【慰安婦問題の元凶】
🔴吉田清治17
♯吉田清治17
●吉田証言の実地調査
吉田清治は、関係者に迷惑をかけないためとして加害者の名前や肩書については変えてあり、被害者についても慰安婦であったことを取り沙汰されないためとして個人名や具体的な地名についても伏せるとしており、今田は、吉田が済州島については語ったのは、済州島四・三事件での虐殺や島外脱出のために当時の人々は多くが替わっており、済州島の古老は実際には後から移住してきた人ばかりで問題がないからだと、聞いたとしている。
実際に、秦が済州島に行ったのも、具体的な日付と地名を出したのが済州島だけだからとしている。
○許栄善(済州新聞記者)による取材
吉田の著書の韓国語版が出版された1989年、現地紙済州新聞の許栄善記者は、8月14日付の記事の中で、済州島で「慰安婦狩り」の話を裏付け証言する人はほとんどいないとし、城山浦に住む85歳女性の「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という証言を紹介した。
済州新聞のこの記事は、1992年に秦郁彦によって現地の図書館で発見され、日本に紹介された。
なお、韓国仁徳大学の講師である言語心理学者 吉方べきによれば、許栄善記者はその後会った他の取材者らに「自分は何人か(の島民)に話を聞いただけで、これが吉田氏の告白全てを否定する証拠のように扱われるのは不本意」と語り、「記事が日本で予想外の注目を受け不自由な思いをしたため、これ以上関わりたくない」と吐露したともされる。一方で、遺族会の抗議に許栄善記者は従来の見方を引っ込めるしかなかったとの見方も韓国にあることを、吉方は伝えている。
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