アタシの中での 今回旅のひとつの目玉は 雲仙
所々に絶景が
もちろん 車を停めて
ここら辺もすごいんだけど
どれがどの山だか 全然分からない
でも スジ状に 木が少ないのは もしかして
火砕流のあとなのでしょうか
とにかく 山道を行きます
間違えて 戻ったりもします
どこかの展望台に着いたようです
ここも景色は素晴らしいです
平成新山と呼ぶのでしょうか 噴火後に盛り上がったのですね
さらに違う 展望台 仁田峠
大規模な人的被害をもたらしたのは1991年(平成3年)6月3日午後4時8分に発生した火砕流であり、
取材に当たっていた報道関係者16名 (アルバイト学生含む)、
火山学者ら4名(クラフト夫妻と案内役、アメリカ地質調査所のハリー・グリッケン(英語版))、
警戒に当たっていた消防団員12名、報道関係者に同行したタクシー運転手4名、
警察官2名、選挙ポスター掲示板撤去作業中の職員2名、
農作業中の住民4名の合わせて43名の死者 ・ 行方不明者と9名の 負傷者を出す惨事となった。
避難勧告区域に勝手に入り込み 取材を続けた報道関係者に傭車され
独断で避難できなかったタクシー運転手、
報道関係者が民家に無断で侵入し、コンセントの電気を無断で使用する等したため、
これを警戒すべく 一旦後方に下がりながらも 再度進出せざるを得なくなった消防団員、
警察官が、それぞれ巻き込まれる形で殉職した。
被害は、報道関係者が無視した避難勧告区域に収まっていた。
消防団員のほとんどが
地元農家の 跡取り息子だったため、その後の農業復興に甚大な被害をもたらした。
この火砕流以降、島原市など地元自治体は 強制力を伴う警戒区域を設定し
最大11,000人が避難生活を余儀なくされたが、
以降の犠牲者は1名に抑えられている。
被災地域では噴火活動の終息に伴い
堤防や地面のかさ上げ工事を実施し 一部地域を除いて住民が再び住める環境が整えられた。
写真の何倍も 肉眼では素晴らしい絶景の裏には
数々の悲惨な災害が今までに沢山あったのですね
ホントはね、
資料展示や記念館的な場所にも行きたかったのが本音ですよ ・・ 幹事さん
ドコで道間違えたかね~?