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天気 晴れ(起床時の気温 12℃) 日の出5:17/日の入り18:08



今日の朝刊













きょうは、ハローワークインターネットを自宅で検索して情報を掴んだ。
◆ももクロ (日経より)
TVでも紹介していた

「ももクロ」が発車メロディーに、埼玉・富士見の3駅
埼玉
2022年4月8日 15:19
発車メロディー導入に立ち会ったももいろクローバーZの高城れにさん(中央右)と佐々木彩夏さん(中央左)(8日、埼玉県富士見市の東武東上線ふじみ野駅)
埼玉県富士見市と東武鉄道は8日、人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」の人気曲を東武東上線ふじみ野駅など市内3駅の発車メロディーに採用した。グループの元メンバーが富士見市と縁があり、市内でライブ経験もあることから実現した。期間は2023年3月末まで。市はももクロを通じ、富士見市への関心が高まることを期待する。
同日、ふじみ野駅で発車メロディーの開始に立ち会い、一日駅長を務めたメンバーの高城れにさんは「電車に乗った方がメロディーを聴き、すてきな1日を過ごしてほしい」と笑顔。佐々木彩夏さんも「駅で私たちの曲が流れるのはうれしい。富士見市の皆さんとはこれからも仲良くしたい」と語った。
発車メロディーが流れるのはふじみ野駅のほか、みずほ台駅と鶴瀬駅。「走れ!」「行くぜっ!怪盗少女」など人気4曲が各駅のホームで流れる。今年5月末まで、ももクロのヘッドマークをつけた車両も運行する。22年に市制施行50周年を迎えた富士見市が、ももクロ側に企画を打診したという。
市などによると、ももクロの元メンバーである有安杏果さんが小学校時代に富士見市に住んでおり、17年には市内でライブを開催。有安さんはメンバーを脱退したが、ももクロはその後も市のPR特別大使として活動している。
◆藤子不二雄 (日経より)
藤子不二雄Ⓐさん、旺盛な好奇心で「まんが道」息長く
カバーストーリー
2022年4月7日 13:53
藤子さんが約70年の長きにわたって〝まんが道〟を歩み続けた背景には、旺盛な好奇心があった。少年誌に掲載した「プロゴルファー猿」はゴルフ好きから生まれたものだし、ブラックユーモアを感じさせる「笑ゥせぇるすまん」(初めは「黒ィせぇるすまん」)は「これまで描いたことのない作品を」という編集者の注文に応えたものだった。
周囲からの刺激も大切にした。「友人が私の財産です。仕事だけでなく、ゴルフ仲間やお酒の飲み仲間など遊びの人脈を大切にしています」。2002年、漫画家生活50周年のときの本紙インタビューで語っていた。20歳で上京したとき「相棒」の藤本弘氏(藤子・F・不二雄氏)と住んだのは、東京都豊島区のトキワ荘。寺田ヒロオ、赤塚不二夫、石森(後に石ノ森)章太郎らも住んでいて、切磋琢磨(せっさたくま)した。デビューまもないころ、里帰りした際に連載原稿を落とし、出版社から2年注文がなくなるという経験もした。その危機を乗り越えられたのは、藤本氏やトキワ荘の仲間のおかげと振り返っていた。
1964年に少年誌に連載した「オバケのQ太郎」が大ヒットし、その後も「忍者ハットリくん」「怪物くん」なども相次ぎテレビアニメ化された。もっとも「オバQ」より後は、藤本氏と別々に作品を描くようになり、87年末に「藤子不二雄Ⓐ」「藤子・F・不二雄」としてそれぞれ独立した。
生涯子供向けの作品を書き続け、96年に亡くなった藤本氏を「今も『ドラえもん』は世界中の子供たちに感動を与えています」と述べて尊敬する一方で、自身は大人向けのマンガも描いた。そこには芥川賞作家、柏原兵三の小説「長い道」を原作とする「少年時代」や漫画家を目指す2人の少年の物語「まんが道」といった自伝的作品が含まれていた。
「明日に延ばせることを今日するな」。2002年のインタビューでは、映画「アフリカの女王」に出てくる言葉が座右の銘とも話していた。一度干されたぐらいではへこたれない。その楽観主義も息の長い創作活動につながったのだろう。
天気 晴れ(起床時の気温 12℃) 日の出5:17/日の入り18:08



