二百まで
「京子お姉ちゃんとパパがいないと
なんだか暗いね」
夕食のときに圭吾が言った言葉に
わたしはうろたえました
お客様が帰って
いつもの我が家
早くしなさいと急かした夕食
傷つきながら
その通りかもねと
謙虚に受け止めようと思ったとき
いきなり圭吾が言いました
「お母さん
二百歳まで生きてね」
こんなママでもいいのかな
怒った顔でご飯食べてるママでも
いいのかな
口々に
二百歳まで生きてねという子供たちに
背中を撫でてもらってるような
そんな気持ちになりました
「ああ。いいよ!!
二百まで生きるよ」と
男らしく応えるわたしがいて
時間が限られていることも
知りました・・・
未来に行くことも出来ない
過去に生きることも出来ない
今しかない
今も過ぎ去ります
叱ってばかりのママです
でも
自分が死ぬまで
一緒にいて欲しいと
無条件で言ってくれた
日々
無条件の愛を
目の前で見せてもらっています
花が咲いたよ
摘んできたよ
学校からお野菜とってきたよ
美味しい?ママ
綺麗でしょ?ママ
ママ大好き
あなたがたの愛に
半分も応えられてないかもしれないね
せめて
二百まで生きるよ
大きな手と
枯れた手になるかもしれない
でも
最後まで
しっかり握ろう
二百まで・・・
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沢山ある子育ての醍醐味の一つは、「歳の差が山ほどある人から、無条件の愛をもらえる」
ということです。
向こうは、こちらの気持ちや大変さは、わかりません。
でも、小さなその人たちは、いつでも均一な目でわたしを真直ぐ見つめ、
いつ「お母さんのこと好き?」と聞いたとしても、「好き。」と答える、そんな人たちです。
今でもそう言ってくれます。
わたしは、200歳という歳を持っていれば、子供たちと最後までいられると思いました。
でも、そんな子供たちは、大学生の歳になり、次の自分のステージに思いを馳せています。
お母さんは大切な人。唯一の人。だけど好きな人が欲しい。自分だけの愛する対象、早く出てこないかな・・。
母は、それが喜びでもあり、肩の荷が下りたような気持ちでもいます。
何より、こういう詩を書かせてくれた彼らに感謝です。
拙い詩ですが、子供を持つ日々の風景を想像してもらいたく、
子供のいる未来を楽しみにしてもらいたく、
しばらく載せていきますので、立ち寄っていただければ光栄です。
読んでくれて、有難うございます。