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お山にお宮がたちました

いざなぎ流大祭①

7月17日はいざなぎ流大祭の日。

随分前に、秘境&スピリチュアルスポットを教えてくださったお兄様に、旧物部村にて、いざなぎ流大祭が開かれることを教えてもらい、是非同行したいとお願いしてました。
お兄様は4年前に偶然前を通りかかったら餅投げをしていて、この大祭のことを知ったと言います。凄い方です‼️
偶然なんてあり得ないから呼ばれたんでしょうね💖
一年に一回、偶然通りかかるなんて、あり得ないくらい、とんでもない秘境の地にこの場所はあるのです。
お兄様に聞いて、大祭の事を知ってからずっと行きたいと思っていました。

東京から丁度、姉も帰ってきてたので、私と姉とお兄様で遥々、香美市物部町(かみし→神✨)に行ってまいりました。

物部という町名ですが、饒速日命と長髄彦の妹の子である、ウマシマジの子孫が物部氏の祖となったので、その系統かなと想像してます。
高知県は間違いなく賀茂一族が海を渡り逃れ、神への祈りを伝えた地であると思ってます。

いざなぎ流とは。。。
物部川上流の物部村に守り伝えられて来た極めて古い民間信仰です。
遡ること平安時代ともいわれます。

日本に生まれ、経文の修行を始めた天中姫宮が、人を救うための祈祷(呪術)を求めて天竺に渡り、天竺の「みよし川」の川上に住む「いざなぎ大神」から、人形祈祷や弓祈祷などの祈祷法を習い受けて日本に伝えたという事が語られています。

私のお客様のご親戚に、もう5.6人しか居なくなったという、いざなぎ流の太夫さんがいらっしゃって、家の祈祷を何日もかけて、その太夫さんにしてもらったというお話を聞いた事がありました。
それから、私の耳にいざなぎ流という言葉が残っていました。

神様から了解が出るまで、1週間でも10日でも、神様への祈祷は続くようです。御幣を切りに行った話も聞いたかな。。。

以下Wikipediaより

いざなぎ流は、土佐国で独自発展した陰陽道の要素を含む民間信仰である。伝承によれば、天竺(インド)のいざなぎ大王から伝授された24種の方術に基づくとする。法具は無く、儀式の都度にそれに応じた定式の和紙の切り紙(御幣)を使う。民間信仰ではあるが、祭祀の祝詞・呪文は体系化されて定式的に伝承されている。

祭儀は太夫と呼ばれる神職によって執り行われるが、太夫は家元制度や世襲でもなく、特定の教団組織もなく、男女の性別も問わない。地域の中の適格者と認められた人物が膨大ないざなぎ流の祭文と祭礼の様式を伝承する。

中世の京都で発展した陰陽師の家元である土御門家や賀茂氏とは歴史的な直接の関連性が確認されない状況が長らく続いたが、近年になって物部村の民家から土御門家による免許状が発見されたことで、江戸時代には土御門家から地方で独自発展した陰陽道の流れを汲む信仰と公認され、太夫も地方の民間陰陽師として認可されていた事は明らかとなった。

少し時間があったので、お兄様が、祈祷所の近くにあるいざなぎ流を説明している展示場に寄ってくれました。

人の手で作った御幣や祈祷の説明文、写真が展示されています。
こちらがいざなぎ流祭壇です。全て手作りです。まさに自然そのもの。真心の祭壇✨✨



説明文です。まさに自然信仰。




そして人の手で真心を込めて作った御幣。
二百種を下らないほどの御幣が伝承されています。
山の神、水神、地神、荒神、おんざき、八幡、恵比寿、みこ神、おん竜、めん竜といった数々の神格が切り分けられ飾り立てられます。










いざなぎの祭文、山の神の祭文、大土公の祭文、地神の祭文、荒神の祭文、恵比寿の祭文、水神の祭文のいざなぎ流7通りが基本となる祭文であり、この祭文は神を喜ばせるためのもの=回向の祭文のようです。



いざなぎ流の神話的、儀礼的世界観はまさに物部の森の如く深く果てしなく広い宇宙のようだといわれているようです。

この素晴らしい伝統的な民間信仰が、今まさに消滅の危機に瀕しており、これをどのような形で後世に伝えていくかが問われていると紹介されていました。



前置きは長くなりましたが、大祭に向かいます。

続く。。。
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