戸根明彦ブログ

ZIDEN.Produce.(自伝・自分史の制作)の運営をしています。HP:www.ziden-produce.jp

第16章 信頼(1)

2013-02-22 21:12:36 | 日記
実家に帰る事を決めた丁度その頃、
辞めた会社でいっしょに働いた
同期の6歳上の女性から連絡だあり、
次の仕事が決まったとのメールが入った。

話したくて仕方が無かったようで、
3度目のメールでは「無視かよ!」などと
ちょっと苛立った様子だった。

その後連絡を取っていっしょに喜んであげながらも、
私は実家に帰ることにしたとの話をしたのだが、
彼女はいつものように明るく元気づけてくれた。

この時私は特別な感情や気持ちを感じずにはいられなかった。
ストレートな言葉のやりとりではなかったが、
何かを感じずにはいられなかった。

そしていよいよ実家に帰る日に
同期で仲の良かった3人が集まってくれ、
実家に帰る私を見送ってくれた。

そしていざバスに乗り込もうとしたとき、
彼女は私の荷物を押さえつけながら
いじらしい姿を見せるのを見たとき、
彼女の気持ちを確信した私は
バスに乗り込んで実家に着くまでの間、

抑えようのない気持ちで
今後の事を考える事もできなかった。

バスを降りて実家までは汽車とタクシーを乗り継ぎ、
その間私はとうとう彼女に対して
素直な気持ちを打ち明けていた。

・・・つづく

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第15章 敗走(6) 

2013-02-21 21:22:18 | 日記
それでもいつも集まる同期の人達からも
次第に誰かがそんな事を話し始めたり、
集まる人数も日に日に減っていくのは実感としてあった。

そしていよいよ同期の人間も半数くらいになった頃には
みんなが一斉に辞めようという話にまでなっていった。

そうは言ってもそれぞれが次の仕事も考えねば
ならなかったのだからそう簡単にはいかず、
この頃からそれぞれが次の仕事探しと準備を始めていき、
そのタイミングを図っていく様になった。

そしてとうとう私が次の仕事も決まらぬ中で、
上司に辞める相談をするに至った時には、
上司の方でも仕事に対して愛情や誇りを持っていなかった事もあり、
強く引き止められる訳でもなかったが、
私が辞めることで残った同期の人間は皆
辞めることになるだろうと言われた。

どうやら上司の方では私が同期の楔になっていると感じていたようだった。
実際私が辞めることになって間もなく殆どの同期は辞めていった。

辞めていった同期の中でも特に仲良くさせてもらっていた
私を含めて4人は退職後も連絡を取り、
いっしょに職探しに職安へ行ったり、
どこかに集まって近況を話し合っていた。

それでもやはり厳しい就職活動となり、
まともな仕事は見つからず次の仕事も決まらぬまま、
時間はどんどん過ぎていき、
私自身もいよいよ切羽詰った状況になってきていて
私はある決断を迫られていた。

そして東京での生活にも終止符を打ち、
実家に一度帰ってもう一度足場を固めようと決めたのだった。

この時私は34歳であり、将来へのビジョンも失い
どうしていいかも判らなくなっていた。

・・・つづく

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第15章 敗走(5) 

2013-02-20 18:54:37 | 日記
その中でも同じグループに配属になった
6歳上の女性は明るくてユーモアのセンスがあり、
今まで経験してきた苦労を感じさせない逞しさもあり、
外見も細身でキリッとした顔立ちであった為に、
同期からのみならず先輩や上司からも好かれていた。

ただやはり仕事の方では結果が出ず
苦労をしているように思えた私は、
仕事帰りに彼女だけに声をかけて近くの喫茶店に誘い、
仕事のことで感じている事や悩みを聞き
私なりにアドバイスをしてみた。

