本日社用で旭川市へ。
旭川市は、幼稚園入園前~小学校卒業まで父の転勤により札幌市から離れ居住した地である。
当時、最初に住んだのは“大町”であった。子供心に残っているのは、海の無い内陸の旭川市で水遊びをできたのが父に連れられて行った石狩川に架かる『金星橋』の河原であった。『旭橋』の上流に位置する。
現在では水難事故防止、水質汚濁のため水遊びもままならない社会であるが、当時はいたっておおらかな時代であった。
社宅が整備されたことから“大町”から“豊岡町”へ移る。
当時ここも新興住宅地のためか、住宅の北側には田園とドブ川!子供にとっては最高の遊び場であった。
ここで『ひまわり幼稚園』に入園する。
現在は、移転しているらしい?。40年前には当時の施設を確認することができたが。
(現在の)ひまわり幼稚園
〒078-8216 旭川市6条25丁目
TEL:0166−32−0077
定員数120名・教職員数10名
ひまわり幼稚園は昭和35年に日本キリスト教団旭川豊岡教会の付属幼稚園として開園しました。昭和53年には学校法人北海道キリスト教学園となり、平成21年に創立50周年を迎え、現在までに約2,500名の卒園児を送り出しました。キリスト教の愛の精神を基とし、幼子が自ら生きる力を高め、豊かな心を育むことを理念に次の教育目標を定めています。
1.個性を重んじて、明るくのびのびと
2.友だちを大切にして、社会性をのばす
3.丈夫な体と創造性の芽生えを
4.心を大切にして、情緒性豊かに
5.家庭と幼稚園と共に
小学校は『東町小学校』である。ここは現在も(プールをお借りした)光陽中学校と校舎が隣接している。
《校歌》
一朝あけの
大雪山のあかるさに
真理(まこと)求めて進みゆく
正しい心育てよう
瞳にもえる
礎となる誇り
二新しい
文化を創るよびかけが
雪の結晶(きらら)を遠くこえ
光の中をとんでゆく
歌声となる
美しくこだまさせ
三眉あげて
世界の友と肩を組む
希望(のぞみ)あふれる明日の夢
若木のように伸びてゆく
力となろう
東町小学校
《歴史》
1960(昭和35) 校舎3線2教室増築。花壇コンクール優勝。
1961(昭和36) 校舎3線2教室増築。花壇コンクール優勝。
1962(昭和37) 全道健康優良校受賞。特別教室増築。観察園完成。
全国花いっぱい運動子ども奨励賞受賞。
1963(昭和38) 全道学校図書館研究大会開催。花壇コンクール優勝。
全道健康優良学校受賞。屋内体育館増築。
1964(昭和39) 開校10周年記念行事・事業実施。全道健康優良学校受賞。
花壇コンクール優勝。千代田小へ421名移籍。同窓会発足。
1965(昭和40) 全道健康優良学校受賞。花壇コンクール優勝。樹木園完成。
1966(昭和41) 学校環境緑化全国入選。豊岡小へ330名,朝日小へ51名移籍。
街は50年前と比べるとすっかり様変わりをしていた。もっとも50年前の記憶が怪しいが。
交差点の角に農協(JAあさひかわ豊岡)が今も残っていた。
八百屋と書店
八百屋は、当時母が働いて(現代で表現すると「パートタイム」という。)いました。
書店は、当時貸本屋を兼ね、少年(子供)月刊誌の本体は貸本用、その付録は別途販売する等商売の工夫が凝らされていたようです。
角に食堂がありました。
食べた記憶は、ラーメンとカレーライス(当時「ライスカレー」といった。)。
当時、現在ほど低価格の外食産業が普及していないことから、外で食事となると庶民はデパート(百貨店)の食堂か近所の食堂です。母に妹とともに連れて行ってもらえることが喜びでした。
また、当時、父の日直(会社の休日のお留守番)にお供して、旭川市の中心街で普段口にすることのできないような“ライスカレー”、“天丼”等を食べたことも思い出として残っています。
《旭川音頭》
来たよ 来ました 荒海、越えて
歌の都の ヨイヤソレ旭川
一夜泊まりが 一夜泊まりがまた一夜
サ~サ オッセ オッセ オシテキナッ ソレッ!