今日の朝刊













きょうは、ハローワークインターネットを自宅で検索して情報を掴んだ。
◆ももクロ (日経より)
TVでも紹介していた

「ももクロ」が発車メロディーに、埼玉・富士見の3駅
埼玉
2022年4月8日 15:19
発車メロディー導入に立ち会ったももいろクローバーZの高城れにさん(中央右)と佐々木彩夏さん(中央左)(8日、埼玉県富士見市の東武東上線ふじみ野駅)
埼玉県富士見市と東武鉄道は8日、人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」の人気曲を東武東上線ふじみ野駅など市内3駅の発車メロディーに採用した。グループの元メンバーが富士見市と縁があり、市内でライブ経験もあることから実現した。期間は2023年3月末まで。市はももクロを通じ、富士見市への関心が高まることを期待する。
同日、ふじみ野駅で発車メロディーの開始に立ち会い、一日駅長を務めたメンバーの高城れにさんは「電車に乗った方がメロディーを聴き、すてきな1日を過ごしてほしい」と笑顔。佐々木彩夏さんも「駅で私たちの曲が流れるのはうれしい。富士見市の皆さんとはこれからも仲良くしたい」と語った。
発車メロディーが流れるのはふじみ野駅のほか、みずほ台駅と鶴瀬駅。「走れ!」「行くぜっ!怪盗少女」など人気4曲が各駅のホームで流れる。今年5月末まで、ももクロのヘッドマークをつけた車両も運行する。22年に市制施行50周年を迎えた富士見市が、ももクロ側に企画を打診したという。
市などによると、ももクロの元メンバーである有安杏果さんが小学校時代に富士見市に住んでおり、17年には市内でライブを開催。有安さんはメンバーを脱退したが、ももクロはその後も市のPR特別大使として活動している。
◆藤子不二雄 (日経より)
藤子不二雄Ⓐさん、旺盛な好奇心で「まんが道」息長く
カバーストーリー
2022年4月7日 13:53
藤子さんが約70年の長きにわたって〝まんが道〟を歩み続けた背景には、旺盛な好奇心があった。少年誌に掲載した「プロゴルファー猿」はゴルフ好きから生まれたものだし、ブラックユーモアを感じさせる「笑ゥせぇるすまん」(初めは「黒ィせぇるすまん」)は「これまで描いたことのない作品を」という編集者の注文に応えたものだった。
周囲からの刺激も大切にした。「友人が私の財産です。仕事だけでなく、ゴルフ仲間やお酒の飲み仲間など遊びの人脈を大切にしています」。2002年、漫画家生活50周年のときの本紙インタビューで語っていた。20歳で上京したとき「相棒」の藤本弘氏(藤子・F・不二雄氏)と住んだのは、東京都豊島区のトキワ荘。寺田ヒロオ、赤塚不二夫、石森(後に石ノ森)章太郎らも住んでいて、切磋琢磨(せっさたくま)した。デビューまもないころ、里帰りした際に連載原稿を落とし、出版社から2年注文がなくなるという経験もした。その危機を乗り越えられたのは、藤本氏やトキワ荘の仲間のおかげと振り返っていた。
1964年に少年誌に連載した「オバケのQ太郎」が大ヒットし、その後も「忍者ハットリくん」「怪物くん」なども相次ぎテレビアニメ化された。もっとも「オバQ」より後は、藤本氏と別々に作品を描くようになり、87年末に「藤子不二雄Ⓐ」「藤子・F・不二雄」としてそれぞれ独立した。
生涯子供向けの作品を書き続け、96年に亡くなった藤本氏を「今も『ドラえもん』は世界中の子供たちに感動を与えています」と述べて尊敬する一方で、自身は大人向けのマンガも描いた。そこには芥川賞作家、柏原兵三の小説「長い道」を原作とする「少年時代」や漫画家を目指す2人の少年の物語「まんが道」といった自伝的作品が含まれていた。
「明日に延ばせることを今日するな」。2002年のインタビューでは、映画「アフリカの女王」に出てくる言葉が座右の銘とも話していた。一度干されたぐらいではへこたれない。その楽観主義も息の長い創作活動につながったのだろう。
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