写真の向こうに自動車さえ走っていなければ、まさしく昭和20年ころの農村風景です。山坂が多い田畑なのでさぞかし彼らは足腰が鍛えられたことだろう。などと言っては叱られるか。日々雑草との格闘でくたくたになったに違いありません。当時の農業は家族総出の仕事だったから、女性は特に苦しかったそうだ。子育てや家事がありましたからね。
その頃の農家の内部です。ここで寝起きして、土間では夕餉の支度をした。朝と昼は残り物を食べたと聞いている。中央右奥に見えるワラで作った円筒形のものが何だかご存知ですか。そうです、幼い子供を危険な囲炉裏のそばに近寄らないように隔離したいわばオリです。これがあれば、野口英世の悲劇は防げたことでしょう。また左手前の円筒型のワラ製品はご飯が冷えないように保つオヒツ入れです。これは町屋でも使っていたことがあります。
電線の無い風景なんてめったにお目にかかれません。
立ち上る煙がなんともいえずのどかです。
京都の木津川に架かる橋で、流れ橋というのがあるんですが、この橋の周りは護岸工事もなく、電線もないので、よく時代劇の撮影に利用されています。
関西で電線の無いところはここしか知りません。どんな山奥に入っても電線の鉄塔がにょきにょき出てますもんね。
電線がなければ生活できないので感謝はしていますが。
いろりのある家、
むか~しむかし、子どもの頃、北陸の田舎で経験したことがあります。
いろりと天井のない家、煤けた太い梁、広い家の中をただただ走り回っていたのを思い出しました。
コメント、長くなってすんません。
のどかな風景は、時代をさかのぼって世界に誘ってくれます。
したの写真は、この前に行った、京都府美山町の茅葺の里を思い出しました。
気持ちものんびりしますね。
電線のお陰で便利な生活ができているのだけれど、そんな風景を見るとほっとしますね。
この写真で自動車が走っていなければ、もっとよかったのだけれど、まったく気が付かなかった。笑 あまもりさんは、北陸の出でしたか。北陸では今でも囲炉裏のある生活をしていると思います。縄文人も丸い竪穴を掘って萱を円錐形にかぶせてね、中央には火があって、それを囲んで食事や団欒を楽しんだようです。
私自身は大阪生まれで大阪育ちです。
あのいろりのある家も建て替えて昔の面影はありません。
薪で焚いたお風呂に入ったのもそこが初めてでした。それまでお風呂は銭湯しか知りませんでしたから。
懐かしい~。
そうそう、そこの家には馬小屋ではなくて牛小屋がありました。
いろりのある家の写真で、遠い昔のひとときを思いだしたのでした。