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松戸行雄博士は日蓮仏教を禅宗的にするのか?

2021-12-12 13:09:28 | 日記
金原さん曰く
「師弟不二は人に向かって説くものではなく、自分自身の内側に向かって問い深めるものと思います」

信男さん曰く
「真の師弟は、師弟を説くよりも、『24時間、365日、師匠にいつでもお会いできる生き方』をするところにあると思います」

柴崎さん曰く
「自らの一凶と闘う苦しみを乗り越えなければ,信心があるとは言えないと,私はいつも思っています」

信男さん曰く
「『自らの一凶と闘う苦しみ』
心に染み込みます。」

このお三方に共通しているのは、自分の内面を見つめて反省することの強調と言えるのではないかと思います。これは、己心主義、止観や禅に向かう方向であり、インテリ、知識階層が好む言説です。松戸さんなんかは、この己心主義(宗教社会学でいう内在主義)の典型であり、まさに日蓮仏法の禅宗的解釈と言えると思います。
禅宗(臨済)では、殺仏殺祖を説きます。「仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ」──人間に外在する一切の「聖なるもの」(超越的な神仏等の「基体」やメシア等)の存在に依拠するな! あくまでも自己の内部のポテンシャルに「自己救済」を求めよ!という松戸氏の考えは、殺仏殺祖の禅宗そのものと言えます。
そこからは、妙法への帰命とは、戸田城聖への帰命である(『人間革命』第三巻)と説いた池田先生の思いは迷妄であり、個人崇拝の邪義邪説ということになります。
たとえ戸田先生でも、池田先生でも、己心の外の権威的存在が現れたら、己心の中で“殺さ”なければならない、否定しなければならない。
大聖人は、禅天魔と喝破されましたが、『御書の世界』では、その本質を増上慢と規定しています。

斎藤 「禅天魔」は、悟りを得たとして聖人のように振る舞い、武士などから尊敬されている禅僧に対する破折です。建長寺道隆など禅僧が、当時、鎌倉で幕府の権力者から重く用いられていました。
 池田 道隆は、北条時頼に用いられている。
 御書では、この禅僧を、大聖人迫害の元凶の一人に挙げられています。
 斎藤 「教外別伝」と言って経典を否定したり、未だ悟っていないのに悟っているように振る舞っている「増上慢」の面を、端的に「天魔」と破折されたものです。

この禅天魔、増上慢の松戸さんと同じ臭いを、縁起や空が大好きな金原さんにも、信男さんにも、柴崎さんにも、感じるのは私だけではないと思います。

 
はたして、師弟不二とは、金原さんのいう「自分自身の内側に向かって問い深める」というような小難しいことなのでしょうか?

また、実際に、先生の住む第二別館の広い庭の隅にある寮で警備員として暮らし、「24時間、365日、師匠にいつでもお会いできる」立場にあった信男さんなら、できるかも知れませんが、師弟不二になるには、こんな余計な思念、観念観法が必要なのでしょうか。
更に、柴崎さんのように、インテリがウジウジ「自分の内面は一凶に侵されてないだろうか」と悩み苦しみ、格闘することが師弟不二には、不可欠なのでしょうか。

私は、山内さんの「師弟不二とは生命の奥低で感応するもの」との意見に大賛成です。

師弟不二とは、生命の奥底における感応道交、合一、境智冥合、平たくいえば、意気投合、気が合うこと、呼吸が合うこと、阿吽の呼吸ではないかと思います。

池田先生とマンデラは、初めてあった瞬間から、意気投合です。久米宏のニュースステーション?で、マンデラが生き生きと嬉しそうな笑顔で、池田先生との出会いを語り、横で久米宏が苦虫を噛み潰したような顔をしていたのを昨日のことのように思い出します。師弟不二だと思います。

また、今年3月の第三回教学研究会で、闘病中の鈴木惠子さんが、池田先生と関わった生花の体験を通して、「先生と呼吸が合えば、どんなにすごい力が出てくるか、どんな不思議なことがおこるか」ということを話して下さいました。これこそ、師弟の感応道交であり、不二の姿だと思います。
また、金原さんの描いた「法難前夜」の絵のエピソードも、まさに師弟が感応した不二の姿だったと思います。

御書に、「かつへて食をねがひ渇して水をしたうがごとく恋いて人を見たきがごとく病にくすりをたのむがごとく、みめかたちよき人べにしろいものをつくるがごとく法華経には信心をいたさせ給へ、さなくしては後悔あるべし」とあるように、御本尊様!助けて下さい!で、我々、庶民は、いいのだと思いますよ。師弟も、これと同じだと思います。

お三方の言うような、己心を観じて、小難しい思念の操作をする必要はないと思います。ウジウジしてないで、スカッと行きましょう

師弟とは? 

波田地氏の資料引用です!