それから彼女は私に対して良い印象を持ってくれたようで、
何かと相談されたり色んな事を話してくれるようになっていった。

とは言え彼女は夫も子供もいる人であったし、
私も変な考えは持っていなかったので、
職場での気の許せるいい友人といったつもりだった。

毎日毎日同じことの繰り返しで決して順調とは言えない
状況の下でも時間や季節は刻々と過ぎていき、
半年を過ぎようとしていた頃には
仲の良かった同期の人たちも一人減り二人減りしていき、

私の中でも将来への不安や仕事への不信感も出始めていて
今後の事を考えるようになっていっていたが、
まだ口に出して人に相談したりはしていなかった。

・・・つづく

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第15章 敗走(4) 

2013-02-19 20:03:06 | 日記
入社時には景気も良くなかった事もあってか、
同年代の人間が15人程同期の中途採用で入社していた。

同期は皆歳も近いこともあって
すぐに仲間意識を持って仲良くさせてもらった。
それぞれが色んな人生を背負っている事を感じさせる面々だった。

仕事内容は以前にもやった事のある職種で、
企業に勤めている事務職の人への電話によるアプローチから始まって、
関心のある人への資料の郵送、そしてアプローチ、
クロージングという流れだった。

私は以前の経験もあってアプローチの仕方や
仕事の運び方に心得があったので、
仕事自体への抵抗は少なかったが、
同期で採用された人達の殆どが不慣れな業務だったようで、
慣れずに早々と辞めていく人やいつまでも困惑した状態の人もいた。

それでも1ヶ月の研修期間中はとりとめて
成果は期待されていないので、
何とか10人ほどがそれぞれの部署に配置されていった。

わたしは中でも割とやり易い環境の
グループと上司のもとに配属となり、
同期入社の人も一人同じグループに配属となった。

同期の人たちは1人か2人づつそれぞれ違う
グループに配属となったが、基本的にやってる事は同じだし、
殆どフロアも同じだったので、昼休みにいっしょに食事したり
仕事帰りに集まって近くのファーストフード店等で
励ましあったり愚痴ったりして懇親を深め、

いつの間にか絆のようなものまで感じる位の仲の良さで、
社会人としては珍しく中学時代の仲間のように
お互いを思っていたかと思う。

・・・つづく

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第15章 敗走(3) 

2013-02-18 22:00:43 | 日記
東京に移って数ヶ月はこんな事をしていたのだが、
事は甘くはなく仕事は毎日ある訳ではない日雇いの状態なので、
毎日の生活に支障が出始めとうとう
街金にまで手を出す状態になっていき、
他の収入源を探す必要があった。

とは言えまたサラリーマンに戻ろうとは思えずにいたので、
アルバイトなど時間的にも調整の効く仕事を求めて始めたのが
マンション販売会社のコールセンターでの電話営業だった。

この頃はまだ自分でも気付いていなかったと思えるが、
私は恐らくこの先の人生を意義のあるもの
にしたいとの思いで焦っていて、

考えもしっかり定まらないうちにどんどん前へ進んでいて、
まるで目的地も判らぬまま障害物にあたりながら
目隠しをして走っていたといったところかと思う。

あの頃の私は自分を見失わなくする為に
落ち着いて考える事が出来ずただ闇雲に動いていたように思う。

今思うとあの頃にもう少しゆっくり時間をかけて、
しっかり自身の人生を見定めて行けていれば、
本当の意味で人生を立て直す事も出来ただろうと思われる。

そうこうしているうちに東京での生活も1年を過ぎようとしていて、
経済的には既に限界に達していた私は、
一瞬描いていた夢を諦め通常通り勤められる
サラリーの仕事を再び求める事とした。

そして求職活動をするのだが、明確な目標や目的もなく、
またちょっと変わったキャリアではあるが、
しっかりしたスキルのある経歴もない私は、

何となく今までやったことのある仕事に近いところで職を求めていて、
最終的には社会人向けの教材販売会社に入社する事となる。

・・・つづく

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