最近、町会の組長をしているのですが、回覧板に変な書き込みをしてくる人がいて、
多分お年寄りだと思いますが、非常に不快でした。
自分の気持ちも、なんとなくこの暑さやらで、落ちているのを感じていました。
でも、いつもなら、色んなポジティブに変換しようとするのを、今回は流されてみようと思いました。
今日の朝、頭の中に、「信」という墨で書かれた大きな文字が浮かびました。
両目から涙が出て、もう逃げられないと思いました。
大げさですが、「自分を信じる」という大切なことから、逃げてきたように思います。
「私だから、大丈夫。」
「私だから、周りの人たちも良い人。」
「私だから、楽しい人生を送れる。」
「私だから、愛されている。」
たったこれだけの言葉を信じられないのか。
信じるために、努力を重ねてきて、やっぱり今、幸せなんです。
でもそれは、親の努力だったり、ご先祖様の徳だったり、自分が頑張ったからだと思っていました。
そして、それを続けていかなければと思っていました。
でも、何もなくても、証明しなくても、今自分が幸せということは、
そもそも愛されている、憂いのない自分が、厳然とあったということ。
「自分に護られて、自分は生きてきた。」
初めて、こんな言葉が出てきました。
自分の中にある素晴らしい自分。
みなさんの中にある、神性なる自分。
それが、それぞれを、護り、導いてきた。
もちろん守護霊様の力もある。
でも、自分だったからここまで来れた。
それは、わたしが素晴らしかったから。
それは、あなたが素晴らしかったから。
それをずっと信じられなかったし、
受け入れられなかった。
でも、天国にいる父が、教えてくれたのだと思います。
人が死んで悲しい。でも、大いなる味方が天にまわって、
わたしを助けてくれる。
そう思えるようになりました。
多分お年寄りだと思いますが、非常に不快でした。
自分の気持ちも、なんとなくこの暑さやらで、落ちているのを感じていました。
でも、いつもなら、色んなポジティブに変換しようとするのを、今回は流されてみようと思いました。
今日の朝、頭の中に、「信」という墨で書かれた大きな文字が浮かびました。
両目から涙が出て、もう逃げられないと思いました。
大げさですが、「自分を信じる」という大切なことから、逃げてきたように思います。
「私だから、大丈夫。」
「私だから、周りの人たちも良い人。」
「私だから、楽しい人生を送れる。」
「私だから、愛されている。」
たったこれだけの言葉を信じられないのか。
信じるために、努力を重ねてきて、やっぱり今、幸せなんです。
でもそれは、親の努力だったり、ご先祖様の徳だったり、自分が頑張ったからだと思っていました。
そして、それを続けていかなければと思っていました。
でも、何もなくても、証明しなくても、今自分が幸せということは、
そもそも愛されている、憂いのない自分が、厳然とあったということ。
「自分に護られて、自分は生きてきた。」
初めて、こんな言葉が出てきました。
自分の中にある素晴らしい自分。
みなさんの中にある、神性なる自分。
それが、それぞれを、護り、導いてきた。
もちろん守護霊様の力もある。
でも、自分だったからここまで来れた。
それは、わたしが素晴らしかったから。
それは、あなたが素晴らしかったから。
それをずっと信じられなかったし、
受け入れられなかった。
でも、天国にいる父が、教えてくれたのだと思います。
人が死んで悲しい。でも、大いなる味方が天にまわって、
わたしを助けてくれる。
そう思えるようになりました。