2021/12/06

2021-12-06 00:22:44 | 日記
仏陀の反権威


yamanoyokohama2050のblog

libra先生のブログから資料引用。池田氏の最終目標は反権威。はまず間違いない‼️

創価学会の52年路線とは何だったのか



現在の創価学会の体質の最大の問題点を一言でいうと権威主義である。世間では創価学会の査問とかスラップ訴訟とかがすでに問題視されているが、それらの事象はすべて創価学会の権威主義的体質に起因するものといってよいだろう。

今回は、なぜ創価学会がこのような権威主義的組織になりさがってしまったのかを考えるきっかけとして、創価学会の52年路線のことを少し振り返ってみたいと思う。というのも、わたしが見るかぎり、52年路線というのは明確に反権威主義の方向性をもっていたからである。このことを示すために、少し長くなってしまうが、昭和52年当時の創価学会の会長であった池田大作さんの講演の記録を引用しておきたいと思う。



学会の
「学ぶ会」との名称には、真の平等性、民主的意義が込められているということを銘記してほしい。既成宗教にはかならず教祖というものがいる。そして信者は、往々にして奴隷にも等しい献身を要求される。
 しかし、わが学会には、教祖というものは存在しない。あえていえば日蓮大聖人お一人がそのお立場である。そのもとに、われらは皆、平等なのである。もちろん、学会の創始者は先師牧口会長であるが、教祖などという存在は、わが学会のなかにはないのである。われらの間に、いわゆる位階といったものはない。手段としての組織は、現代社会にあってはとうぜん必要になってくる。しかし、それは人間を手段、部品とするものではない。その組織上の役職の相違はあるが、これは先輩、後輩の同志関係である。
「御本尊」と「御書」を根本に、互いに切磋琢磨しつつ、日蓮大聖人の仏法の真髄とは何かを学び、文化と平和に根源的な寄与をしゆくのが、わが創価学会の本義である。
〔中略〕
 神秘性をまとい、民衆を幻惑してきたのが、これまでの多くの宗教の歴史過程であったといってよい。深遠にして高邁なるものをそなえているように見せかけて民衆を従属させ、民衆を思うがままに操ってきた、これまでの宗教のあり方は、まさに〝宗教悪〟といってもよいだろう。
 われわれは、どこまでも権威主義を排して「御本尊」と「御書」を根本にしていくのである。“
(第三東京男子部勤行会〔昭和52年2月21日 東京・創価文化会館〕、池田大作『広布第二章の指針 第9集』、聖教新聞社、1977年、pp. 222-225)
ここに引用した池田さんの発言には反権威主義の思想が語られている。それまでの創価学会は、教義の理解という点において日蓮正宗という権威を絶対視してきていたのであるから、池田さんのこのような発言は実に大胆であったというべきである。当然、池田さんのこのような発言は、日蓮正宗の側からすれば、自らの権威に対する挑戦に見えるわけで、日蓮正宗がこのような創価学会の主張を容認するはずはなく、創価学会と日蓮正宗は大いにもめたのである。結局、この時は、創価学会が日蓮正宗の権威に屈してしまい、昭和53年11月7日に「お詫び登山」し、昭和54年4月には池田さんは会長を辞めている。

おそらく、この権威主義との最初の戦いに敗れてしまったことが、創価学会の権威主義的体質への転落の第一歩であったのだとわたしは思う。創価学会は、この敗北の後に日蓮正宗と再戦することになるわけだが、その戦いは、結局のところ、権威主義と反権威主義の戦いなどではなくなっており、新旧の権威主義の戦いでしかなかったと評価せざるをえないのだろう。創価学会は日蓮正宗との再戦に勝利したとはいえるのだろうが、その結果、創価学会の視界には自己と緊張関係にある他者の存在がいっさい欠落することになってしまった。皮肉なことに、創価学会が権威主義的体質に堕するのを抑えていたのは、じつは日蓮正宗という権威だったという側面がもしかしたらあったのかもしれないのである。

もし、創価学会が日蓮正宗との再戦に勝利した当時に、日蓮正宗の教義(日寛教学)についてきちんと総括し、過去に日蓮正宗を代弁する形で自らが行った小樽問答などについても真摯に反省できていれば、その時点で、歴史学者や日蓮宗といったさまざまな他者が、自己と緊張関係にある存在としてきちんと視界に入ってきていたにちがいない。しかし、そうしなかったのが創価学会であり、今や、自己肯定感に浸りつつ「創価学会仏」などと平気でいってしまう権威主義的組織になりさがってしまっているのである。

最後に、引用しておいた池田さんの発言についてももう少しだけコメントしておこう。池田さんの発言は、組織論としては明確に反権威主義的であるが、日蓮や日蓮の著作物に権威を認める限りにおいては権威主義的であるともいえる。さらにいうと、日蓮じしんも経典に権威を認める限りにおいて権威主義的であるといえる。しかし、経典の作者たちが権威と認めるゴータマじしんはまったく権威主義的ではなかったのであるから(http://fallibilism.web.fc2.com/048.html)、池田さんの方向性をつきつめていけば、最終的には、反権威は間違いないでしょう‼