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お山にお宮がたちました

建仁寺 六波羅蜜寺

日向大神宮のお詣りを終え、主人が建仁寺が近くにあるというので行ってみる事にしました。

夫は歴史好きなので色々知ってて、建仁寺には風神雷神図があると教えてくれました。
そうなんだ。。。じゃあ行こうとなり、ホテルからも近かったので車で向かいました。

京都は凄い人でした。
でも、有難い事に建仁寺のすぐ近くの駐車場が空いていて、そちらに車を停める事が出来ました。





綺麗に手入れの行き届いたお寺です。



教科書でよくみた風神雷神図です。





どうやら、本物は東京国立博物館にあって、本物とそっくりな複製とのことですが、本当に素晴らしかったです。



世の中にはやってはいけないことをする人もいるから、国宝をあんな保管で大丈夫かなと夫に話したら、本物ではないと。。。
そりゃそうですよね😅



寺の中には素晴らしい襖絵が沢山あり、日本の良さを感じることができました。

これほどまで素晴らしくはないけど、昔は襖や障子があって、畳の間があり床の間があり、こんな感じの家でしたよね。
田舎のおばあちゃんの家も、畳があって、襖があって、天井もこんな感じで。。
子供の頃は、畳に川の字になって布団を敷いて寝てました。





庭園も素晴らしいですね。
日本の良さが残っていて、ほっとします。





こちらの天井には双龍図が描かれてありました。


歴史の古いものではないようですが、素晴らしくて圧巻でした。
まるで、本物の龍神様が、ゆっくり動きながら下を眺めているようでした。









建仁寺をみてから、隣にある六波羅蜜寺に歩いて向かいました。
六波羅蜜寺は、お遍路で空也上人を知ってから、いつか是非訪れたいと思っていたところです。

行動すれば叶いますね。


Wikipediaによれば
創建年は定かではないが、平安時代の歴史書である『扶桑略記』によれば、踊り念仏で知られる市聖の空也が平安時代中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称したという。
空也は疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。






以前、東京国立博物館にて空也上人展がやっていたようで、主人は出張の際に一人で観てきたようですが、今回は、同じものの展示を六波羅蜜寺で観ることになります。


画像はお借りしました。

空也上人が念仏を唱えると口から阿弥陀様があらわれたという伝説の有名な像です。

また、こちらには、閻魔様や三途川(葬頭河)で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の奪衣婆の像があったりしました。

こちらも画像はお借りしました。

以下Wikipediaより

日本の仏教では、人が死んだ後に最初に出会う冥界の官吏が奪衣婆とされている。
奪衣婆は盗業を戒めるために盗人の両手の指を折り、亡者の衣服を剥ぎ取る。
剥ぎ取った衣類は懸衣翁という老爺の鬼によって川の畔に立つ衣領樹という大樹に掛けられる。
衣領樹に掛けた亡者の衣の重さにはその者の生前の業が現れ、衣が掛けられた衣領樹の枝のしなりぐあいで罪の重さがはかられ、その重さによって死後の処遇を決めるとされる。

奪衣婆を眺めながら、真面目にこういう世界があると信じているので、悪いことはせられんなと思いました。
この世で犯した罪は生きてる間に返せたらまだ救われ、バレなきゃ良いは無いと思ってるんです。

天知る 地知る 人知る 我知る。
天網恢恢疎にして漏らさず。

何もかも、何をしたか、何を思ったか、自分が一番知ってるんですよね。
全て自分に返るから、自分をしっかり監督し、起こってしまったことに対しては、反省すべきは反省し、余計な雑念を起こさずサラサラと流し、あとは天にお任せです。

宇宙の歴史からみると、ほんの少しの間、魂を磨くチャンスを与えられ、今を生かされているとしたら、起こった事全て、水の流れの如く、澱むことなく、流していけばいいですね。

まだまだ未熟なので、自分を監督し、日々反省しないといけないと思ってます。

奪衣婆の像を前に、善悪を天秤⚖️で測ったとき、少なくとも善に傾く人で、今生を卒業しなければと思いました。。。


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