最初は、頭にいろんな事が浮かんできて、あれこれ考え込んだりしていました。
最近は、何にも考えてない真空の時を過ごしていたと感じることがあります。
無とか、空といった概念は、無になろうとか空になろうとか考えてる時点で違っているのかもしれません。
あとで気がつけば平穏な満たされた良き時間だったなと感じる事があります。
まだまだ初心者でありますが、一年前の坐をはじめた頃とは全く違うのです。
これもまた、不思議なものです。
坐は本当に深くて、継続は力なりです。
Apple社など世界の大企業が、瞑想の時間を仕事中に取り入れているのは大きな意味がある事だと思います。
思考は時に心を支配して妄想を生み、喜怒哀楽を呼び起こし、感情をぶらします。
日常生活においては、思考に支配されるのを止め、ある意味、直感で生きたいと思います。感性を研ぎ澄ましていきたいです。
人は生まれる前、誰もが母の子宮の中で守られてていました。
その子宮は羊水で満たされて、その水の中で両親の遺伝子🧬が絡み合い受精し、分裂を開始し十月十日で母と分離し生まれます。
その神秘を想像すると、確かに人間が人間を生み出しているのだけれど、その仕組みをつくった想像主の凄さを感じてしまいます。
全てがエネルギーで満ちた水である羊水の中で出会った精子と卵子が受精し、規則正しく分裂をし生命が誕生します。
生命は、教えられたわけではないのに、生まれると同時に呼吸を始め、五臓六腑は動き始めてくれます。
エネルギーに満ちた羊水は、受精卵を守り、完璧なまでに育ててくれ、誕生まで大切に人を包んでくれています。
世界の神話において、地球の誕生をこのように記してあります。
そもそもの初め、混沌の中に造化のきざしが見えながら、いまだ気と形が分かれる前、万事に名がなく動きもありませんでした。
そのときのことを知るものは誰もおりません。
やがて天と地が分かれ、神が世界を造り始めました。
母の胎内にいた時間は、何も無い混沌の中に、神の息吹が注ぎこまれ、母の母胎で守られ、誕生の時を待つかのような時間ですね。
神の力と父と母の遺伝子による誕生。
坐をして、自分を内観する時間は、何にもない空間に、ただ自分はエネルギーとしているのだという事を思い出す時間かもしれません。
その空間は、何もないけど全てあるといった感じで、我欲を無くし本来の自分に戻ろうとする試みなのかもしれないと感じています。
人間は小宇宙であります。
ならば、地球の誕生と人間の誕生、神の仕組みを坐によって自分をとことん内観して探究してみたいと思います。