ホイッスルバード あいざわぶん

「宿泊はミンタロ・ハットに決った!」の巻

母を見舞うというより、最期を看取る為の山形行き。
そんな1100キロの道行きは辛く長いものである。

車はもうすぐ山形県に入ろうとしているのに、私は
まだ迷っていた。
さて、どこに泊まればいいものか。
妹宅に泊まれば、義理の母が怪訝に想うだろう。
「なぜ嫁の兄が我が家に何日も・・・」

母を二年前に、妹が引き取った。
苦渋の決断ではあったが、その方がいいと判断し、
義母も住む妹宅に、私は母を押し付けたのである。

妹の亭主は寛容である。
しかし義母からすれば年下とはいえ、同年代の他人
が入り込むのだから・・・という懸念はあった。
あったが、それ以外に方策は無かったのである。

母と向こうの母は、有りがたいことに仲が良かった
そうである。
少し呆けていた義母が、我が母の闖入で張り合いが
出たのか、精神がしゃっきりしたらしい。
しかし我が母は入院し、再び義母は元気を無くした
と云う。

そのような状態の義母の前に今度私が闖入したら、
入院先の母の状態が芳しくないのだとバレてしまう。
義母には母の状態は伏せてあるから、私は見舞いに
来ただけなのだ、と思わせなければならない。
妹夫婦は泊まれと言うが、私がそれを躊躇うのは、
老いた義母に対するせめてもの気遣いである。

山形に着いた私は友人宅を訪ねたが、宿泊先はまだ
決めかねていた。
既に外は暗くなっている。

「行くだけ行ってみるか」
重い腰を上げて、車で10分の大手町に私は向って
いた。
ゲストハウス「ミンタロ・ハット」は、松山を出る
前にネットで調べた民宿のような宿である。
ドミトリーは何度も利用したが、民宿とドミトリーの
中間的な宿泊所がゲストハウスのようだ。

猫が飼われているのが私の気を惹いたのだ。
何しろ母の最期を看取る旅である。
それは「死を待つだけの旅」でもある。
何時来るか分らぬその時を、ビジネスホテルで待つ
のは苦痛である。
つまり猫が私を呼んだのだ。

広い駐車場に車を停め、呼び鈴を押した。
奥から玄関に現れたのは細身の優男だった。
私は予約をしていないので、部屋が空いているかを
訊ね、空いていると知ってお願いしたい旨を言った。

食堂と居間を兼ねる広い部屋に通される。
まだ新しい建物だと解る。
ペレットストーヴがある。
椅子の上では猫が眠っている。
外は既に真っ暗だが、広い庭には木々がある。
取りあえず三連泊を申し出た。

シングルベッドが二つある小奇麗な部屋に案内され、
安眠は確約されたようなものである。
と同時に、一人分の宿泊費で二人用の部屋に泊まる
のは気が退けた。
二つ並ぶ風呂場も便利で、24時間使用可能。
パジャマとして使える作務依も用意され、洗濯機も
無料で使えるのも何よりだ。
これで朝食が付いて3500円は格安である。

しかし、私が本当に感心したのは夜になってから
である。
ミンタロ・ハットでは、毎夜飲食の会「ゆんたく」
が行われる。
「ゆんたく」は沖縄弁で会食・宴会の意。

私は妹宅に話をしに行かねばならず、食事を終えて
ミンタロ・ハットに戻ったのは夜10時だった。
その夜の宿泊客は各自の部屋に戻り、私と主の二人
で午前1時過ぎまでワインを呑みながらストーブを
囲んで話をしたのだった。

主の佐藤さんは52歳。とても静かに話す人である。
静かで温厚な人柄は、どうしても聞き役に回る形に
なる場合が多い。
私は言葉の空白が怖くなり、どんどん話し役になり、
そのうち驚くほど個人的な話をしてしまっていた。
そうなると、もう引き返えすことなど出来はしない。
・ ・・ええい、どうとでもなれ・・・
猿股一つの猿、になっていた。

佐藤さんは猿の戯言にフンフンと頷きながら、時折
笑い、時折短く話をし、精神科医のようである。
心の奥まで見透かされるような真っ直ぐな眼差しの
怖いこと怖いこと。
こんな眼差し、久しく見た事がない!

主の佐藤英夫さんに抱いた「怖い」という印象。
それが翌日には畏怖の念に変わっていくのである。

話が長くなったので、この続きは明日にしよう。
(写真はミンタロ・ハットの玄関と、一日の殆どを
ストーヴ前で眠るホル君。体色がホルスタイン模様
だからホル君である。)





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