江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

「学テ反対闘争」を組織できない状態が今日の異常な教育状況をつくり上げている

2013-11-30 | 江戸川区教組
道徳の教科化、教科書記述への政府見解反映、首長に教育行政の権限を持たせる案等々、次々に出てくる教育政策は戦争への道を切り開くものばかりだ。

そんな中、文科省は11月29日、全国学力テストの学校別成績を公表することを認める方針を発表した。
全国学力テストの実施自体が大きな問題を孕むものであるが、今回の公表の内容は成績と共にテストの分析結果と今後の指導改善策をも併せて公表することを求めている。

成績だけを公表することは禁じて、これらの付帯物も付けさせるということは、現場教員に対する二重の意味での攻撃である。
すなわち、点数による競争を担わされることと分析や改善策を作らされる負担増だ。

全国画一的に作られた問題を子どもにやらせることは、日常の教育活動を画一化することにもつながる。
自主性や創造性を旨とする民主的教育活動とは別物になってしまう。
自ら主体的に計画した学習指導の中でのテストや、その結果分析をしながら指導の改善策を考えるなら問題ないのである。

学校別成績の公表は、容易に区内の学校が順位付けられ。
その結果、学校間格差が生じ無用な競争を強いられることになる。
テストの内容はどうでもよくなり、点数だけが順位だけが一人歩きする教育とは無縁な地域社会が形成される。

スポーツや各種イベントでの全国大会ではないのだ。
テストに「全国」が付いてもいいことなんて全くないのだ。

かつて1960年代に全国各地域で果敢に闘われた「学力テスト(学テ)反対闘争」は、その少し前に闘われた「勤務評定(勤評)反対闘争」を受け継ぐ地域保護者と共に国の教育政策に反対する闘いだった。
あまりに本質的な闘い方であったため国家権力は慌て慄き、あらゆる方法を用いて闘いを弾圧してきた。

あれから50年以上経過した2013年の今、状況はすっかり変わってしまった。
このように次々と子どもや教員を戦争に追い込む政策を出せる状況を作ってしまったのは、他ならぬ「国民」なのだ。
子どもの保護者もそこには多く含まれている。
当局の思惑通りにコントロールされて、学テの実施や成績公表を求めるのであろうか…。

教員側は保護者以上に体制内化している。
学テの何たるかを問う感性も知性も欠乏し、まして教育行政の本質を認識する姿勢も力量もあるようには思えない。
こんな状態だから全てが当局の思いのまま進められることになる。

今日の異常な教育状況を生み出しているのは、まさに「学テ反対」を日教組が主体となって地域住民と共に闘ったような状態を創れないことにある。
敢えて言うなら、組合の下請けという立場ではなく、地域住民自らが国家権力の横暴を許さないという立場に立ち教員と共に闘う状況こそ求められているのだ。
何故なら、もう散々安倍政権にはいじめられ続けてきたではないか。


<すばる>










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