高知市内から車でおよそ1時間半。高知県香美市物部町の、いざなぎ流大祭が行われる祈祷所に辿り着きました。

お兄様の運転にて連れて来てもらいました。
道も狭くて、運転して頂いて有り難かったです。
お兄様はどんな人にもお優しくて、津野山出身の母のお友達なのですが、今では母が居なくても、私とご一緒してくれるくらい、私ともすっかり仲良しです😆
川が流れ、山に囲まれた癒しの空間に、いざなぎ流祈祷殿がありました。

太夫さんが山の方向に向かって法螺貝を吹きます。織りなす音色が自然に溶け込みます🫧✨
お優しい、神様のようなお顔の太夫さんです🥰

いざなぎ流の御神楽は、これを頭にかぶって、舞を踊るみたいです。。。

祭壇には、白山比咩神社や出雲大社のお札が祀られてたり、牛頭天王や薬師如来の掛け軸があったり。
榊に御幣にいざなぎ流祝詞の奏上。お坊さんのような身なりの方もいらっしゃいます。
天井裏は大切みたいですね。


振り返ると四国別格二十霊場の額があったり、空海さんが祀られてたり、神仏混合が色濃く残り、全ての本物の信仰(神交)は自然と交わり天に通じるのだと思いました。
優しい祝詞に、太鼓の音が響きます。
何とも居心地の良い空間と時間なんでしょう🫧✨🫧✨

全てのお祀りが終わって、餅投げが始まりました。
知る人ぞ知るなんでしょうね。村の人が子供も含めて何十人か集まって来ます。
結構な数のお餅を太夫さんが投げてくれます。

頑張ったわけではないのですが、目の前のを12個も拾ってました😆
姉は23個も拾ったみたいです😳
頑張りすぎやろ。。。と思ったのですが、姉曰く
ふっと我に返って、最後の方は子供にあげてたと言ってました。
最後までやりきったら歳の数は拾えたというから大笑いです。
どうせ東京に帰るし、持って帰らんのに何してるの?と、途中から急に我に返ったようです。
本当にオモシロイ人のです😂
お餅拾いなんて久しぶり❤️
楽しかったぁ。。。

いざなぎ流大祭にて、優しい神様の氣を感じました。
山に囲まれ、川が流れ、この地には神様のエネルギーが満ち溢れていて、物部に縁ある地域の人が集まって祈りを捧げていました。
帰りは、各自が拾ったお餅と蘇民将来と書いた紙垂のついた榊を、お裾分けとして頂いて帰るのです。
そういえば、丁度今、京都の八坂神社では祇園祭りが開かれていますね。
その同じ時期に、この田舎にて、いざなぎ流大祭が執り行われるなんて。。。ステキです。
蘇民将来、素戔嗚様、牛頭天王。
古来から続く信仰は素晴らしいです✨🫧💖

そこには、長年伝わって来た確かな人々の信仰がありました。
そして、お金を要求しない本物の優しい神様がいらっしゃって、その大自然の神々が、そこに居る地域の人と優しく交わっているのを感じました。
田舎のおんちゃん、おばちゃん(私もおばちゃん😆)、お餅拾いを楽しみにやって来た子供やそのお母さん。
長年、この大祭に参列しているであろうお爺ちゃんやお婆ちゃんなどなど。。。

何の物の怪が怖かろう。
一番怖いのは人間ぞ。
この新聞に、太夫の仕事は神様を喜ばせるサービス業とありました。
太夫さんは普段、農業をしたり別の仕事をしていたりするのです。
本物は素朴です。
誰も不幸にしません。
人を教祖にし、お金集めをする宗教は違うと思います。
神は自然の至る所にいます。
そして、神は全ての人の中に、わけ御霊としています。
お金を沢山持ってこいという団体は世の中から退場して欲しいです。
巧みな言葉でそれらしい教義を作り、神の名をを利用し、人の弱みにたかる寄生虫に気をつけないといけません。
人は人です。神ではありません。お金に目が眩み、金の亡者になる人は世の中に沢山います。
神様は神様であり、人ではないからお金は求めないのです。
人に喜捨をすすめ、陰でそのお金を握りしめる教祖を神と思ってはいけません。
自分の中の神が悲しみます。
神様は人に幸せになって欲しいと思ってくださっていると思うのです。
大自然のあらゆるところに神様はいらっしゃって、自然の運行を司り、人々に生きる為に必要な全てを与えてくれています。
それを肌で感じることができた、この、いざなぎ流という文化に触れ、この重要無形民族文化財が未来永劫続いてほしいと心から思いました。