2016年制作のドイツ映画「はじめてのおもてなし」(原題:WILLKOMMEN BEI DEN HARTMANNS)を観た。
日本初公開は今年の1月13日だったが、1000円で観られる千葉劇場で2月になってから観た。

監督/脚本はサイモン・バーホーベンで、この映画にアンゲリカ役で出演している女優センタ・バーガーと映画監督ミヒャエル・バーホーベンの息子である。
映画の内容は、ドイツのミュンヘンに住む裕福な家庭(ハートマン家)がナイジュリアから渡って来た青年を収容先から受け入れることから始まる日常生活の顛末を描いたものだ。
以下にハートマン夫妻を中心に登場人物を簡単に紹介する。
・夫:Drリヒャルト(容易に老いを自認できず若手医師を怒鳴りつけたり、プチ整形したりするが、妻との間には隙間風が吹いている。)
・妻:アンゲリカ(教員を定年退職してから心の充足感を持てず、何か社会的に意味ある活動をしたいという思いが強く満たされない日々をワインで紛らわしている。移民受け入れに積極姿勢を示す。)
・息子:フィリップ(海外にもクライアントを持つ弁護士。仕事生き甲斐人間で妻との関係が破綻、一人息子を自分の両親に預けて働いている。)
・娘:ゾフィー(30歳を超えて未だに定職を持たず自分探しをしている大学生。父親にはいつも小言を言われるが、母の思いには好意的。)
・孫:(名前は?ラップが好きな小学生。遊んでばかりいて卒業も難しいが、偏見なく人とつきあえる。学校のプレゼンでディアロに証言を依頼し移民問題を巧みに発表する。)
・難民:ディアロ(郷里ナイジュリアでゲリラに両親をはじめ多くの人々が虐殺される。生きるために海を渡り陸を進みドイツに入るが、難民認定されず不安定な位置にある。情が深い。)
この他にも、ゾフィーの幼馴染でリヒャルトの部下にあたるDrタレクとか、ハートマン家の近隣に住む移民排斥派の女性、アンゲリカの友人である移民容認派の女性、ディアロたちが収容されている施設にいる多様な人々(この中にテロリストも存在)をスクリーンに登場させている。
この映画は、予告をはじめ事前に題名以外は何も予備知識を持たないで観たのだが、終わった直後の感想を妻にLINEで流した。
ドイツ映画「はじめてのおもてなし」は難民を受け入れた家族の話。
熟年夫婦と離婚した息子親子と30歳過ぎても大学へ通う娘…。
ボコハラム?に家族が虐殺され逃げて来たナイジュリアの難民青年を受け入れることから始まる家族間トラブルや社会問題をコメディータッチで描いたもの。
ドイツの実情を市民の日常生活から描いた作品とも見えた。
最後まで肩に力が入ることなく面白く観られた。

帰宅後、ネットでこの映画にまつわるサイモン・バーホーベン監督の話しや有名人の一言メッセージを目にしたが、いずれも納得できるものばかりだった。
どう観るかは私たちの自由なのだが、監督の思惑はこんなものだった。
少し長くなるが、最後の部分だけ引用させていただく。
脚本を書き、監督もしている中で、私は遊び心満載にリラックスして、政治的には正しくないような見方でアプローチしようとしました。そして最後の最後まで、世の中で起こった現実の出来事を作品に取り込もうとしました。また、何事においても深刻には受け止めすぎないようにしました。なぜなら、「難民問題」の複雑さについて考えたときに、どんな映画でもコメディはもちろんのこと、すべての人々の政治観を満足させることはできないし、同様にすべての感受性を考慮することもできないからです。
ドイツ、そしてヨーロッパは、今、私が生まれてこのかた経験したことがないほど激変しています。皆が将来の展望について議論し、模索し、そして適応しようとしているのです。しかし、この混沌とした、不確かな、落ち着きのない状況はまた、コメディにとっては肥沃な土壌となるのです。
『はじめてのおもてなし』は、何よりもまず、純粋なコメディだということ。政治的解決策を提供することもできないし、そのように望んでもいません。それにもかかわらず、勝手ながら、この映画が少なくとも、物事をリラックスして考えるのに役立つこと、また、その過程において、人道主義的な思考を促せられたらと願っています。
さすが監督!
なんて感心してしまう私だが、敢えて指摘されなくても一見してこの映画の訴えるものは感じ取れた。
反権力とか反戦を標榜したものではなく、まして政治的プロパガンダなどではない。
そうかと言って、世相を反映したパロディーでもない。
とにかく、観ていて面白い映画だった。
そして、後で考えてしまう映画だった。
もしかすると、私は監督の思惑に嵌ってしまったのかもしれない。
因みにこの映画は2016年度ドイツ映画興行収入№1となり、2017年ドイツ・アカデミー賞で観客賞を受賞している。
日本国内では今、「千葉劇場」の他に「シネスイッチ銀座」や「角川シネマ新宿」で上映中!
<すばる>
日本初公開は今年の1月13日だったが、1000円で観られる千葉劇場で2月になってから観た。

