八重垣(ヤエガキ)について出雲口伝より。
出雲初代大名持、八耳王の后は稲田姫というお方で、稲田姫は現在の須我神社の地に実家があり、そこから大宮に輿入れしたといいます。
その須我神社に八重垣について詠んだ和歌があります。

出雲散家(サンカ)の掟はヤエガキと呼ばれており、この歌の解釈は、出雲憲法喜びの歌であり、その要約が出雲口伝の書に紹介されていました。

つまり、この歌は、婦女暴行(一夫多妻)を禁じた掟(ヤエガキ)が特に良い法律であると喜び歌にしたとようです。




八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を
これは一般的には素戔嗚尊が詠んだ歌とされていますが、出雲口伝によると出雲族がつくった歌のようです。

出雲散家(サンカ)の掟はヤエガキと呼ばれており、この歌の解釈は、出雲憲法喜びの歌であり、その要約が出雲口伝の書に紹介されていました。
自分達イズモ族に暴漢(ヤクモ)はいない(ヤクモタチ)
婦女暴行(ツマゴメ)に対する憲法(イズモヤエガキ)がある
憲法を制定して、その憲法をいま手にして(ヤエガキツクル)
この憲法を守るぞ(コノヤエガキヲ)

つまり、この歌は、婦女暴行(一夫多妻)を禁じた掟(ヤエガキ)が特に良い法律であると喜び歌にしたとようです。

日本初の統一王国となった出雲王国は、同じ信仰を持つ各地域の連合体として成立し、その初代の王は人の話をよく聞き、八つの耳を持つ王、八耳王と呼ばれたといいます。
縄文時代は争いのない平和な社会であり、この出雲王国のことをいうようです。
次第に、他の地域に対抗勢力が現われ、王国の領土を脅かすことがあり、王家の兵士を中心に出雲兵の組織が調えられたといいます。
出雲王国は、その後滅亡し、日本神話によると、出雲の国譲りといった内容で伝わりますが、真実はかなり違うようです。
出雲散家とは、出雲王国が滅亡した3世紀以降に各地に散った王家の兵士の事で、「出雲散家(サンカ)」や「出雲忍者」と呼ばれた。
そのサンカの掟がヤエガキ。

出雲口伝を読み、かつて訪れた神社の情景を思い浮かべていました。
出雲だけでは無く、筑紫、吉備、大和、丹後などなど。
各地の神社で祀られていた御祭神が、今になって一気に繋がり、沢山訪れた神社の点が線になって日本の真実の歴史を辿っていた感じがしてます。
八重垣神社。
娘のお気に入りの神社になりました。
奥の院には鏡の池があり、池に紙を浮かべ縁占いができます。
私が浮かべた紙には
人は鏡
万象は師なり
とありました。

娘の紙には
貴方の中の
愛と光を思い出せ
でした。

私は愛と光と忍耐です。
娘の紙を見て、かつて、斎藤一人さんがこの言葉を唱えなさいと言っていたのを思い出しました。
愛と光、そして忍耐。
縄文時代の人々は神の信仰を大切にし、愛と光を大切に生きていたのではないかなと思いました。
世界が優しい和を尊ぶ社会になると良いですね。