やっと入院でき、検査が始まります。
どのような検査かというと、脊髄に腰椎穿刺をし、髄液の流れをみる薬を体内に入れるのですが、とても痛かったのを覚えてます。
それでも、無理解の中、一人彷徨っていた心の痛みを想うと、可能性に賭ける事が出来て幸せでした。
経験のない痛みでしたが、歯を食いしばり耐えました。
脊髄に薬を入れた状態でMRIを撮り髄液の流れと薬の残存率を確認しました。
私の場合、腰椎辺りから大量に髄液が流れ出ており、
それが画像でもはっきり確認でき、薬の残存率が7%だったので、硬膜が破れたことによる髄液漏に間違いないとの事でした。
健常者の場合は、40%〜50%くらい残存するようで、20%くらいでこの病の診断がおりる感じだったと記憶します。
私の髄液は、7ヶ月前の事故以来漏れ続け、循環すべき髄液は脳を満たす事なく、腰痛からそのまま流れ、脳はカラカラの渇水状態となっていたとわかり、自分の苦しみの感覚に合致しました。
髄液漏れの状態により、患者の症状にも幅があり、何とか日常生活を送っている方もいれば、寝たきりで移動は車椅子生活をされている方もいます。
硬膜化血腫を併発し命に関わることもあり、私はどこに落ち着くのかもわからなかったです。
今を生きるのがとてつもなく辛い、ただそれだけでした。
髄液に浮いていなければならない脳は下垂し、脳の位置を確認するために撮ったMRIでは頭蓋骨のテッペンと脳の間に空洞ができていました。
検査結果が出て、先生が病室に飛んできてくれ脳脊髄液減少症の確定診断です、明日から治療に移りますと仰ってくれました。
翌日、再び脊髄に針を入れ、自分の血液で傷口を塞ぐ治療を行いました。
自分の血液が、傷口を塞いでくれるか否かは運みたいなところがあり、努力でどうこうなるものでもなく、まさに神頼みでした。
治療後改善される割合は75%。
悪化する方も1割くらいいて、完治する割合は10%とありました。
神様お願い。。。
このままでは生きられない、だからお願い助けて。。
と藁にもすがる思いで祈りました。
ブラッドパッチという治療を終え、30分伏せたまま動かないようにしてくださいと言われたのですが、その間、涙が溢れてとまりませんでした。
これで生きられる。。。
やっと底なし沼から抜けられるかもしれない。
蜘蛛の糸が天から降りて来て私を救ってくれた。。。
ただでも体内に水分が少なくなっているから、本当は泣いたらダメなのに、涙が止まらなくて、どうしようもなかったです。
ここまでしなければ助からないなんて、過去にどれだけ多くの方が、天からの糸を待ちながらも、降りてくる術がなく、悲しく虚しく人生を終えたのだろうと想像しました。
今の時代に生きているからこそ、助かるかもしれない。
病気だったんだ、怠けてたわけでも、嘘ついていたわけでもないと証明されたと、
それまで誰にも理解されない、悲しみ、苦しみ、疎外感、それと込み上げてくる、色々な想いが涙となって溢れて止まりませんでした。
天使のような看護師さんが病室にいてくれました。
新人さんで注射も慣れてなくて、でも、その方が本当に優しくて、私の手をそっと握ってくれました。
その時、お医者さんが、
この姿を診てみろ!!と言ってやりたい。
と強い口調で呟かれました。
この言葉の意味が、その時はわからなかったのですが、
脳脊髄液減少症なんていう病気は存在しないという反対勢力が医師会の中にあり、
ブラッドパッチなどという可笑しな治療をしている先生方がいると、
一人の患者も治療した事の無い医師達が、
この治療に当たって尽力されている医師達を異端児とみなしている風潮があったと知りました。
その当時、ある一人の医師が、交通事故後に髄液漏となり、仕事も継続できないほど苦しみ、この病気の存在を認知し、ご自身の治療を経て医学会で発表されました。
その後、その先生の元に有志が集い、日本で10数名くらいのお医者様が、その治療を開始したのでした。
しかし、大半の医師は、事故でそんな事は起こり得ないと、嘲笑し見向きもしていなかったのでした。
そんな状況だったので、日本中から押し寄せてくる患者に向き合って治療をされているのは、数少ない病院の、そこに勤める本当に数少ないお医者様でした。
2万人に一人くらいの割合でこの病になるみたいで、交通事故や転倒、転落、出産といった身体に受けた衝撃後に発症するようです。
続く