二日目
フィールドワーク バス車中での学習と施設見学
《講師 柴口正武さん(福島退教事務局次長)》
①震災後家族・親戚の離散の実情を語ってくれた。
浪江町の実家には2012年10月に一次立ち入り。長女はこの立ち入りが最後。
柴口さんは相馬市へ、家族は二本松市の父方本家といわき市の母方本家に避難する。
その後家族は千葉や埼玉、茨城の親戚に避難。
2020年7月 浪江町の実家を解体する。
両親は避難先で相次いで亡くなる。コロナ禍で解体を見届けたのは柴口さんだけだった。
②2011年東電が出した「廃炉に向けた中長期ロードマップ」では、燃料デブリの取り出しが開始されるまでの期間が10年以内となっていた。
しかし、「小規模」取り出しが「試験的」取り出しに変更、3度も延長し2024年11月7日ようやく実施された。
だが0.7gしか取り出せずデブリは1号機から4号機まで総計880tもある。
0.7gは880tの僅か3億分の1の量であり、全てを取り出すのはもはや不可能に近いと思う。
イギリスの廃炉状況では、2150年を完了予定にして年間4000億円必要と云う。
126年後の廃炉まで50兆4000億円がかかる。
③子どもの数は震災前の12.5%で、大幅な回復傾向には程遠い。
浪江町は9つの小中学校が1つの浪江創成小・中学校になったが、小(48名) 中(24名)である。
また自治体の居住人口も浪江・双葉・大熊・富岡の4つの町は、双葉の0.0%、大熊の2.4%など移住は極めて困難になっている。
車中では柴口さん、竹中(福島退教事務局長)さん、山崎さんの3人が案内人となって、震災同時の状況や復興状況を話してくれた。
またその土地にまつわる歴史や遺構など、様々なエピソードを交えて説明してくれ意義ある車中学習でした。
《原子力災害伝承館 見学》
昨年に続き私は二度目の見学となった。展示物等は変わっていなかった。
しかし、プロローグ(導入シアター)のナレーターは、西田敏行だったが本人の容姿が消されてアバターになっており違和感があった。
展示室の配置は以下のようになっている。
①災害の始まり「事故前の暮らし」として子どもたちの学校生活の記録や原発が出来たころ、双葉町が設置した『原子力明るい未来のエネルギー』看板の写真もある。
東日本大震災の「地震と津波」の映像記録や写真、壊れたホストなどの展示物。原発事故後の新聞や証言映像。
原子力災害対策センターに残る記録など。
②原子力発電所事故直後の対応 避難開始の証言映像や避難所となった体育館で使われた石油ストーブとか毛布など展示、原発避難の一週間の軌跡の映像など。
また、放射線への対応として防じんマスクや防護服やヨウ素剤の展示も。
③県民の想い 原発事故で突然故郷を奪われた県民の様々な想いの証言映像がある。
落下した天井板や割れた蛍光管の紹介や黒板に残されたメッセージ、津波で漂流したランドセルなどガイドブックに写真として載っているがここには展示物は無い。
同じく学校生活の思い出・変化のコーナーも映像だけ。
証言映像は全て1分3名である。
映像に集中しないと通り過ぎてしまうコーナーだ。
④長期化する原子力災害の影響 除染・風評の払拭・長期避難の対応等専門家の解説映像があり、
防護服やフレコンパックの展示はあるが分かりにくいコーナーと思った。
⑤復興への挑戦 復興について3人の映像証言、廃炉作業の映像、みらいのまちの模型の展示、福島イノベーション構想としてロボットやドローンの展示が。
併せて廃炉・ロボットドローン・航空宇宙・農林水産業の写真パネルの展示。
他には教育・人材育成・産業集積・情報発信など写真と説明が書かれているパネル展示。
復興への挑戦とは政府主導の国家プロジェクトとして、失われた地域の産業基盤の回復を構想している。
海のテラスから海岸を眺めた。
津波を被った田畑を整地する作業が進んでいる。
この周辺を「福島県復興祈念公園」として整備するための工事で平成26年閣議決定された。
岩手には「高田松原津波復興祈念公園」、宮城には「石巻南浜津波復興祈念公園」の建設も進んでいると云う。
(つづく)
<デラシネ>
