やっと見つけた赤ゲラの雄
その日も学校は休みではなかった。昭和20年8月15日 正午に小学校校庭に集められた。
みんなで玉音放送を聴くことになったのだ
天皇陛下はラジオを通じて「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び 中略
其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」と仰せられた。以上の部分は聞こえたが
その他のことは雑音が多いのと、言葉が難しいので、小学校5年生の私には
理解できるような内容ではなかった。
オンナ先生は両手で顔を覆い、男先生たちはガクリと膝を曲げて地面に落ちた。
ざわめきが起こり、口々に「戦争に負けたのだ!」と口走る者が居る。
やがて、あちこちですすり泣く声が聞こえてくる。
私はかすかに爆音の聞こえる空を見上げた。
雲ひとつない青空高く、銀翼を並べて五機連隊が真っ白な飛行機雲を
引きながら東の方へと飛んでゆく。
高射砲は応戦しないし、爆弾も落ちてこない。
「ああ、戦争に負けたのだ」との感慨が胸を貫き、涙があふれ出てきた。
終戦ではない敗戦なのだ。
その悔しさに、握りこぶしで地面を何度も何度も叩いたのだった。
私の母は母の兄が学生運動をしていたのでその片棒を担がされて、この戦いは始めから
負けると思っていた、そうです。
そういう風に私たちに教えてくれました。
でもそういうことは口に出せない時代だったので深く心の奥にしまっておいたそうです。
皆さんは本当に悔しい思いをなさったのでしょう。未だにアメリカは原爆を落としても謝ることをしませんね。ちょっとそれが気になるところです。強い国だから~そういうことを言わせない国なんでしょう。
アカゲラさんが見つかってよかったですね。
こちらは灼熱地獄、外へも出られません。
雨は全く降らない状態が続いています。
私は、子供心に「必ず勝つ」と信じていました。日本の方が先に原爆を開発していたら、どうだったのか。。仁科博士によって理論的な基礎は完成していたと言われていますね。
灼熱地獄ですか。つらいですね。
一口に65年と言っても其々に思いは一口には出来ない人生を抱えて過された方も多いことでしょうね。私は終戦を知りようもない赤ん坊でしたから、大人から聞くのみで実感はありません。終戦後の混乱も幼くて記憶も定かでなく苦労された方々にはとても(今に思えば)申し訳ない育ちをしたと思います。最も私から後の生まれは皆そのようなものですから、年々悲しい戦争の思い出は薄れていくことは仕方の無いことですね。でも悲惨な戦争は二度と起こさないためにもこれからの若者達へ節有る毎にも語り継がなければいけないことでしょう。
台風の通過で先週は雨の日が多く、過しやすかったのですが、今週はまた残暑厳しい暑さが戻りそうです。うんざり・・・
涼しそうな木陰でアカゲラさんは何思う。の図ですね。
私は戦争を知らない世代。話も聞き、映画や残されたニュース映像なども
何度か目にしてきましたから、無関心ではありません。
当時の戦時教育を受けつつ成長され、多感な少年時代に終戦を
迎えられたpoloさんとしては悔しい思いが大きかったのでしょうね。
私などからすると、戦争は勝ちも負けもなくとにかく起こしてはいけない
ことだという気持ちが絶大です。
終戦から65年。その間戦争がなく過ごしてきた日本で、人々の心の中に
不穏なあるいは不遜なものが芽生えてきてはいないかと、不安になることがあります。
日本が、いえ、願わくは全世界が永久非戦国になってほしいと思います。
戦争は二度としてはいけない。しかし、私は
まだ子供だったので、負けたことが悔しくて、一生そのことを忘れることが出来ないのです。未だに、こだわり続けているのです。もっと、正直に言えば、いつか彼らを叩きのめしたいと思っているのです。あの世まで背負って行く怨念でしょう。
毎年八月15日が来ると、その時のことが蘇ってきて、鬼畜米英への憎しみがふつふつとたぎってきます。焼夷弾での爆撃、二発の原爆投下、許すべからざる非人間的な行為です。いえ、そんなことよりも、負けたことに恨みを抱えております。極言すれば、いつかやり返してやりたいとまで、思うのです。
下段の「全世界が永久非戦国になってほしい」との考えは、まさに正論です。皆が仲良く手を繋ぎあって、平和に暮らすことができれば、どれほど楽しいことか。
私の心の中には、上の二つの全く相反する気持ちが同時に存在するのです。
私は負けて悔しいという感情は持ちませんでした。父が「これは負けだな」と良く言って居たので、そうなんだと思ていました。その父がラジオの前で項垂れ、拳固で目を擦っているのを見たとき、その父に同情しましたが。
父は片目が殆ど盲目で、お陰で徴兵を免れたのです。もし、健康な目を持っていたら、叔父と同じように戦死していたかも知れません。そのような事を考えるとき、戦争の無い世界でも天災、人災はいくらでも起るのですから少なくとも戦争は起こしては行けませんね。戦争のため父を知らない人を知友に持っています。悲しい事です。
私の父は、肺結核を患っていたので、徴兵を免れました。でも、叔父や従兄弟を海軍で闘い、海の藻屑と消えてしまいました。
当時の私は、(今も心情的には同じですが)彼らよりも早く核兵器を開発してバンバンアメリカ本土に落とすことが出来ればよかったと、考えたものです。(誤った考えだとは承知しています)