとなおり、危ない命が助かった。
王様は、大喜びで、訳を聞いてびっくりし、
「わしが変に疑ってすまなかった。人間のくせに、ヘビやキツネよりもおとった、若い男の言うことを聞いて、心のやさしいあなたを、牢屋に入れたりしたのは、まったくわしの間違いだった。かんにんしておくれ。」と、あやまった。
そして、すぐに若い男はとらえられて、牢屋へほうりこまれ、約束通り、その人を大臣に取り立てられた。
こんな心のやさしい人が、大臣になって、国をおさめるようになったので、その国は、とてもよくおさまって、よい国になった。
6
話はこれでおしまいです。
けれど、この人の心が、しんからやさしい事がわかりましたか。
心のやさしいその人が、大臣になられてよかったって。
うん、それはまあ、よかった。
けれども、そこのところで、みんなまちがった考えをもたないように。
と云うのは、大臣みたいな、えらい人になるために、心のやさしい人ならば、いけないと云うことと違うのです。
そこのところを、まちがわないように。
恩返しをする、ヘビやキツネにくらべて、わかい男が、恩をわすれて、かえって恩人に、お金をわけてくれと、おどかした。
そこのとこ、とんなに思ったか。
亀や、ヘビや、キツネにくらべて、本当にはずかしかった。
あんな人間に、なりたくないな。あんな人間は、人間のくずです。
心のしんからやさしい人なら、なってくれと云っても、あんな人間にはならない。
そこが、とてもよいことだけれども、なかなかむつかしい。
みんなも、きつい心が出てきたら、それを押さえて、やっぱり自分で、つとめて心のやさしい子供になるようにしましょうね。
いい子になるように。