五番札所地蔵寺の門構えは素朴だった。私は素朴が好き。こちらは四番札所からもすぐ近くて板野町の羅漢地区に建っている。羅漢地区といわれるだけあって地蔵寺からすぐ近くの奥の院である五百羅漢堂には釈尊を中心にした五百羅漢が並んでいるようだ。これも勉強不足。帰ってから知った。汗
「五百羅漢」とは釈迦に付き従った500人の弟子たちのことをいうらしい。阿羅漢(あらかん)とも呼ばれていて、阿羅漢は仏の弟子として到達する最高位で、煩悩から解脱した聖者のことをいう。聖者とはいっても、彼らは仏ではなく人間なのでさまざまな喜怒哀楽の表情を浮かべているのが特徴で、必ず自分や身内など知っている人に似た顔があるといわれているようだ。
次にお詣りする機会があれば是非寄ってみようと思う。
御本尊 地蔵菩薩(延命地蔵)と、その胎内仏の地蔵菩薩(勝軍地蔵)。
本尊真言 おん かかかびさんまえい そわか
御詠歌 六道(ろくどう)の能化(のうげ)の地蔵大菩薩 導(みちび)き給えこの世後(のち)の世
こちらでは見事な大銀杏に感動した。秋の黄金色の大銀杏をみてみたいと思った。極楽寺の長命杉も凄いと思ったけど、こちらの樹齢800年といわれる大銀杏の美しさに見惚れてしまった。
姉とお詣りに行った千葉の葺不合神社の大銀杏も素晴らしかった。人間の寿命をはるかに超え、天変地異も乗り越え、何事もなかったかのように優しく清々しく凛とそびえたつ御神木に愛を感じる。だから御神木が大好き。
寺伝によれば弘仁12年(821年)、嵯峨天皇の勅願により空海(弘法大師)が一寸8分(約5.5cm)の甲冑を身にまとい馬にまたがる姿をしていると云われる勝軍地蔵菩薩を自ら刻み、本尊として開創したと伝えられる。嵯峨・淳和・仁明の3代の天皇の帰依が篤かった。宇多天皇の頃、紀州熊野権現の導師であった浄函上人が、熊野権現の託宣によって霊木に2尺7寸(約80cm)の延命地蔵菩薩を刻み、前述の勝軍地蔵菩薩を胎内に納めたという。
以上 Wikipediaより
山門を入ってすぐのところに修行大師像が凛々しく立っており、台座には大師の物語を描いた絵があった。
修行大師様御縁起之碑には空海さんの生き様を紹介しており、長い年月を経ても敬愛され続ける空海さんをもっと知りたいと思うようになった。