江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

予科練平和記念館に行ってきた(茨城県阿見町)

2016-08-20 | 江戸川区教組
先日茨城県阿見町にある予科練平和記念館に行ってきた。

茨城県の霞ヶ浦には、海軍の施設や飛行場があったそうだ。
今回は時間がなくて行かなかったが、茨城大学の農学部には今も霞ヶ浦海軍航空隊の戦争遺跡がある。
町内には零戦が入れられていたとされる掩体壕が1ヶ所だけ残されている。

館内は撮影禁止なので、メモしてきた。



予科練とは、海軍になる前の練習生のこと。
1930年、横須賀海軍航空隊が海軍飛行予科練習生の教育を開始。
14歳~17歳の子どもたちが、練習生となった。

1939年、霞ヶ浦航空隊で予科練の教育が開始された。

1943年頃から、戦況が悪化し、予科練が大量採用され、全国19ヶ所で教育された。

制度が始まって敗戦まで15年間で約24万人が入隊し、うち約2万4千人が飛行練習生過程を経て戦地へ。
「特別突撃隊」として出撃したものも多く、戦死者は約8割の1万9千人。

1945年に教育が中止された後は、本土決戦に備えた特攻隊要員として、各地で実戦訓練が続けられた。


海軍飛行兵募集広告は、役場や学校にも貼り出され、新聞や雑誌の広告にもなった。
募集に応じた子どもたちの志望理由には、貧しいからという経済的理由を上げるものあった。

1944年からは、「特丙種」という枠で、日本の植民地支配下にあった台湾や朝鮮半島でも募集が始まり、台湾や朝鮮半島の若者が予科練生として採用されたということも忘れてはならない。


予科練平和記念館にも自衛官募集のチラシが置いてあった。
お土産には、自衛隊グッズみたいなものが置いてあって、「回天」という特攻兵器の名前と日の丸がデザインしてあるハチマキを手にとって見ている高校生ぐらいの若者がいた。


「国のために進んで命を投げ出した特攻隊がいるから今の日本がある。特攻隊はすばらしい」
「特攻隊はかっこいい」と思っている若者がいると聞くが、特攻隊が決してかっこいいものではないことを伝えていかなくてはと思う。
(特攻隊に進んで行ったのではなく)「特攻に行かされたというのが事実です」という当時を知る人の言葉がすべてである。
志願せざるをえない状況に追い込まれていったのだ。


阿見町では、海軍施設があったことから、1945年6月10日、米軍機による空襲を受け、多くの人が亡くなった。
予科練の施設も空爆にあった。

阿見町では、教育委員会が、広島の平和祈念式典に毎年、中学生を送っていることを館内に置いてあった冊子で知った。




「回天」は、一度入ると内側からハッチを開けることができない。
こんなところに、入らざるをえない状況にさせられない限り、誰が入るものか!

死の強制を美化するような言説を許すわけにはいかない。
「特攻隊」美化は、新たな戦争、新たな「特攻隊」を生み出すことにつながる。

悲劇を繰り返すまい。



<「加害と反省」なき安倍首相の言う「平和」の何と空虚なことか>



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 町を歩けば、自衛隊募集に出合う | トップ | 見学した予科練平和記念館(茨... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

江戸川区教組」カテゴリの最新記事