2013年の新聞広告クリエイティブコンテストで最優秀賞をとった広告コピーです。
作者は山崎博司さんという方みたいです。。
桃太郎に退治された鬼の家族は悲しくてこうして泣いてたのでしょうね。
子供の頃に読んだ、あの有名な日本昔話の桃太郎のお話とは違う芥川龍之介の桃太郎。
めでたしめでたしではなくて、桃太郎英雄伝説とは違う内容に、少し長いですが違った視点を感じる事ができ、読んでみると面白いです。
英雄伝説は子供の頃に日本昔話に盛り込まれ、
桃太郎は善⭕️ 鬼は悪❌
と刷り込まれてるから、中立になるためにはこういう視点も必要かな。
桃太郎のモデルとなった吉備津彦
鬼のモデルとなった温羅
この双方を自分の目で確かめたくて、桃太郎伝説で有名な岡山県に、車を飛ばして行って参りました。
実は、ずっと吉備津彦神社と吉備津神社が気になってました。
岡山県は、高知から車でたったの2時間と近い事もあって、思い立ったら吉日、その日の朝に決めて行ってみることに。。。
5月の繁忙期を乗り越え、6月は仕事が急に暇になる一年で一番自由なゆとり月。
解放感もあり、私の大好きな季節です。
鬼とされた温羅が築いたとされる鬼ケ城(物語では鬼ヶ島)に向かいます。
ビジターセンターにて古代山城の展示がありました。


いよいよ鬼ケ城に向かいます。


西門の復元ですが、西門跡は極めて良好な形で残っており、これだけ素晴らしい建造物がこんな山の高いところにあるなんて凄いとしか言えません。


西門を潜って城壁内からみるとこんな感じです。


2時間コースや4時間コースなどルートは色々あるのですが、西門から入って林間コースを歩いて展望台を経て北門へ行き、帰るルートを歩くことにしました。


途中、礎石総住建物跡に立ち寄りました。
此処には間違いなく、かつては建造物があって、人が住んでた居住跡がありました。


展望台に到着しました。
とてつもなく残忍な手法で鬼退治した桃太郎。
以下Wikipediaより
伝承によると、温羅は異国から飛来して吉備に至り、製鉄技術を吉備地域へもたらして鬼ノ城を拠点として一帯を支配したという。
吉備の人々は都へ出向いて窮状を訴えたが、温羅はヤマト王権が派遣した武将から逃げおおせて倒せなかった。このため崇神天皇(第10代)は孝霊天皇(第7代)の子で四道将軍の1人の五十狭芹彦命を派遣した。
討伐に際し、五十狭芹彦命は現在の吉備津神社の地に本陣を構えた。
温羅に対して矢を1本ずつ射たが温羅はその都度石を投げて撃ち落とした。
そこで命が2本同時に射たところ、1本は撃ち落とされたが、もう1本は温羅の左眼を射抜いた。すると温羅は雉に化けて逃げたので、五十狭芹彦命は鷹に化けて追った。
さらに温羅は鯉に身を変えて逃げたので、五十狭芹彦命は鵜に変化してついに捕らえたところ温羅は降参し「吉備冠者」の名を五十狭芹彦命に献上した。これにより五十狭芹彦命は吉備津彦命と呼ばれるようになった。
討たれた温羅の首はさらされることになったが、討たれてなお首には生気があり、時折目を見開いてはうなり声を上げた。
気味悪く思った人々は吉備津彦命に相談し、吉備津彦命は犬飼武命に命じて犬に首を食わせて骨としたが、静まることはなかった。
次に吉備津彦命は吉備津宮の釜殿の竈の地中深くに骨を埋めたが、13年間うなり声は止まず、周辺に鳴り響いた。
ある日、吉備津彦命の夢の中に温羅が現れ、温羅の妻の阿曽媛に釜殿の神饌を炊かせるよう告げた。このことを人々に伝えて神事を執り行うと、うなり声は鎮まった。その後、温羅は吉凶を占う存在となったという(吉備津神社の鳴釜神事)。この釜殿の精霊のことを「丑寅みさき」と呼ぶ。

鬼とされた温羅の気持ちを考えると段々悲しくなってきました🥲
ここまで桃太郎は温羅を退治しに来たんだ。。。
いったい温羅は何をしたと言うんだろう??
漠然と桃太郎は正義で、鬼は悪だと刷り込まれた子供時代。
子供の心はあまりに純心で疑う事を知りません。桃太郎は勇敢で正義の味方なんだ。。。と。
今はね、簡単に情報を得られる時代です。
先入観を捨て、自分で感じた事をストーリーとして書き替える事ができます。



今回、岡山県に来たかったのは、桃太郎に手を合わすというより、温羅に手を合わしたかったから。


これだけの城を構え、門を構え、多くの人々の力がないとこんな凄い建造物は建てられません。。。
鉄の技術を教えて、民を豊かにした温羅は、地元の人には慕われていたと思います。

大和朝廷にまつろわぬ勢力として鬼とされ、首を晒され、犬にそれを食べらせるまでして、
逆らうとこうなるよ
と民に植え付けたのじゃないかななんて思ったりしたのでした。
温羅の出自については出雲渡来説・九州渡来説・百済渡来説・加耶渡来説・新羅渡来説など複数の伝承があるようです。
この中で、私はタタラ製鉄技術を伝え、民に富をもたらした観点から
スサノオ→秦→新羅→日本
といった新羅渡来説なのかなと考えます。
百済渡来説も言われますが、大和朝廷と手を結んでいたのが百済ですから、百済とは考えられなくて、温羅の羅の漢字からも新羅かなと思います。私の考えなので間違ってても許してくださいね。
妻は阿曽媛(あそひめ)といい、阿曽郷(現・総社市阿曽地区)の祝の娘。
この娘の親は温羅との結婚をとても喜んだといいます。そうだとすると、私達がイメージしてる鬼とは違いますよね。
温羅の弟は王丹(おに)といいます。
お名前からもスサノオ様の縁ある一族なのかな??なんて思うんです。
長い年月が過ぎ、日本🇯🇵が一つになり、部族が戦い領土を取り合っていた時代の感覚は、今の日本人にはゼロになりました。
でも世界をみると、領有権を争う戦争は起こってますよね。
国が一つになった日本において、このような話は今となっては、
それがどうした??
という事になりますが、太古の昔ではありますが、その時代に生きた人の理不尽な死への悲しみは、長らくこの地にあったんだろうと思います。
神様の世界にも同じようなお話がありますよね。
この世に起こることは転写なのだと思いました。
だからこそ、この世を美しくすることが人間に出来ることですね。
吉備津神社には鳴釜神事という神事があり、妻の阿曽媛の縁ある方が守られています。
では、その鳴釜神事が行われている吉備津神社に続きます。