私も野球はもちろんスポーツをするのが好きだったが、いわゆるスポ根の経験はない。
中学ではバスケの部活だったが、その当時は「部活」なる言葉も今ほど普及していなかったように思う。
別に部に入って活動しようが入らずに自由な放課後を過ごそうが、全く本人の自由意志に任せられ、周囲の目もごく当然のように見ていたと思う。
特に田舎では塾に入ってガリ勉する様な環境もなかったし、そもそも学校以外で勉強するなんて想像すらできなかった。
私たちの世代はいわゆる戦後のベビーブームに生まれ育った世代で、田舎でさえ同年代の人間はたくさんいた。
逆に言うと、人数が多い分だけ多様な生き方があり、周囲もそれを当たり前のように受け止めていたのだと思う。
たしかに「受験戦争」などという言葉も後で聞くことになるのだが、少なくとも中学時代は他人との競争とかは全く頭になかった。
ただ、自分の好きなように生活したいと思い活動していたのだ。
私の所属していたバスケ部は一応顧問はいるものの、練習等の内容やスケジュールもあまり管理されることなく自分たちで適当にやっていた感じだ。
野球部とは異なり女子もいたので、結構おしゃべりを楽しみながらの練習でもあった。
もちろん、対外試合が近づくとそれなりに気合を入れて練習したが、私の学校はほとんど勝利した記憶がない。
こんな部活に厳しさを感じることはなく、まして「スポ根」的なものとは全く無縁であった。
もともと私の性格からして、スポーツで厳しく対応されたら耐えられずにすぐやめてしまうに違いない。
以来、スポーツはこよなく愛しつつも、「体育会」系とは距離を置いて生活してきたものである。
孫の部活とは大きく逸れてしまったが、何故こうした自分の体験を述べたかというと、今日の中学校部活の在り方に色々な意味で驚かされたからだ。
夏の甲子園に象徴されるように、この猛暑の中でも野球⚾️は練習も試合も続けられるのである。
夏休みは時間もあり絶好の部活期間と考えられているのだ。
孫の学校でも、出来るだけ気温が高くなる前に練習しようと朝は7時から開始だ。
彼は6時前には起床し、朝食を済まして6時半過ぎに学校へ向かう。
汗と泥まみれになって12時半過ぎに帰宅する。
未だ体力が十分ではない彼は、疲れ切ってしまったのか帰宅後に昼食を用意して食べさせるが、ほとんど話すこともなく黙々と食べるだけ。
一年生の新入部員は自分たちの練習に参加するだけではなく、上級生(レギュラー)の公式戦に応援部隊としても動員される。
来年以降を見据えて雰囲気だけでも経験させようという監督の意図もあるかもしれないが、
朝早くから弁当持参で交通機関を使って遠征するというのは大変な負担ではある。
この辺りは昔からの体質そのままだという気がする。
さらに応援は声出しが求められる。(コロナで一定の規制はされているはずだが)
もともと彼は声出しが苦手で少年野球時代もコーチ等から指導されていたが、これはそうそう簡単に変わるものではない。
日本のスポーツはとかく「声を出す」ことが求められるが、彼も私とは違う意味で性格的に合わないものは合わないのである。
彼の哲学を詳しく知る由もないが、おそらく自分で必要と感じないものにはいくら指図されても一定の所までしか対応しないのだと思う。
普通はそんな具合だと監督や先輩から何かと指導され、部に所属しているのが嫌になるのだが、今のところ彼は特にその件で困ってはいないようだ。
ところが、問題発生。
たまたまフランスから来日中の彼の従姉妹を伴って、私が3泊4日の旅行を企画したからだ。
目的地は信州の保養地で、昆虫大好きな彼にとっても昔からの馴染みの地だ。
当然ながら自分も一緒に行きたいのだが、何日か部活の日程に重なってしまい、彼の父は認めなかった。
何と融通に利かないオヤジかと思うが、これも昔から変わらない性格だから仕方ない。
連れ合いは「夏休みだから家庭優先は当然でしょう⁉︎ 一緒に行こう!」と言うし、それに輪をかけてフランスギャルの従姉妹は、
「宿題なんかゴミ箱へ捨てちゃえばいいんだよ。だって今はバカンスでしょ!」てな具合だ。
別に今回は宿題が理由ではないのだが、部活も宿題も毎日大変だ…という日常を見ている彼女は、
日本の学校の理不尽さが大きくクローズアップしているようなのだ。
結果的に、3泊を2泊にして部活の欠席を最小限に抑えることで妥協することになった。
彼にしてみれば、日本の一般家庭の価値観とはちょっと異なる我が家の価値観の大勢の中で、
自分の父親を振り切って旅行に行くというのは相当な決断だったに違いない。
おそらく当該学校の関係者に尋ねれば、家庭の計画を尊重する答えが返ってくるだろうが、
たてまえは休まずに練習に参加するのを求めているのだ。
何れにしても結果的に楽しい旅行ができて彼も満足だったようだが、この後に次なる問題発生。
「野球部員は8月の旧盆前に夏休みの宿題は終わらせないと練習に参加できない」という指示が監督から出されていたのだ。
もしかしたら旅行前にその指示は出ていたのかもしれないが、のんびり屋の彼は野球を忘れて遊んでいたものだから、
復帰してあらためて慌て始めたのである。
これには彼の父親をはじめ家族の皆んなは怒ったり呆れたり、またまた私たちの方まで飛び火しそうであった。
