22年前の8月母方の叔父が他界した。この人が我が家に残った最後の年長者の親戚であった。未婚の姉と老母を抱えて、生涯独身を通した人だ。だから子供は居ない。若いときに詩人を目指して勉強をし、多くの作品を残した。世に出ぬまま生涯を閉じた。78歳まで生きた人だから後に多くの遺品を残した。多くの親戚が一部屋に集まって遺品の分割協議をする中、私はひたすらこの人のノートを読み続けた。その中に偶然次のような部分を見つけた。「墓が欲しい。たとえ路傍の石を乗せる粗末なものでもいい。」とあった。感涙した。たった一人になってしまったから、淋しかったのだろう。
私は即座に立ち上がった。そして和歌山県田辺市の名刹高山寺の先代住職にお願いして、海の見える一等地に墓を作った。それ以来、毎年春と秋に妻と二人で墓参りに行く。それのお陰かどうだか知らないが、私の人生は一変した。仕事は順調だし、今は何不自由なく生活できている。私は、この叔父の他に、叔母、妻の両親、それに加えて父母の御霊を仏壇に分け入れて、懇ろに祀っている。祖先は大切にするものだとつくづく思う。<写真は高山寺境内>
私は即座に立ち上がった。そして和歌山県田辺市の名刹高山寺の先代住職にお願いして、海の見える一等地に墓を作った。それ以来、毎年春と秋に妻と二人で墓参りに行く。それのお陰かどうだか知らないが、私の人生は一変した。仕事は順調だし、今は何不自由なく生活できている。私は、この叔父の他に、叔母、妻の両親、それに加えて父母の御霊を仏壇に分け入れて、懇ろに祀っている。祖先は大切にするものだとつくづく思う。<写真は高山寺境内>
実は私も、墓を建てるべきか、またはお寺の納骨堂に納めたままにすべきか、思い悩んでおります。
今日のpoloさんお話は、とても良く参考になりました。有り難うさんでした。
poloさんの優しいお気持ちが通じ、何事も順調に進み、またこれからご夫婦お二人をお祀りされた方々がお守り下さるでしょう。
今日は、お墓の掃除に行ってきます。
ごく当たり前のことなのですが、その当たり前を感謝して生きることが出来ることを、嬉しく思います。
形はそれぞれ、地域や環境によって違うでしょうが、心にもつとかしきたりの中で、絶えず、ご先祖様を敬い感謝することが、自然に出来るのは、、その人の生き方にとって大事だと考えています。
父母がそうであったのを見て育ってきました、二人の子供も、孫達もまたそれを見て育ってきていますので、口には出しませんが、朝夕の仏壇に向かう様子に、安心しています。
今後の私の人生がどうなるかは知るよしもありませんが、今のところきわめて順調です。ご先祖様のお陰と思っています。