タイ女性との結婚

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タイ女性との結婚25 狂人日記

2012-09-16 07:42:36 | 日記

目の前で繰り広げられている、中国人たちの怒りは不条理なくらい絶望的な状況にさえ思われた 

我々日本人はこれから先もこの中国人たちの怒りと、あの強烈な、

にんにく臭い口臭と共存して関わっていかなければならないのか?

明らかに怒りのままに目を充血させ、叫ぶ中国女性

あの俺が、死んでしまえ 流産してしまえ と呪文をとなえていた・・ 対象の 妊婦の中国女性は、

もはや女性としての機能を停止したかのように、

両腕を握り締め、猿人のように泣き叫んでいた・・

こんな中国女性の怒りの姿は見たことは無かった

 我々日本人男性から見て、彼女らの怒りに満ちたに醜い情景など、見たいという願望がなく、想像すらしたくない事である 

我々は中国女性の美しさや若さに惹かれ、彼女らと結婚した。

我々からすれば、この醜い怒り彼女らの情景など、まっぴらごめん という感じがしてくる 

一種の契約違反ではないか?そんなことを言ってみたくなるくらい この怒りの情景とは日本人男性からすれば危惧な出来事のように思えてくる 

結婚する前から、こんな喧騒な表情の中国女性を見たとたら、誰もが中国女性との結婚に躊躇したことだろう 

そんな躊躇させない為に彼女らは中国人女性はしたたかに我々をだます算段をしてきたのであった

 それにしても、この彼女らの怒りの姿とは、昔テレビで見た中国の女子バレボールチームが来日して日本チームを破ったとき、

その、あの頃エースアタッカとして活躍した、常に何かを叫び、

怒りの表情で何かを訴えていたロウヘイという女性選手に似ていなくも無かった 

あの頃、俺たちが、丁度中学生かその頃にテレビで見ていた日本バーレボールチームと戦う中国女性の怒りの形相の選手の顔や姿を見ていると、何者かに対して怒りをぶちまけ、常に叫んでいる性的に何も魅力も感じない猿人化した女性たちという印象しか感じなかった

 中国女性のバーレが強かったというより、

そんな、けたたましいサルのように叫ぶ中国女性の姿をテレビで見て、

その当時、中学生だった俺のレベルの低い思考からして、

ただ単に嘲笑の対象か異国の程度の低いパホォーマとしか感じられなかった 

その光景が五十近い年齢に達した俺の前に再び生々しい光景として、俺の前に存在している 

今その彼女らの生の怒りの姿を見て取るとき、

中学生時のウブな主観にしかもちあわせていなかった俺の、あの頃の中国女性を見る目線とは違って、

今、五十近い年齢の俺の彼女らを見る目線で見る

この中国女性の怒りの姿とは、だいぶ変わってきているように思えてくる 

その今の目線で見るとき、綺麗であった中国女性も、醜く見て取られ、生身として、現実の生きている自己を表象とするとき、それは、一種の闘争本能の表れのようは躍動感が感じられてくるような気がする 

それは、生きているという、なんの矛盾の無い彼女らの正当な表現方法のように感じられた 

昔、俺が中国妻と結婚したとき、彼女が夜中にお腹が空くといって、

冷蔵庫の中にあった、古いキュウリを生のまま齧って食べていた光景 

その夜中の暗闇の中で、彼女のキュウリをボリボリと鰓の張ったアゴを懸命に動かし、

ひたすらキュウリを夢中で食べている彼女の闇の中で蠢く後ろ姿を見て、

俺は彼女に得体の知れない不気味な生命力を感じたことがあった

 綺麗であった中国妻のその不気味な生命力とは、

俺が彼女に抱いていた、一種の美しい中国妻としてのイメージと相反するものとして幻滅対象として、

我々の中に感じられたものだが・・しかし、今、目の前で展開している中国女性の怒り

俺が見て取れるこの彼女ら中国女性の怒りの表現、叫びも、

ある種、彼女ら中国女性の持つ・・日本女性には無い

俺が妻に感じた、得体の知れない不気味な生命力と同一なもの表現として俺には感じられた 

それは、日本人が美徳としてきた、無常観、空 日本人しか理解し得ない感情のものとは相容れない 

異民族的な臭気であった


どうなるのだろう? と、僕らはみんな自分に尋ねてみる

この異民族たちの存在の重荷と苦しみをどれだけの間僕らは耐えられるだろう?

皇帝の宮殿は彼ら異民族を誘惑して、この国に入れた しかし、今度は追い払うことができないのだ

門は閉じられている 前はいつも華やかに行進していて出入りしていた衛兵は、格子窓の後ろから出てこない。

彼ら異民族から、祖国を救うのは、僕ら市民にまかされている。しかし、そういう任務は僕らには向かない

、そんなことができると自慢したことはなった。それは、誤解だ、そうして、そのために僕らは滅びるのだ

 
カフカの短編小説で、一枚の古文書という小説があるが、其の小説の最後に書かれていた文章である 

遠い昔あるくにが異民族の進入され、言語の通じない彼らにホンロウされ、

其の国の皇帝も衛兵も、彼ら異民族にたいしてなすすべもなく、

彼らとの接触としいうものはすべて市民まかせで、国はいつのまにかその異民族に振り回されて、
衰退して滅亡していくという物語であったが、

この小説の状況と今、日本において行われている中国人の怒りと半日運動というものは、この小説の状況そのままだと感じ入ってしまう 

ある意味、日本、日本人というものに理解されずも、我々市民が彼らの状況に手をこまねているあいだに、

彼らのもつ生命力によって、知らず知らずのうちに異民族である中国人、彼らに日本が振り回され、精神的にも経済的にも支配されてしまっているという状況になりつつあるような感じになくない気がしてくる 

市民がそんな不安を感じている間、皇帝は何をしていたのか? 言い換えれば、政府は何をしていたのか?

この小説で懸念されていた不安な指摘は、今の我々の目の前で行われている中国人たちの

我々に対する怒りに対しての我々の現代の困惑の懸念と同じだと思う

俺は小さい頃から中国の文化、人間に対して尊敬と愛着を感じていた しかし、今は無い

どうしてこうなってしまったのだろう?

彼ら中国人の言うように、我々が本当悪かったのだろうか?

中国の小説家で魯迅という人がいた、俺の尊敬する中国の小説家である

彼の小説で 狂人日記という小説があった

昔の半植民地化された民族として惨めで誇りも奪われた、あの当時の中国の生活、体制というものを

狂人の目をとおして、痛烈にあの時代の中国社会を非難した小説だったが・・

今こうやって、俺が中国人を非難することは、ある意味、狂人の業かもしれない

あの狂人日記の主人公が最後に書き繋げていたこと・・

俺も今、狂人の目を通して、今の中国の半日の喧騒と日本の衰退に対して、こう叫びたい


 子供たちを救え!


続く



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