江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

ある医師との対話から考える

2022-01-30 | 随想
子どもや認知症の方との関わりを考える際の参考になるかもしれないため、
認知症の高齢者Aさんと通院に同行したBさんと医師との対話をご紹介します。

〇医師:困っていることはありますか。
◆Aさん:色んなことを忘れてしまうから、自信がなくなってきました。
〇医師:私に言わせれば、A さんの年齢で忘れっぽくならない方がおかしいと思いますけどね。
 忘れっぽくなった方がいいこともありますし。
 都合の悪い時は忘れたふりをするということもできるじゃないですか。
◆Aさん:(笑顔になる)

〇医師:B さんは、困っていることはありますか。
◆Bさん(A さんが)忘れっぽくなっていることです。
〇医師:例えばどんなことですか。
◆Bさん:出かけて迷子になって帰れなくなることがありました。

〇医師:Bさん、道がわからなくなってしまったのですか。
◆Aさん:そうなんです。

〇医師:こんな都会ですから、迷子になっても誰か助けてくれるから大丈夫ですよ。
 道がわからなくなったら聞けばいいんです。道がわからなくなったら誰かに聞いてください。
 それより迷子になるのがいやでどこにも行かなくなってしまう方が健康によくないですからね。
 Bさん、他にはどんなことがありますか。
◆Bさん:火を消し忘れて、ヤカンのお湯が全部蒸発してしまったり焼いていた魚が焦げてしまったりすることがあります。

〇医師:それは火事になると危ないから、自動で消えるガスコンロなどにした方がいいと思います。
 今は色々ありますから。他にはどんなことがありますか。
◆Bさん:自転車の鍵をかけるのを忘れることがよくあります。

〇医師:そうなんですね。Aさん、自転車の鍵は昔だったら盗まれるかもしれないけれど、最近はかけっぱなしでも盗む人いないでしょ。
 かけ忘れても大した問題ではありませんから大丈夫ですよ。
 それよりも外出しなくなることの方が健康によくないですから、買い物に行ったり散歩に行ったりどんどん動くようにしてください。


こんな感じの会話が続きました。
この会話を聞いたBさんは、日常に起きる「困ったこと」の多くは、困るほどのことではなかったのかもしれないと思うようになりました。
また、ひとりでできることには限界がある。
この医師のような人が世の中にたくさんいればAさんももっと生きやすくなるかもしれないとも思いました。


認知症の方の外出について、あてもなく歩き回ることを意味する「徘徊」という言葉が使われていますが、
「徘徊」と言われる状態は、「目的をもって歩いているうちに道がわからなくなってしまった」状態であることがわかってきました。
現在は、認知症の方やそのご家族からの声を受けて、「徘徊」ではなく「ひとり歩き」などに言い換えている自治体もあります。
言葉だけでなく、誰もが安心して生活できる社会にしなければなりません。

私たちが生活する場所である自宅、そして、地域のスーパー、デパート、運動施設、図書館、美容院など
諸々の場所にいろんな立場の人を理解しようとする人権感覚をもつ人が多くなれば、もっといい社会になるにちがいありません。
私は、セルフレジや無人レジの増加には不安を感じています。
困っている人のことをセルフレジや無人レジが理解して声をかけて対応してくれるということは難しいと思うからです。


※参考にした記事
朝日新聞(2018年3月24日)「『徘徊』使いません 当事者声踏まえ、見直しの動き」


<今日は土曜授業のない土曜日>



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