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お山にお宮がたちました

大阪巡礼 ⑥星田神社

大阪巡礼の最後は星田神社です。
星田妙見宮から車で15分くらいだったかな。。。
近いから行ってみようとなりました。



こちらの星田神社、創建年代は定かではないようです。
社伝によると、

肩野物部氏がこのあたりに住み着いたとき、この地に聳えていた1本の大杉に祖神である饒速日尊を祀ったのが起源と伝わる。

その後、物部宗家が滅んだ後、饒速日尊を公然と祀ることが憚られた時代に「交野大神」と名を変えて祀り続けられ、中世に入り神仏習合時代に「交野大明神」と改名されたと推察する。

1700年代になると、同じように祭神を饒速日尊から住吉四神に変更していた磐船神社の分霊を勧請し、立派な社殿を造営。

これが現在の星田神社の始まりと言える。

と説明されていました❣️



以下神社HPより

ご本殿には、伊弉諾尊が禊祓を行われた際に海中より出現された底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神、そして、神功皇后を祭神としてお祀りしています。総称して住吉大神と申します。

神代以来、遣隋使・遣唐使に代表される航海の守護神として崇敬を集め、また、王朝時代には和歌・文学の神として、あるいは現実に姿を現される神としての信仰もあり、禊祓・産業・貿易・外交の祖神と仰がれています。
また、住居守護、安産をはじめ様々な御神徳で御崇敬されている神様です。


その住吉大神ですが、日本書紀」や「古事記」の神代の巻での言い伝えには伊邪那岐命は、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命 を追い求め、黄泉の国(死者の世界)に行きますが、妻を連れて戻ってくるという望みを達することができず、ケガレを受けてしまいます。

そのケガレを清めるために海に入って禊祓いしたとき、住吉大神である底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと) 、表筒男命 (うわつつのおのみこと) が生まれたと記載されています。



本殿の横に赤い祠がありましたのでお詣りさせて頂きました。







星田神社のお詣りを終え、姉を近くの駅に送り届け四国に帰りました。
本当に楽しかったねと姉と話しました。



そしてそして、今回の旅で神様グッズが増えました。
それと、冊子のおかげで神様の学びも深まりそうです。
津野山の神様の元へお届けするお札も買い、
本当に充実した関西巡礼の旅となりました。

若い頃は何の興味も無かった神社仏閣詣り。
何故、年配の人は神社仏閣に行くのか不思議でたまりませんでした。
テーマパークやショッピングの方が楽しいのに。。なんてね。

それなのに、今やテーマパークやショッピングには興味無く、目にみえない何かを感じ、心に湧き上がる何かを求めて、神社仏閣に詣ることが私の楽しみになりました。

感合などといえないかもしれないけれど、その地に立つと、私の心が喜ぶ神社があります。
光を感じ、風を感じ、鳥や蝶が迎えてくれ、わからないなりに、わからせようとしてくれる存在が確かにその地にいらっしゃいます。
今回の関西巡礼は、有難いなとその恵みを肌で感じる事が多かった氣がしています。
懐かしいような優しいあたたかい感じです。

誰しも自分の中に親神様がいると言います。
その神様に好きになって貰える生き方をしないといけないと思ってます。

我欲を無くし、心を静かにして自分を見つめ、御魂を磨いていけるよう、精進していかねばと思います。






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