ホイッスルバード あいざわぶん

読書も体力が必要

昨日、梅雨の晴れ間を利用して市立図書館へ行き、

本を借り、先月の新聞歌壇投稿の結果を見てきた。

 

5月の土曜は4回あり、吾が作品は3回掲載された。

でも、まだまだ不満を感じてしまう。

掲載されなかった回に吾が作品よりも見劣る作品が

沢山あるからで、やはり営業選歌を感ずるのだ。

どれほど低レベルな歌が掲載されているか実作品を

例として挙げるのは作者が可哀想だからやめるけど、

選者に対しては(なんだよ)と言いたくもなる(笑)。

 

さて、借りてきた本は「高濱虚子(きょし)」。

書いたのは虚子の弟子「水原秋桜子(しゅうおうし)」。

弟子の秋桜子が師である虚子に対して持論(写生に

就いて)を展開していくようである。

(解説から読んだので知っている)

 

写生を説いたのが正岡子規であることは有名。

俳句は高濱虚子が継承し、短歌は伊藤佐千夫が継承

したのであり、写生は写実として現在も力を持っている

作句・作歌理論だから、歌詠みの私も興味があるのだ。

 

写生・写実って、その内容は実に複雑なのである。

例えば、歌人・斎藤茂吉の写生論は次の如し。

 

  実相に観入して自然自己一元の生を写す。

  これが短歌上の写生である。

 

ねっ、ちんぷんかんぷんでしょ!

天才が言うから、きっとそうなんだろうが、よくわからん。

だから私の場合は、丁寧に目の前のことを詠みながら、

単なる写生ではなく、ふと違うことも同時に頭に浮かぶ

詠み方を目指している。つまり奥が深い詠みである。

 

 駐車場に背を丸くして左官屋は己が足跡

 最後に消しぬ   ぶん

 

表向き左官屋の仕事を表現している(写生している)が、

「己の足跡を最後に消す」は「最後に己の存在を消す」と

いうことで、一つの人生観を同時に表現しているつもり。

あとは読み手の鑑賞力に委ねているのである。

 

雨の日は読書に限る、とは思うけれど、眠る行為と同じで

読書もパワーが必要と痛切に思うようになった。

今じゃ続けて10頁も読めないのだから・・・。

つまり、老化してるんだな。

 

そう言えば昨年、1分間の鼓動数が10以上も少なくなり、

やっと一般成人男性に近付いたと喜び、かかりつけ医に

それを告げたら、「それは老化です」とあっさり言われた。

彼は循環器内科医だから、きっとそうなんだろな。

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