10年振りに畳の表替えをすることにした。
和室の使用頻度はあまり高くないものの、陽の光による劣化が激しく色褪せて痛んでいたからだ。
昔の建物の造りは、和室の前には縁側があるのが一般的だったような気がする。
縁側があれば、直接畳に陽が当たることも少なく長持ちするであろうが、現在の我が家の和室は半透明の和風シェードで陽を防ぐ程度なので、紫外線はどんどん入り込む。
もっとも、私の最も古い記憶によると、私が住んでいた田舎の家には縁側などという立派なものはなく、部屋と外を区切るものは障子と雨戸だけだった。
だから、台風の時などは雨戸を吹き飛ばされないように、内と外から太い竹で挟んで固定していたものだ。
因みに当時の我が家は、農家の9人家族で現金収入が限られていたため家の大規模改修もままならず、元は養蚕も営んでいたという大きな木造平家建てを少しずつ直しながらの生活だった。
そんな昔の我が家での畳替えの記憶もある。
今回のように10年も放置せず、3〜4年すると畳表を裏返しする業者さんが来ていた。
新しい畳の井草の香りは、子ども心にも心地よく感じたものである。
地理が大好きだった私は、その頃の主な井草の産地が岡山県であることも記憶している。
ところが、実家を離れて独立する頃には私自身が畳に関心がなくなり、むしろ生活様式に合わせたフローリングの床を求めるようになった。
即ち、畳や井草に関する関心も知識も停止したままだったため、不覚にも今現在の井草の生産地が岡山県ではなく熊本県八代市を中心とした地域に移っていたことを知らなかった。
見積もりをする畳屋さんと話していて初めて知った事実である。
この業者さんは地域で何代も続く畳屋さんで、畳表は自分の足で現地を訪れて仕入れているとのことだった。
その八代の井草も、近年は栽培農家が減りつつあり、良質な井草を安価に仕入れることが容易でなくなったと嘆いていた。
彼いわく、「お客さんのように新築しても和室を造るという家庭は、今では決して多くはないです。仮に和室であっても、このような井草の畳表ではなく化学繊維を使ったものや海外からの輸入品が多く出回るようになっているんです。」
したがって、業者さんも商売が先代の頃のようにはいかず、畳表を新調する家庭は月に数件を数えるほどになってしまったとのことだった。
こんなことから、畳の表替えの見積もり価格はかつての2倍以上に跳ね上がっていた。
私とけっこう長い時間をかけて井草の話をしていたのも、もしかしたら、この結論を導くには十分なものであったかもしれない。
しかし、私は、狭いながらも本物の畳を使った和室にこだわったのは、ここに掘り炬燵を設置して友と呑みながら語り合う場所にしたかった。
それまで30年近く住み慣れた自宅を引き払って、二世帯住宅を建てたわけだが、居住面積が少なくなった代わりに一つくらいは贅沢をしたかったからだ。
見積もり後、数日してから6畳の畳は1日であっという間に入れ替わり、10年前より綺麗な畳が納められた。
やっぱり新しい畳は色と言え香りと言え良いものだ。
ついつい封建調の諺が口を継いで出そうだが、畳屋の女房以外にはこれは禁句なのだろう…。
それにしても、和室の畳には心和むものである。
今度、ここで付き合っていただけるのは何方であろうか…。
願わくは、次の表替えの時期にも今のこの気持ちが続いていることを。
<井草薫>
和室の使用頻度はあまり高くないものの、陽の光による劣化が激しく色褪せて痛んでいたからだ。
昔の建物の造りは、和室の前には縁側があるのが一般的だったような気がする。
縁側があれば、直接畳に陽が当たることも少なく長持ちするであろうが、現在の我が家の和室は半透明の和風シェードで陽を防ぐ程度なので、紫外線はどんどん入り込む。
もっとも、私の最も古い記憶によると、私が住んでいた田舎の家には縁側などという立派なものはなく、部屋と外を区切るものは障子と雨戸だけだった。
だから、台風の時などは雨戸を吹き飛ばされないように、内と外から太い竹で挟んで固定していたものだ。
因みに当時の我が家は、農家の9人家族で現金収入が限られていたため家の大規模改修もままならず、元は養蚕も営んでいたという大きな木造平家建てを少しずつ直しながらの生活だった。
そんな昔の我が家での畳替えの記憶もある。
今回のように10年も放置せず、3〜4年すると畳表を裏返しする業者さんが来ていた。
新しい畳の井草の香りは、子ども心にも心地よく感じたものである。
地理が大好きだった私は、その頃の主な井草の産地が岡山県であることも記憶している。
ところが、実家を離れて独立する頃には私自身が畳に関心がなくなり、むしろ生活様式に合わせたフローリングの床を求めるようになった。
即ち、畳や井草に関する関心も知識も停止したままだったため、不覚にも今現在の井草の生産地が岡山県ではなく熊本県八代市を中心とした地域に移っていたことを知らなかった。
見積もりをする畳屋さんと話していて初めて知った事実である。
この業者さんは地域で何代も続く畳屋さんで、畳表は自分の足で現地を訪れて仕入れているとのことだった。
その八代の井草も、近年は栽培農家が減りつつあり、良質な井草を安価に仕入れることが容易でなくなったと嘆いていた。
彼いわく、「お客さんのように新築しても和室を造るという家庭は、今では決して多くはないです。仮に和室であっても、このような井草の畳表ではなく化学繊維を使ったものや海外からの輸入品が多く出回るようになっているんです。」
したがって、業者さんも商売が先代の頃のようにはいかず、畳表を新調する家庭は月に数件を数えるほどになってしまったとのことだった。
こんなことから、畳の表替えの見積もり価格はかつての2倍以上に跳ね上がっていた。
私とけっこう長い時間をかけて井草の話をしていたのも、もしかしたら、この結論を導くには十分なものであったかもしれない。
しかし、私は、狭いながらも本物の畳を使った和室にこだわったのは、ここに掘り炬燵を設置して友と呑みながら語り合う場所にしたかった。
それまで30年近く住み慣れた自宅を引き払って、二世帯住宅を建てたわけだが、居住面積が少なくなった代わりに一つくらいは贅沢をしたかったからだ。
見積もり後、数日してから6畳の畳は1日であっという間に入れ替わり、10年前より綺麗な畳が納められた。
やっぱり新しい畳は色と言え香りと言え良いものだ。
ついつい封建調の諺が口を継いで出そうだが、畳屋の女房以外にはこれは禁句なのだろう…。
それにしても、和室の畳には心和むものである。
今度、ここで付き合っていただけるのは何方であろうか…。
願わくは、次の表替えの時期にも今のこの気持ちが続いていることを。
<井草薫>