今ほど部活が盛んだったわけではないが、どこにも参加していないと放課後が暇すぎたので体育系の部活に入ろうと思った。
体育系と言ってもそんなに種類があるわけではない。
一番人気は陸上部と野球部、しかし、野球はスパイクやグローブやユニフォーム等にお金がかかるし陸上は走ってばかりの印象が強かった。
そんなわけで、この二つはパス!
それに、今だからこそ言えるが、この二つの部は「不良」っぽい連中がたむろしていて「真面目」な私には馴染めそうになかった。
そこで、まず手始めに卓球部にお試しで参加してみることにした。
ここには、生徒会長や私の好きな先輩がいた。
是非ここで頑張ってキャリアを積みたいと思ったのだが、球拾いと素振りの練習ばかりやらされて1週間で脱落した。
残るは体操部と柔道部だ。
しかし、これも狭い所でグダグダ動いてるだけで私には魅力がなかった。
本当は経験がなくて、技能が身につくか自信がなかったのかもしれない。
「あ~あ、やっぱり部活はやめよう…」と諦めてしまった。
それでも、私のような人間も少なくはなかった。
学力超優秀なO君も長身でカッコいいE君も、共に私と同じ帰宅部だったので特に部活に所属してなくても何の心配もなかった。
ところが、2年生に進級する頃、体操部顧問のM先生が 何を考えたのか突然「バスケットボール部を新設する」と言い出した。
当時、私の中学では、体育の授業でもバスケットボールは行っていなかった。
そもそも体育館にゴールの設備があること自体、私は認識していなかった。
当時の私たち田舎の中学生にとって球技と言えば、「男は野球、女はバレーボール」と相場が決まっていた。
今、思うに、バスケ部新設は体育科の授業にバスケをきっちり位置付ける一環としての結果だったのかもしれない。
理由はどうあれ、このバスケ部の創設には魅力を感じた。
入部した顔ぶれは、私のような自宅待機組が大部分なのは当然だが、みんな気の良い連中ばかりで、数少ない3年生も優しく面白い先輩たちだった。
このバスケ部にはどんどんはまっていった。
練習は新しく購入したゴールが設置してある屋外で行われていたが、対外試合が近づくと屋内体育館を優先的に使えた。
親に無理を言ってバスケットシューズも買ってもらい、5人のスタートメンバーに入るために熱心に練習した。
それに、 バスケ部は女子も同時に発足したため、体育系部活の中では異質な最も明るく賑やかな部となっていた。
顧問は体操部を中心に指導していたので、私たちバスケ部は大人のまともな指導は受けずに自分たちで工夫して練習していた。
これがまた楽しかった。
対外試合ではほとんど勝つことはなかったが、他地域の同年代とゲームをすることが何とも言えず新鮮だった。
あのような試合がなかったら、おそらく他の市町村の中学校の存在すら意識することなく過ごしていただろう。
とにかく、それまでの生活とは一転して活気ある毎日を過ごすことができた。
ところが、この楽しい部活も一気に暗転した出来事があった。
今でも思い出したくはないが、決して忘れることのできない「事件」だった。
ある日、3年生が全員体育館へ集合させられ、体育科の教員を中心に3年の担任たちが、ある生徒たちを次々に前に呼び出し説教をした後、竹刀で尻を何度も叩く等の制裁を加えたのである。
何事が起こったのか、私(たち)には分からなかった。
級友たちが制裁を受ける間にも、今度は誰が呼ばれるのかと心臓が割れんばかりの緊張感が続いた。
女子生徒の中には、ショックで失禁してしまう子も表れる始末だった。
これは、明らかに体罰であった。
私たちは互いにこの件について、その日以降に話題にすることはなかった。
もちろん、私は親にも一切喋らなかった。
しかし、鈍感な私にもおぼろげに分かってきたことがあった。
要は、男女間の「不純」な交遊と買い食い等の常習問題があったのだと理解した。
その舞台となったのが、部活からの流れであったらしい。
その後、教職に就いた私が言うのも間が抜けているが、当時の教員たちの苦悩が想像できると同時に何故あのような方法で対処したのか今でも分からない。
あのやり方は、公開処刑の発想ではないか!
