はい喜んで❣️とご一緒します。





杉林を超えていきます。


ここ、ポイントです❣️

こんな木の橋を渡り、、



こんな梯子も降りて、(姉が水を飲んでますね)

こんな吊り橋も渡り(下は渓谷で、なかなか高いです。)


聖神社に到着です。

断崖絶壁の聖神社。

中にお入りくださいとあったので入ってみました。お不動様が祀られているようでした。

極めて魅力的なお兄様から教えてもらった秘境スポット ③聖神社は、車で市内から1時間くらいで登山口に到着です。
この赤鉄橋を横目に車を走らせます。

すぐ隣の横倉山は、安徳天皇が都を忍び従民と共に蹴鞠をして遊んだ場所として伝えられており、安徳天皇陵墓参考地として国の指定を受けています。
対岸聖神社入り口です。

川を挟んで聖神社に向かう参道があり、かなりの近道ですが、対岸から登らないと美しい聖神社を遥拝する事が出来ません。

しかし、対岸聖神社に向かう道はなかなかの修験道です。
入り口で、地元の方にお会いして、
あんたそれで登るがかね?
ときかれましたが後に納得しました。
もの凄いハードな自然アスレチックなんです。
それと、
あんたらは普通の人かね?
と聞かれたので、意味がわからなくて、
どういう意味ですか?
と聞くと、
ここはね、大学の教授とかテレビ関係の人が来たりするがよ。。
と言います。
それなら、私たち普通の人ですね🤭
(いやいや大学の教授もテレビ関係の人も総理大臣も皆んな普通の人ですよ😆)


杉林を超えていきます。


ここ、ポイントです❣️
対岸まで200メートルとあるのに、見落としてしまいました。。
実はこの根っこが目印。ここから対岸聖神社を遥拝できます。
目下ばかり向いて歩いてたから、遥拝しないまま、根っこの写真のみ撮って歩みを進めました。

こんな木の橋を渡り、、

こんな綱を掴みながらソロソロ降りて、、


こんな梯子も降りて、(姉が水を飲んでますね)

こんな吊り橋も渡り(下は渓谷で、なかなか高いです。)
高所恐怖症の人は厳しいかな。。。

そして自然のトンネルをくぐり


トンネルを出てきてもアスレチックは続きます。


あともうちょいですが、こんな鎖を伝って上がり、、



そして自然のトンネルをくぐり


トンネルを出てきてもアスレチックは続きます。


あともうちょいですが、こんな鎖を伝って上がり、、


こんな急な木で造られた小径を上がり


聖神社に到着です。

断崖絶壁の聖神社。
土佐にこんな投入堂があるなんて知らなかったです🤔

中にお入りくださいとあったので入ってみました。お不動様が祀られているようでした。

誰もいなかったので、姉は手を叩き、私は鈴をシャリンシャリンと鳴らし、神様来ましたよとご挨拶しました。

こちらにもお賽銭箱があったので手を合わします。


降りる時は対岸でない方から降りました。

山に咲いている植物はかわいいですね。
こちらには蕨やイタドリなどの山菜が沢山ありました。

磐笛を沐浴させてあげました💖

対岸でない方は凄い近道で、対岸から聖神社をみないまま、降りて来てしまったので、行きのハードな自然アスレチックの意味がわかりませんでした🤔

少し、山を車で上がると、花桃が咲いていて綺麗でした。
標識に津野町まで5キロとあります。
位置関係がわからなくて??でしたが、ここからも津野山に行けるのですね。

こちらで、聖神社についてもう一回調べると、対岸から上がって15分くらいで遥拝出来るとありました。
杉林を超えてすぐだと書いてあります。

クタクタだったけど、姉と相談して、15分上がって、わからなかったら降りようと話して再度山を登りました。
そしたら、なんかみえて来た😂
1回目は、どの方向に聖神社があるかもわからないまま、足元ばかり見ていたけど、2回目になると余裕もできますね。
まわりを見る広い視野を持ちなさいと教えてもらいました💖

この根っこがポイント👍
行きの時は力強い根っこだと写真だけ撮って進みましたが、違います‼️
ここをロープに沿って少し降りるんです‼️

そしたら、ほら、聖神社の全景がみえました。

そしたら、ほら、聖神社の全景がみえました。
嬉しい🥹🥹🥹
しんどかったけど来て良かった✨😂

姉と2人で暫く座って感動していました。
誰がどんな思いで、こちらに神様をお祀りしたのか。。。
いらっしゃるのは、お不動様ですか?

姉が鈴を鳴らしやというので、この山の神様すべてに届いて❣️とシャリンシャリンと鳴らしました。


姉と2人で感動が身体から溢れて暫く動けなくなりました✨🫧✨

しんどすぎた2週目の山登り、
諦めずもう一回試みて上がって良かったね。。。🥹🥹
としみじみ。。。
最初、ドローンでしか全景はみえないのじゃないかなと半分諦めかけてたけど、こちらからは美しい聖神社を遥拝できました。

いったい誰がどんな目的でこちらに投入堂を建てたのか??
こちらは平清盛の孫で、母の徳子と共に入水自殺をしたと言われている安徳天皇が、実は生き延びて、このすぐ近くにある横倉山で暮らしていたといい伝えられている地であります。
(そのように云われている地はたくさんあるようですが、個人的にはこちらが有力だと勝手に思ってます。。)
上にリンクしたホームページのこちらが気になるので貼り付けますが、鏡は金比羅様へ、不動尊像は無くなりとあります。

この今ある聖神社を建てたのは、長州の大工さんのようです。
お山の神様のある津野山も、聖神社のある越知(おち)町から近く、山口から逃れて来た平家の落人が沢山いたと聞いた事があります。
私の祖先も辿れば平家の落人の生き残りかもしれません。
源氏から逃れ逃れ、人里離れ、ひっそりと山の中で生き延び、大切なものを命懸けで守るために、自然に不動尊を託したかもしれない。。。
そんな、遠き昔の人の想いがあるのではないかと想像力を膨らませて勝手にジーンときてしまいました🥹
真実はわからないです。ただの空想かもしれません。
でも、ここに投入堂を建てた人の想いはいかばかりかと想像します。
その心が時代を超え、令和を生きる私に、信仰の大切さを教えてくれました。
こちらにお詣りできて本当に良かったです。
お兄様有難うございました✨🥹✨🥹✨🥹
姉との高知旅は一旦おしまい。。