私の生まれ故郷福島県相馬地方には「相馬野馬追」と
いう歴史あるお祭りがある。
私も子供の頃(小学三年まで)に観ていたので、自分も
大人になったら甲冑を着て参加するもの、と思い込んで
いたのである。
今年も開催光景(7月29日から31日)をテレビで観たが、
猛暑でへばった人々(83名)が救護を受けている場面と、
しゃがみ込んでしまった馬がバケツから水を呑まされてる
場面も映っていたので、馬を知る者として(馬の方が危険
なのに・・・)と心配したのだった。
だから、「再来年からは開催日を変更する方向で行く」と
主催者は言っていたが、(来年からだろ)と即座に思った
のだった。
熱中症で人は死なずに済んだが、馬は2頭死んだと云う。
競馬の場合、馬に異常があれば騎手が走るのを中止させ
るが、野馬追の場合は加減知らずで走らされたのだろう。
福島県隣りの山形県に「かみのやま競馬場」があった頃、
「野馬追に行った」という台詞は「馬肉になる」という意味
だった。競馬記者だった私が調教師や厩務員に「あの馬
は放牧に・・・」と訪ねると、「あっ、あれは野馬追」と答えた
ことを何回も経験していたのである。馬に食わせて貰って
いるんだから、馬肉とか屠殺とか口にしたくないのである。
(競馬場から牧場に行き、太らせてから馬肉になる場合と、
競馬場から野馬追に行き、もう一働きしてから牧場に行く
場合があるということ)
吾々は鯨にだって、馬にだって手を合わせる民族である。
それを忘れ去った人、そもそも考えない人が増えたようで、
何でも許されると思ったら大間違いである。
三重県「上げ馬神事」が一例で、不勉強が過ぎるのだ。
繊細な脚のサラブレッドにあんな障害を飛ばせること事態
クルクルパァの所業である。
愛媛・菊間町にも「お供馬の走り込み」があり、私も見学を
して当ブログで紹介しているが、「上げ馬神事」と同じ事を
しているが、安全性の高さは段違いである。
馬に乗る少年らにも悲壮感が全くなく、活き活きと馬との
触れ合いを楽しんでいるではないか。
上げ馬神事の関係者は、少しは見習うべきであろう。
野馬追に行きしは屠殺の隠語なり言はれて悲しき
吾のふる里 ぶん
《写真》
7年ほど前に菊間町「お供馬の走り込み」を見学した際に
撮影したもの。
【追記】
「再来年から開催日程の変更を・・・」としていた野馬追の
主催者が、「来年から変更出来ないものか」に変わったと
云う。是非、そうして頂きたい。