監督/脚本はサイモン・バーホーベンで、この映画にアンゲリカ役で出演している女優センタ・バーガーと映画監督ミヒャエル・バーホーベンの息子である。
映画の内容は、ドイツのミュンヘンに住む裕福な家庭(ハートマン家)がナイジュリアから渡って来た青年を収容先から受け入れることから始まる日常生活の顛末を描いたものだ。
以下にハートマン夫妻を中心に登場人物を簡単に紹介する。
・夫:Drリヒャルト(容易に老いを自認できず若手医師を怒鳴りつけたり、プチ整形したりするが、妻との間には隙間風が吹いている。)
・妻:アンゲリカ(教員を定年退職してから心の充足感を持てず、何か社会的に意味ある活動をしたいという思いが強く満たされない日々をワインで紛らわしている。移民受け入れに積極姿勢を示す。)
・息子:フィリップ(海外にもクライアントを持つ弁護士。仕事生き甲斐人間で妻との関係が破綻、一人息子を自分の両親に預けて働いている。)
・娘:ゾフィー(30歳を超えて未だに定職を持たず自分探しをしている大学生。父親にはいつも小言を言われるが、母の思いには好意的。)
・孫:(名前は?ラップが好きな小学生。遊んでばかりいて卒業も難しいが、偏見なく人とつきあえる。学校のプレゼンでディアロに証言を依頼し移民問題を巧みに発表する。)
・難民:ディアロ(郷里ナイジュリアでゲリラに両親をはじめ多くの人々が虐殺される。生きるために海を渡り陸を進みドイツに入るが、難民認定されず不安定な位置にある。情が深い。)
この他にも、ゾフィーの幼馴染でリヒャルトの部下にあたるDrタレクとか、ハートマン家の近隣に住む移民排斥派の女性、アンゲリカの友人である移民容認派の女性、ディアロたちが収容されている施設にいる多様な人々(この中にテロリストも存在)をスクリーンに登場させている。
この映画は、予告をはじめ事前に題名以外は何も予備知識を持たないで観たのだが、終わった直後の感想を妻にLINEで流した。
ドイツ映画「はじめてのおもてなし」は難民を受け入れた家族の話。
熟年夫婦と離婚した息子親子と30歳過ぎても大学へ通う娘…。
ボコハラム?に家族が虐殺され逃げて来たナイジュリアの難民青年を受け入れることから始まる家族間トラブルや社会問題をコメディータッチで描いたもの。
ドイツの実情を市民の日常生活から描いた作品とも見えた。
最後まで肩に力が入ることなく面白く観られた。

帰宅後、ネットでこの映画にまつわるサイモン・バーホーベン監督の話しや有名人の一言メッセージを目にしたが、いずれも納得できるものばかりだった。
どう観るかは私たちの自由なのだが、監督の思惑はこんなものだった。
少し長くなるが、最後の部分だけ引用させていただく。
脚本を書き、監督もしている中で、私は遊び心満載にリラックスして、政治的には正しくないような見方でアプローチしようとしました。そして最後の最後まで、世の中で起こった現実の出来事を作品に取り込もうとしました。また、何事においても深刻には受け止めすぎないようにしました。なぜなら、「難民問題」の複雑さについて考えたときに、どんな映画でもコメディはもちろんのこと、すべての人々の政治観を満足させることはできないし、同様にすべての感受性を考慮することもできないからです。
ドイツ、そしてヨーロッパは、今、私が生まれてこのかた経験したことがないほど激変しています。皆が将来の展望について議論し、模索し、そして適応しようとしているのです。しかし、この混沌とした、不確かな、落ち着きのない状況はまた、コメディにとっては肥沃な土壌となるのです。
『はじめてのおもてなし』は、何よりもまず、純粋なコメディだということ。政治的解決策を提供することもできないし、そのように望んでもいません。それにもかかわらず、勝手ながら、この映画が少なくとも、物事をリラックスして考えるのに役立つこと、また、その過程において、人道主義的な思考を促せられたらと願っています。
さすが監督!
なんて感心してしまう私だが、敢えて指摘されなくても一見してこの映画の訴えるものは感じ取れた。
反権力とか反戦を標榜したものではなく、まして政治的プロパガンダなどではない。
そうかと言って、世相を反映したパロディーでもない。
とにかく、観ていて面白い映画だった。
そして、後で考えてしまう映画だった。
もしかすると、私は監督の思惑に嵌ってしまったのかもしれない。
因みにこの映画は2016年度ドイツ映画興行収入№1となり、2017年ドイツ・アカデミー賞で観客賞を受賞している。
日本国内では今、「千葉劇場」の他に「シネスイッチ銀座」や「角川シネマ新宿」で上映中!
<すばる>