前の日記で、旦那の変化に期待したが
親友に、いろいろ相談すると、
「相手を変えたいならまず自分が
変わらないと」と諭された。
だが、この助言は初めてではない。
かれこれ10年以上言われている気が
する。
私自身、自分のことが嫌いではない。
どこか、根拠のない自身を持って
いる。
だから、自分を変える気がないのだ。
…と、いつも親友に言われる。
でも、私にも変わらなければならない
ところがある。
それは、相手の言い分を受け入れる
こと。
私はよかれと思って、マイナス思考の
旦那の発言を否定するようなことを
つい口走る。
例えば旦那が誰かに悪口を言われた
ことに対して愚痴をこぼす。
私は「でも、その人はこう思って
言ったのかもしれないじゃん?悪口
じゃなかったかもよ?」
つまり、ポジティブな意見を言うの
だが、相手はネガティブなことを
言っている訳だから、否定することに
なる。
私の返事はいつも「でも、でも、
でも」…「でも」で始まる。
そうすると、だんなは「俺のこと
分かってくれない。お前だけには
分かってほしかったのに。
もういい。」…となる。
正解はそうではなく、「そうか。
そんなことを言われたら悲しい
よね。辛かったね。」みたいなのが
正解みたい。
これが、分かっていてもいざという時
感情が先に出ちゃって、反抗して
しまうのだ。それを親友に言うと
「あんたは変わる気がない」と
バッサリ。
そう、素直じゃない私はより一層
変わろうとするのは難しい。
でも、私が変わらなければ、相手を
変えることは出来ない。
実際、ネガティブなことばかり言わ
れたり、あーでもない、こーでもない
って言われ続けるのは
しんどい。
逃げたくなる。
でも、目先のことを早く解決しようと
して、いつも失敗しているんだから、
もっと先を見据えて旦那が落ち着ける
場所に私がならなければ。
私は赤ちゃんを一人産んだけど、
今は2人赤ちゃんがいて、
2人に「良い子、良い子」をして
あげないといけない。
大変だけど、2人の成長がみられる
なら。
そして、親友はいつでも私を助けて
くれる。
お義母さんの存在も大きいけど、
親友の存在も私を安心させてくれる。
私は一人じゃない。
新天地にきてから、友達0人だけど、
私は一人じゃない。
親友に、いろいろ相談すると、
「相手を変えたいならまず自分が
変わらないと」と諭された。
だが、この助言は初めてではない。
かれこれ10年以上言われている気が
する。
私自身、自分のことが嫌いではない。
どこか、根拠のない自身を持って
いる。
だから、自分を変える気がないのだ。
…と、いつも親友に言われる。
でも、私にも変わらなければならない
ところがある。
それは、相手の言い分を受け入れる
こと。
私はよかれと思って、マイナス思考の
旦那の発言を否定するようなことを
つい口走る。
例えば旦那が誰かに悪口を言われた
ことに対して愚痴をこぼす。
私は「でも、その人はこう思って
言ったのかもしれないじゃん?悪口
じゃなかったかもよ?」
つまり、ポジティブな意見を言うの
だが、相手はネガティブなことを
言っている訳だから、否定することに
なる。
私の返事はいつも「でも、でも、
でも」…「でも」で始まる。
そうすると、だんなは「俺のこと
分かってくれない。お前だけには
分かってほしかったのに。
もういい。」…となる。
正解はそうではなく、「そうか。
そんなことを言われたら悲しい
よね。辛かったね。」みたいなのが
正解みたい。
これが、分かっていてもいざという時
感情が先に出ちゃって、反抗して
しまうのだ。それを親友に言うと
「あんたは変わる気がない」と
バッサリ。
そう、素直じゃない私はより一層
変わろうとするのは難しい。
でも、私が変わらなければ、相手を
変えることは出来ない。
実際、ネガティブなことばかり言わ
れたり、あーでもない、こーでもない
って言われ続けるのは
しんどい。
逃げたくなる。
でも、目先のことを早く解決しようと
して、いつも失敗しているんだから、
もっと先を見据えて旦那が落ち着ける
場所に私がならなければ。
私は赤ちゃんを一人産んだけど、
今は2人赤ちゃんがいて、
2人に「良い子、良い子」をして
あげないといけない。
大変だけど、2人の成長がみられる
なら。
そして、親友はいつでも私を助けて
くれる。
お義母さんの存在も大きいけど、
親友の存在も私を安心させてくれる。
私は一人じゃない。
新天地にきてから、友達0人だけど、
私は一人じゃない。