そして、やっぱりあれは間違っていたと断言できる。
この一件以来、あれほど楽しかった部活への参加意欲が低下していった。
しかし、それも含めて偽ざる私の中学校部活の記憶である。
<しもうさ>
体育系と言ってもそんなに種類があるわけではない。
一番人気は陸上部と野球部、しかし、野球はスパイクやグローブやユニフォーム等にお金がかかるし陸上は走ってばかりの印象が強かった。
そんなわけで、この二つはパス!
それに、今だからこそ言えるが、この二つの部は「不良」っぽい連中がたむろしていて「真面目」な私には馴染めそうになかった。
そこで、まず手始めに卓球部にお試しで参加してみることにした。
ここには、生徒会長や私の好きな先輩がいた。
是非ここで頑張ってキャリアを積みたいと思ったのだが、球拾いと素振りの練習ばかりやらされて1週間で脱落した。
残るは体操部と柔道部だ。
しかし、これも狭い所でグダグダ動いてるだけで私には魅力がなかった。
本当は経験がなくて、技能が身につくか自信がなかったのかもしれない。
「あ~あ、やっぱり部活はやめよう…」と諦めてしまった。
それでも、私のような人間も少なくはなかった。
学力超優秀なO君も長身でカッコいいE君も、共に私と同じ帰宅部だったので特に部活に所属してなくても何の心配もなかった。
ところが、2年生に進級する頃、体操部顧問のM先生が 何を考えたのか突然「バスケットボール部を新設する」と言い出した。
当時、私の中学では、体育の授業でもバスケットボールは行っていなかった。
そもそも体育館にゴールの設備があること自体、私は認識していなかった。
当時の私たち田舎の中学生にとって球技と言えば、「男は野球、女はバレーボール」と相場が決まっていた。
今、思うに、バスケ部新設は体育科の授業にバスケをきっちり位置付ける一環としての結果だったのかもしれない。
理由はどうあれ、このバスケ部の創設には魅力を感じた。
入部した顔ぶれは、私のような自宅待機組が大部分なのは当然だが、みんな気の良い連中ばかりで、数少ない3年生も優しく面白い先輩たちだった。
このバスケ部にはどんどんはまっていった。
練習は新しく購入したゴールが設置してある屋外で行われていたが、対外試合が近づくと屋内体育館を優先的に使えた。
親に無理を言ってバスケットシューズも買ってもらい、5人のスタートメンバーに入るために熱心に練習した。
それに、 バスケ部は女子も同時に発足したため、体育系部活の中では異質な最も明るく賑やかな部となっていた。
顧問は体操部を中心に指導していたので、私たちバスケ部は大人のまともな指導は受けずに自分たちで工夫して練習していた。
これがまた楽しかった。
対外試合ではほとんど勝つことはなかったが、他地域の同年代とゲームをすることが何とも言えず新鮮だった。
あのような試合がなかったら、おそらく他の市町村の中学校の存在すら意識することなく過ごしていただろう。
とにかく、それまでの生活とは一転して活気ある毎日を過ごすことができた。
ところが、この楽しい部活も一気に暗転した出来事があった。
今でも思い出したくはないが、決して忘れることのできない「事件」だった。
ある日、3年生が全員体育館へ集合させられ、体育科の教員を中心に3年の担任たちが、ある生徒たちを次々に前に呼び出し説教をした後、竹刀で尻を何度も叩く等の制裁を加えたのである。
何事が起こったのか、私(たち)には分からなかった。
級友たちが制裁を受ける間にも、今度は誰が呼ばれるのかと心臓が割れんばかりの緊張感が続いた。
女子生徒の中には、ショックで失禁してしまう子も表れる始末だった。
これは、明らかに体罰であった。
私たちは互いにこの件について、その日以降に話題にすることはなかった。
もちろん、私は親にも一切喋らなかった。
しかし、鈍感な私にもおぼろげに分かってきたことがあった。
要は、男女間の「不純」な交遊と買い食い等の常習問題があったのだと理解した。
その舞台となったのが、部活からの流れであったらしい。
その後、教職に就いた私が言うのも間が抜けているが、当時の教員たちの苦悩が想像できると同時に何故あのような方法で対処したのか今でも分からない。
あのやり方は、公開処刑の発想ではないか!
そして、やっぱりあれは間違っていたと断言できる。
この一件以来、あれほど楽しかった部活への参加意欲が低下していった。
しかし、それも含めて偽ざる私の中学校部活の記憶である。
<しもうさ>