沈黙に耐えられなくなって、俺は言った
確かにHさん、西方親鸞会の素晴らしいシステムは理解できました Hさんの採算があわない事業内容であるのにもかかわらず、私のような安い給与でその日暮らしの生活しかままならない人のために、このシステムはとてもありがたいことだと思います・・
そうお世辞とも、自分の本音ともどちらとも言えない俺の言葉を言いきってしまう と あとの言葉がでてこない・・・ それで・・・これから・・・俺はどうしようというのか?・・・
このシステム、タイ女性との結婚、トータル五十万という金額で、タイ女性を世話してもらい、この西方親鸞会に入会して、この真宗の教えをまなび、この救済としてのタイ国際事業、俺のような低所得層にもできる救済としてのタイ国際結婚・・・
でも、西方親鸞会五十万、タイ女性への結納金、タイへの渡航費そんな金額でもトータルしたら百三十万くらいの金額にはなってしまうだろう・・・ それくらいの蓄えは前の会社をクビになったときの退職金とかが、まだあるから、なんとかなるものの、それにしても、この西方親鸞会に入るということは、やはり、それなりの勇気と決断がいることだろうと思う。
この事業、この救済のシステムをこのH氏とともに、広めていく・・俺にはできるだろうか?
正直できないかもしれない。でも、子供を育めるチャンス そう考えると、もう、俺にはこの会に参加してみるしか仕方がないと思える、自分なりに、真宗の信仰はともかく、自分の哲学、自分の思いと言うものがある それは H氏も認めてくれている
結婚ができない、子供を持ち家庭を築けない、経済的理由しかり、自分の女性に対するコミニケーションの弱さもあり、結婚したくてもできない・・そんな俺と同じような中高年の同士、同輩は何万といることだろう・・
たとえば、2チャンネルの掲示板で書かれているような、結婚したくてもできない 孤独な中高年・・・
俺は孤独だ いつも仕事をして、あくせく働いて、ここで仕事から帰って、一人晩酌しながら、ここで2チャンネル書き込むのが唯一の人とのコミニケーションなんだ゛ と けなげにに書き込んでいる同士、同輩たち・・・
俺もそんな、2チャンネルで毎日自分の孤独のザマを書き込むことで、自分がやっと存在していることを確かめている時期があった・・
でも、そんなことが永遠に死ぬまで続くものだろうか?
いつか、そんな孤独に耐えれなくなって、自分を見失うということがあってもおかしくない気がする
それが、本当にこの世に生きている人間だと思えてくる。
だれかと一緒に生きていきたい・・ 社会とつながりたい・・・ 誰かと話がしたい・・・ 孤独はもう、まっぴらだ! と爆発する主体・・・
いつか、そんな気持ちに耐えきれず叫びだしてしまう自分自身を見出してしまう予感・・人間として生まれて、そう思う事の当然の帰結
でも、そんな若気もいつか年月がたち徐々に消え失せてしまい、性としての自分の肉体も人格も失われた時、私たちに本当の老いがやってくる
限りなく死に近づいた老い・・そんな老いの中、一人、自分以外誰もいない、アパートの一室で、いつかは来るだろうと思われる孤独死
自分の死が誰にも気がつかれないまま、いつのまにか蛆虫たちがそんな孤独の死体と戯れる・・・
自分の人生ってなんだったんだろう?・・・
もし、霊魂というもがあるならば、そんな蛆虫につつかれ蝕まれていく、自分の哀れな死体を眺めつつ、そうつぶやくに違いないと思ったりする
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。
それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きていた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐ってゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思えばなんとも可笑しい。
ホラホラ、これが僕の骨---
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、
また骨の処へやって来て、
見てゐるのかしら?
故郷の小川のへりに、
半ば枯れた草に立って、
見てゐるのは、--僕?
恰度立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。
こんな中原中也の詩があったけれど、こんなニヒルな気持ちでは、俺のような煩悩な霊魂では、蛆虫にむしばまれていく自分の死体を冷静に見つめられないかもしれない・・・ 執着心まるだしで、なんとかならないものか?と悔しがっている自分が見えてきそうな気がする・・
やはり悔いのない人生を歩まなければ・・こんな五十前のおっさんでも、こんな女性受けしない不具者であっても、なんとかタイ女性と結婚して、子供を育み、せめて、こんな孤独死のラストを回避したいものだ と そんな同じ思いの孤独な同士同輩を一人でも幸せな結婚をさしてあげて、立派な家庭人として余生をおくってもらいたい・・
そんな使命感みたいなものが自分の中に湧きあがってくる。 そう思えると、この活動を、やっていこう と いう気持ちに純粋思えてくる。
とりあえず自分がタイ女性と結婚して子供を育み幸せになる! そのことで、孤独な同士同輩のよい手本となり、この救済活動の広がりをもたせる!
本当の意味での孤独死がなくなっていく・・
そんな子供ような幼稚な気持ちで、そんな自分ご都合主義的な勝手な解釈で自分の使命の意味確認をして、自分の覚悟を固めると、自分自身の気持ちが急にハイになって、 H氏にこう俺は言った。
そのシステムで、西方親鸞会特別会員のシステムで僕とタイ女性との結婚をお願いします と・・・
続く