フィールドワーク バス車中での学習と施設見学
《講師 柴口正武さん(福島退教事務局次長)》
①震災後家族・親戚の離散の実情を語ってくれた。
浪江町の実家には2012年10月に一次立ち入り。長女はこの立ち入りが最後。
柴口さんは相馬市へ、家族は二本松市の父方本家といわき市の母方本家に避難する。
その後家族は千葉や埼玉、茨城の親戚に避難。
2020年7月 浪江町の実家を解体する。
両親は避難先で相次いで亡くなる。コロナ禍で解体を見届けたのは柴口さんだけだった。
②2011年東電が出した「廃炉に向けた中長期ロードマップ」では、燃料デブリの取り出しが開始されるまでの期間が10年以内となっていた。
しかし、「小規模」取り出しが「試験的」取り出しに変更、3度も延長し2024年11月7日ようやく実施された。
だが0.7gしか取り出せずデブリは1号機から4号機まで総計880tもある。
0.7gは880tの僅か3億分の1の量であり、全てを取り出すのはもはや不可能に近いと思う。
イギリスの廃炉状況では、2150年を完了予定にして年間4000億円必要と云う。
126年後の廃炉まで50兆4000億円がかかる。
③子どもの数は震災前の12.5%で、大幅な回復傾向には程遠い。
浪江町は9つの小中学校が1つの浪江創成小・中学校になったが、小(48名) 中(24名)である。
また自治体の居住人口も浪江・双葉・大熊・富岡の4つの町は、双葉の0.0%、大熊の2.4%など移住は極めて困難になっている。
車中では柴口さん、竹中(福島退教事務局長)さん、山崎さんの3人が案内人となって、震災同時の状況や復興状況を話してくれた。
またその土地にまつわる歴史や遺構など、様々なエピソードを交えて説明してくれ意義ある車中学習でした。
《原子力災害伝承館 見学》
昨年に続き私は二度目の見学となった。展示物等は変わっていなかった。
しかし、プロローグ(導入シアター)のナレーターは、西田敏行だったが本人の容姿が消されてアバターになっており違和感があった。
展示室の配置は以下のようになっている。
①災害の始まり「事故前の暮らし」として子どもたちの学校生活の記録や原発が出来たころ、双葉町が設置した『原子力明るい未来のエネルギー』看板の写真もある。
東日本大震災の「地震と津波」の映像記録や写真、壊れたホストなどの展示物。原発事故後の新聞や証言映像。
原子力災害対策センターに残る記録など。
②原子力発電所事故直後の対応 避難開始の証言映像や避難所となった体育館で使われた石油ストーブとか毛布など展示、原発避難の一週間の軌跡の映像など。
また、放射線への対応として防じんマスクや防護服やヨウ素剤の展示も。
③県民の想い 原発事故で突然故郷を奪われた県民の様々な想いの証言映像がある。
落下した天井板や割れた蛍光管の紹介や黒板に残されたメッセージ、津波で漂流したランドセルなどガイドブックに写真として載っているがここには展示物は無い。
同じく学校生活の思い出・変化のコーナーも映像だけ。
証言映像は全て1分3名である。
映像に集中しないと通り過ぎてしまうコーナーだ。
④長期化する原子力災害の影響 除染・風評の払拭・長期避難の対応等専門家の解説映像があり、
防護服やフレコンパックの展示はあるが分かりにくいコーナーと思った。
⑤復興への挑戦 復興について3人の映像証言、廃炉作業の映像、みらいのまちの模型の展示、福島イノベーション構想としてロボットやドローンの展示が。
併せて廃炉・ロボットドローン・航空宇宙・農林水産業の写真パネルの展示。
他には教育・人材育成・産業集積・情報発信など写真と説明が書かれているパネル展示。
復興への挑戦とは政府主導の国家プロジェクトとして、失われた地域の産業基盤の回復を構想している。
海のテラスから海岸を眺めた。
津波を被った田畑を整地する作業が進んでいる。
この周辺を「福島県復興祈念公園」として整備するための工事で平成26年閣議決定された。
岩手には「高田松原津波復興祈念公園」、宮城には「石巻南浜津波復興祈念公園」の建設も進んでいると云う。
(つづく)
<デラシネ>