母は5年前に老健に入所し、ここ2年の間、骨折や尿路感染等で入退院を繰り返しています。
認知症が進み、歩行もできなくなりました。るい痩もあり、嚥下機能も衰えています。
水筒のお茶を持って行き、車の中で少しずつ飲ませたけど、それでもむせる事がある。
以前は小さく切った饅頭とか食べさせたけど、今はさすがに控えています。
母は93歳。私が小学生から高校に上がる頃までは、病院通いが仕事と思えるくらいの持病持ちでした。手術を繰り返した後、癒着を起こしたりして、とても大変だったようです。
健康への不安が強く、自分では早死すると思っていたようですがなんのその。
三月で93歳になりましたからね。
今日会っても既に私の事は忘れていました。
でも不思議と私は平気。子どもの頃、不幸な母と共依存だった私にとって、母はとても重たい存在だったから。
母を憎み疎遠だった頃もありました。10年近く前かな。仕事も忙しくしてたから母のところへも行くのを控えていました。姉に任せて。
でも、親子って縁は切れないものです。
母の認知症が進み、弱っていく姿を見るのは辛かった。
一人暮らしの貧困老人だった母に、介護保険サービスを使うための認定調査をするまでが大変でした。
見栄っ張りでプライドの高い母は、支援を拒んでいたけど、さすがに生活が立ち行かなくなり白旗を上げました。
ヘルパー支援のない日、姉と交代で見守りに行っていましたが、ある雪の日、あまりの寒さで昼過ぎまで布団から出れず、震えていた姿にこれは一人にさせておけないと愕然としました。
家はゴミ屋敷で物を変な場所へ隠しては、一日中探し回っていました。
介護を受けるようになり、施設への移行のため自宅を売却したのも5年前。
写真は自宅の解体後の様子。
生まれ育った家なのに、私にとっては苦痛でいい思い出のない自宅だけに、不思議と何の感情もなく、逆に無くなってくれた事に安堵したのを覚えています。
そして、母は帰る場所がなくなり施設へ入りました。要介護2、今は4に上がりました。
その頃、母の事で意見が分かれ、姉とゴタゴタし険悪になったりと、精神的にも辛い年だったなあ。
5年なんてあっという間だったけど、振り返ってみると、当時大きな出来事が色々ありました。
母へ。
あなたは昔から、忘れる才能のある強い人でしたね。ともかく退院おめでとう。