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五体とは、頭、両手、両足のことをいいます。つまり全身のことと考えてください。虫歯が一本あるだけで気分が悪い。指にトゲが刺さっても気がかりで放置できない。五体がどれだけ大切か今更言うまでもありませんね。昨日の記事でお見せした右足がポキリと折れたサギは、おそらく命にかかわる重大事でしょう。(今日は周辺を丹念に探したけれど、見つからなかった)
ポカポカ陽気の中、子供達は幅がわずか50㎝ほどのダムの縁を造作もなく歩いてくる。流れる水に足を取られないようにバランスを取りながら、何のためらいもない。サギは飛び立ち軽々と上昇する。これを五体満足と言うのでしょう。五体不満足の状態を想像すれば、五体満足がいかに有り難いかが分かる。分かることは分かるのだが、それは”あたりまえ”のことと考えているから、感謝の気持ちが生まれない。決して当たり前のことではないのだが。
何かしてあげれたら・・・・どんなにか自分の中で気持ちが楽になるか。
たとえばシジュウカラの巣立ちの後
飛べずに地面に落ちる雛
それを待っていて捕らえる猫
たとえ猫に遭遇しなくても鴉に食べられてしまう雛。
飛べない雛を私はどうにも出来ないもどかし
飛べなければいずれは命を落としてしまう
それが自然なのだからといってしまえばそれまでですが
自分の中では何も納得していないし
もやもやを抱えています。
朝起きたら、今日一日無事に過ぎることを願いたいものです。
無事であることのありがたさですね。
年を重ねますと、キット体の中には満足でない部分もあるに違いありませんが、それを受け入れて、今あることを「ありがたく」生かせて貰っていると事への感謝、感謝です。
骨折したダイサギも、無事であることを・・・
のぞみも満員でした。
今日の東京も名古屋もとても暑いですね。
サギさん何とか見つけられたらと心配です。
でも人間を怖がるから探すのも大変ですね。
poloさんの優しい気持ちが伝われば。。。
3枚目のアオサギさんの写真がとても素敵です。
仰る通り、歳をとれば見えないあちらこちらで、それなりの不都合が生じているのでしょうけれど、たったいま、こうして返信を打てることに感謝ですね。
あのサギ君、いったいどこでどうしていることやら。昔、子供の頃、ウサギ、鶏、文鳥、インコなどを飼ったことがあります。それらの飼育を通じて見たことですが、眠るように目を閉じて静かにするようになったら、もう助かりません。生命には峠があって、ある一点にまで達したら、もう快復しない。
今日は、隈無く探しましたが彼の姿は見つかりませんでした。捕まえて、助けてやりたいのは山々だけれど、いまのところ絶望的です。3枚目の写真を誉めて下さってありがとう。これが五体満足なサギなのだと言いたくて、掲載しました。
そこの記事にコメントを書いていると、痛々しいサギの姿が見えてしまうのでこちらに書きます。
人為的に傷つけられたとは考えたくないと思いますが、餌を漁っていて河原の石の間に脚を挟んでしまって折ってしまった?。
何れにしても、彼はあの姿で生き抜いてくれるといいのですが、捕まえて治療してやりたいですね。
多摩川でも片足で餌を漁っているサギは見たことがありますが、健康なものに比べると追い方が遅いのでヒットするのが半分になっていました。
魚を追っているとき、瀬の中の石組みが崩れたりして脚を痛めるものがあるそうです。
poloさんの優しさと、命の尊さを書かれているのがよく判ります。
元気に生活してくれていると良いですね。
片足が折れたままくっついているのだから、それがむしろ邪魔になります。いっそ、切断されてない方が、身軽というもの。
今日は雑用で、一日追われましたが、明日からまた、あのトリを探そうと思っています。何か良いアイデアがないものか。
下の足の折れたダイサギとどうしても比べてしまいます。
子供が生まれる時、五体満足であればそれでいいと願い、五体満足で生まれても成長する過程で五体不満足になることも多々あり。五体満足で成長しても病気で一般の社会人になれないこともあり。
確かに、今の状況に感謝することを忘れがちになります。感謝を忘れ傲慢になってはいつかつまずくことに。
傷ついたダイサギを見て哀れだと思うだけじゃないところにpoloさんの人生観があります。
私も少しは感謝することを学んでいこうと思います。
あの怪我をしたダイサギも必死で生きているのですね。
この3枚の写真、無邪気な子供達の元気な姿と、シャンと飛ぶアオサギの美しい姿と・・・
どうしても前回のダイサギの姿とダブります。
poloさんのブログで「生活に追われている」自分の姿を反省しました。
五体満足なれば、何だって出来る訳だから生きて行けます。もうそれだけで、神様に、仏様に感謝をして多くを望まないことです。
仰るとおり、子供が産まれる時は<五体満足でありさえすればいい>と真剣に思います。しかし、成長にしたがって、<どの手にしても東大に入れたい、それがダメなら京大に入れたい>等々、欲が膨らんですっかり子供をダメにしてしまいます。手足が動くだけで、心から感謝できる人間に育てたい。自分もそうなりたい。
大方の人が持っている五体満足は、ほぼみんなが持っているから、当たり前だと考えて、それの有り難さを知ろうとしない。感謝をしませんね。自分の足でスーパーに行って、買い物をしてくることが出来る、このことの素晴らしさを実感して欲しい、と私は思うのです。
感謝!です。