告別 〔宮沢賢治〕
おまえのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴っていたかを
おそらくおまえはわかっていまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のように顫はせた
もしもおまえがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使えるならば
おまえは辛くてそしてかがやく天の仕事もするだろう
泰西著名の楽人たちが
幼齢 弦や鍵器をとってすでに一家をなしたがように
おまえはそのころ
この国ある皮革の鼓器と
竹でつくった管とをとった
けれどもいまごろちょうどおまえの年ごろで
おまえの素質と力をもっているものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらのひとのどの人もまた
五年のあいだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材というものは
ひとにとどまるものでない
ひとさえひとにとどまらぬ
云わなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけわしいみちをあるくだろう
そのあとでおまえのいまのちからがにぶり
きれいな音が正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまえをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらいの仕事ができて
そいつに腰をかけているような
そんな多数をいちばんいやにおもうのだ
もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき
おまえに無数の影と光の像があらわれる
おまえはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏のそれらを噛んで歌うのだ
もしも楽器がなかったら
いいかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいい
作品番号384番 告別
1925、10、2
賢治先生からの
告別のメッセージを
心に深く刻まれた方は
みなさん!賢治先生の
お弟子さんだとおもいます
わたくしなどは
賢治先生のお許しもえず
はるか時空を超えて末席の末席
勝手過ぎるお弟子さんにしていただいております。
もちろん、楽器もないので
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを
ちからのかぎり弾くのが夢です
それよりも
もうどなたか
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガン
弾いていらっしゃいますよね!
わたくしの鈍感な耳にも
響いてくるのですが
とっても幸せ♪
感謝申し上げます
有賀島真鹿子(ありがとうまかこ)