とても良いとこ旭川
※なお、本ブログは、情報の集積具合により加筆、更新を行います。
また、旭川の次回報告は、日本初の歩行者天国“買い物公園”を考えています。
ポメラニアン・ゴロのホームページ※ウィルス感染により休止中
です
↓
pomeranian goro's room
旭川市は、幼稚園入園前~小学校卒業まで父の転勤により札幌市から離れ居住した地である。
当時、最初に住んだのは“大町”であった。子供心に残っているのは、海の無い内陸の旭川市で水遊びをできたのが父に連れられて行った石狩川に架かる『金星橋』の河原であった。『旭橋』の上流に位置する。
現在では水難事故防止、水質汚濁のため水遊びもままならない社会であるが、当時はいたっておおらかな時代であった。
社宅が整備されたことから“大町”から“豊岡町”へ移る。
当時ここも新興住宅地のためか、住宅の北側には田園とドブ川!子供にとっては最高の遊び場であった。
ここで『ひまわり幼稚園』に入園する。
現在は、移転しているらしい?。40年前には当時の施設を確認することができたが。
(現在の)ひまわり幼稚園
〒078-8216 旭川市6条25丁目
TEL:0166−32−0077
定員数120名・教職員数10名
ひまわり幼稚園は昭和35年に日本キリスト教団旭川豊岡教会の付属幼稚園として開園しました。昭和53年には学校法人北海道キリスト教学園となり、平成21年に創立50周年を迎え、現在までに約2,500名の卒園児を送り出しました。キリスト教の愛の精神を基とし、幼子が自ら生きる力を高め、豊かな心を育むことを理念に次の教育目標を定めています。
1.個性を重んじて、明るくのびのびと
2.友だちを大切にして、社会性をのばす
3.丈夫な体と創造性の芽生えを
4.心を大切にして、情緒性豊かに
5.家庭と幼稚園と共に
小学校は『東町小学校』である。ここは現在も(プールをお借りした)光陽中学校と校舎が隣接している。
《校歌》
一朝あけの
大雪山のあかるさに
真理(まこと)求めて進みゆく
正しい心育てよう
瞳にもえる
礎となる誇り
二新しい
文化を創るよびかけが
雪の結晶(きらら)を遠くこえ
光の中をとんでゆく
歌声となる
美しくこだまさせ
三眉あげて
世界の友と肩を組む
希望(のぞみ)あふれる明日の夢
若木のように伸びてゆく
力となろう
東町小学校
《歴史》
1960(昭和35) 校舎3線2教室増築。花壇コンクール優勝。
1961(昭和36) 校舎3線2教室増築。花壇コンクール優勝。
1962(昭和37) 全道健康優良校受賞。特別教室増築。観察園完成。
全国花いっぱい運動子ども奨励賞受賞。
1963(昭和38) 全道学校図書館研究大会開催。花壇コンクール優勝。
全道健康優良学校受賞。屋内体育館増築。
1964(昭和39) 開校10周年記念行事・事業実施。全道健康優良学校受賞。
花壇コンクール優勝。千代田小へ421名移籍。同窓会発足。
1965(昭和40) 全道健康優良学校受賞。花壇コンクール優勝。樹木園完成。
1966(昭和41) 学校環境緑化全国入選。豊岡小へ330名,朝日小へ51名移籍。
街は50年前と比べるとすっかり様変わりをしていた。もっとも50年前の記憶が怪しいが。
交差点の角に農協(JAあさひかわ豊岡)が今も残っていた。
八百屋と書店
八百屋は、当時母が働いて(現代で表現すると「パートタイム」という。)いました。
書店は、当時貸本屋を兼ね、少年(子供)月刊誌の本体は貸本用、その付録は別途販売する等商売の工夫が凝らされていたようです。
角に食堂がありました。
食べた記憶は、ラーメンとカレーライス(当時「ライスカレー」といった。)。
当時、現在ほど低価格の外食産業が普及していないことから、外で食事となると庶民はデパート(百貨店)の食堂か近所の食堂です。母に妹とともに連れて行ってもらえることが喜びでした。
また、当時、父の日直(会社の休日のお留守番)にお供して、旭川市の中心街で普段口にすることのできないような“ライスカレー”、“天丼”等を食べたことも思い出として残っています。
《旭川音頭》
来たよ 来ました 荒海、越えて
歌の都の ヨイヤソレ旭川
一夜泊まりが 一夜泊まりがまた一夜
サ~サ オッセ オッセ オシテキナッ ソレッ!
とても良いとこ旭川
※なお、本ブログは、情報の集積具合により加筆、更新を行います。
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