(つづく)
-S.S-
中学ではバスケの部活だったが、その当時は「部活」なる言葉も今ほど普及していなかったように思う。
別に部に入って活動しようが入らずに自由な放課後を過ごそうが、全く本人の自由意志に任せられ、周囲の目もごく当然のように見ていたと思う。
特に田舎では塾に入ってガリ勉する様な環境もなかったし、そもそも学校以外で勉強するなんて想像すらできなかった。
私たちの世代はいわゆる戦後のベビーブームに生まれ育った世代で、田舎でさえ同年代の人間はたくさんいた。
逆に言うと、人数が多い分だけ多様な生き方があり、周囲もそれを当たり前のように受け止めていたのだと思う。
たしかに「受験戦争」などという言葉も後で聞くことになるのだが、少なくとも中学時代は他人との競争とかは全く頭になかった。
ただ、自分の好きなように生活したいと思い活動していたのだ。
私の所属していたバスケ部は一応顧問はいるものの、練習等の内容やスケジュールもあまり管理されることなく自分たちで適当にやっていた感じだ。
野球部とは異なり女子もいたので、結構おしゃべりを楽しみながらの練習でもあった。
もちろん、対外試合が近づくとそれなりに気合を入れて練習したが、私の学校はほとんど勝利した記憶がない。
こんな部活に厳しさを感じることはなく、まして「スポ根」的なものとは全く無縁であった。
もともと私の性格からして、スポーツで厳しく対応されたら耐えられずにすぐやめてしまうに違いない。
以来、スポーツはこよなく愛しつつも、「体育会」系とは距離を置いて生活してきたものである。
孫の部活とは大きく逸れてしまったが、何故こうした自分の体験を述べたかというと、今日の中学校部活の在り方に色々な意味で驚かされたからだ。
夏の甲子園に象徴されるように、この猛暑の中でも野球⚾️は練習も試合も続けられるのである。
夏休みは時間もあり絶好の部活期間と考えられているのだ。
孫の学校でも、出来るだけ気温が高くなる前に練習しようと朝は7時から開始だ。
彼は6時前には起床し、朝食を済まして6時半過ぎに学校へ向かう。
汗と泥まみれになって12時半過ぎに帰宅する。
未だ体力が十分ではない彼は、疲れ切ってしまったのか帰宅後に昼食を用意して食べさせるが、ほとんど話すこともなく黙々と食べるだけ。
一年生の新入部員は自分たちの練習に参加するだけではなく、上級生(レギュラー)の公式戦に応援部隊としても動員される。
来年以降を見据えて雰囲気だけでも経験させようという監督の意図もあるかもしれないが、
朝早くから弁当持参で交通機関を使って遠征するというのは大変な負担ではある。
この辺りは昔からの体質そのままだという気がする。
さらに応援は声出しが求められる。(コロナで一定の規制はされているはずだが)
もともと彼は声出しが苦手で少年野球時代もコーチ等から指導されていたが、これはそうそう簡単に変わるものではない。
日本のスポーツはとかく「声を出す」ことが求められるが、彼も私とは違う意味で性格的に合わないものは合わないのである。
彼の哲学を詳しく知る由もないが、おそらく自分で必要と感じないものにはいくら指図されても一定の所までしか対応しないのだと思う。
普通はそんな具合だと監督や先輩から何かと指導され、部に所属しているのが嫌になるのだが、今のところ彼は特にその件で困ってはいないようだ。
ところが、問題発生。
たまたまフランスから来日中の彼の従姉妹を伴って、私が3泊4日の旅行を企画したからだ。
目的地は信州の保養地で、昆虫大好きな彼にとっても昔からの馴染みの地だ。
当然ながら自分も一緒に行きたいのだが、何日か部活の日程に重なってしまい、彼の父は認めなかった。
何と融通に利かないオヤジかと思うが、これも昔から変わらない性格だから仕方ない。
連れ合いは「夏休みだから家庭優先は当然でしょう⁉︎ 一緒に行こう!」と言うし、それに輪をかけてフランスギャルの従姉妹は、
「宿題なんかゴミ箱へ捨てちゃえばいいんだよ。だって今はバカンスでしょ!」てな具合だ。
別に今回は宿題が理由ではないのだが、部活も宿題も毎日大変だ…という日常を見ている彼女は、
日本の学校の理不尽さが大きくクローズアップしているようなのだ。
結果的に、3泊を2泊にして部活の欠席を最小限に抑えることで妥協することになった。
彼にしてみれば、日本の一般家庭の価値観とはちょっと異なる我が家の価値観の大勢の中で、
自分の父親を振り切って旅行に行くというのは相当な決断だったに違いない。
おそらく当該学校の関係者に尋ねれば、家庭の計画を尊重する答えが返ってくるだろうが、
たてまえは休まずに練習に参加するのを求めているのだ。
何れにしても結果的に楽しい旅行ができて彼も満足だったようだが、この後に次なる問題発生。
「野球部員は8月の旧盆前に夏休みの宿題は終わらせないと練習に参加できない」という指示が監督から出されていたのだ。
もしかしたら旅行前にその指示は出ていたのかもしれないが、のんびり屋の彼は野球を忘れて遊んでいたものだから、
復帰してあらためて慌て始めたのである。
これには彼の父親をはじめ家族の皆んなは怒ったり呆れたり、またまた私たちの方まで飛び火しそうであった。
(つづく)
-S.S-