写真は一枚です
ポカポカ陽気でアオサギがまどろんでいる。そのすぐ前に、ドリンク剤の瓶とお茶のペットボトルが捨てられている。この場所は、深い分流を渡らなければ行けないところだから、一般の人は近づかない。上流から流されてきたか、釣り人が捨てたのだろう。近頃、人々のマナーの悪さには、驚く。地下道や高架道路脇にスプレーペンキでの落書きが多い。タバコの吸い殻のポイ捨ては一向に止まらない。私が撮影するこちら側の河川敷には、ハッポースチロールの箱、カーバッテリー、自転車、布団などそのまま放置すると半永久的に土に帰らないものが投げ捨てられている。
私が徹底的に叩き込まれた教育の一端をご紹介しましょう。①父母に孝行しなさい ②兄弟は仲良くしなさい ③夫婦は調和してよく協力しあいなさい ④友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げなさい ⑤学問を学び手に職を付けなさい ⑥知能を啓発し徳と才能を磨き上げなさい ⑦世のため人のため進んで尽くしなさい ⑧憲法を重んじ法律に従いなさい ※(教育勅語)参照 どうでしょう、内容は古いでしょうか。そっくりそのまま今日に当てはまると私は思うのだけれど。
その私の目には、現代人は自暴自棄に成っているように感じられます。計画性がないから、刹那的で自分勝手だ。優しさに欠けて、ともすればトゲトゲしている。きっとトリは泣いている。
早速プリントさせて頂きました。
私は始めの所ぐらいしか暗記していませんが
兄や姉はよく覚えていて先日逢った時に
教育勅語をすらすら二人で言い出して驚きました。
今の教育は何かが欠けています。
これからの時代の子供達は日本をシッカリ守って
立派な国にしてくれるのでしょうか?
一部の人の経済至上主義、拝金主義による弊害を子どもたちは諸に受けているように思います。
poloさんが述べられていることに全く賛同します。
poloさんと同じ世代の私には清貧に生きることが高い徳目でした。豊かさゆえに、身を滅ぼす人はたくさんいます。心の問題を等閑にし過ぎていますね。今の日本は。
日本の未来の姿を想像することはできません。ここらで、ちょっと立ち止まって、みんな頭を冷やす時期なのかも知れません。
でも今の人にこの全部は無理でしょうね。
第一子供がとても甘やかされて育っているように思えてなりません。
本当に河原には色んな廃棄物が捨てられて鳥さんも驚いているでしょうね。
今日は富士川の川べりを歩いてきましたが、サギさんが沢山いて勿論1-バイズームでも全然撮れないところを歩いていましたが、もう少し道徳を叩き込まなければ立ち直れないでしょうね。
いまどきの若者は。
いっそのこと徴兵制度があって1年でも自衛隊のような所で叩き込まれなければ直せないかもしれません。
家庭にも原因があります。子供を甘やかせています。甘やかされた子供はつけあがります。
今一度、考えを入れ直して、道徳を叩き込むべきでしょう。徴兵制度を設けて、そこでたたき上げる方法も、考えるべき時期に来ています。私もそう思います。
国の政策や、家庭の子供の育て方など原因は錯綜して、決して一つではないでしょう。
そうすれば、今私の出来ることは何かしら、せめて自分のできることを出来るところから、健全に繋がることをしていきたいと思います。
具体的な身の回りを見つめ直すと同時に実行できることを考えたいものだと思いました。
彼たちは人間のだらしなさを笑っているのかもしれませんね。
教育勅語ですか、懐かしい四文字です。
国民学校の校庭で、朝礼の際東側(宮城に向かって建てられている)にある「奉安殿」を「遙拝」と云って最敬礼したことを思い出します。
奉安殿の中には、桐の箱に入った教育勅語と昭和天皇・皇后の写真(御真影)が入って(祀られて)いました。
始業式、学期末、終業式、卒業式などの行事には、教頭先生が白い手袋を嵌めて、奉安殿の扉を開けて恭しく桐の箱を漆塗りの盆に載せて校長室に運んでいるのを良く見ました。
式が始まると、演壇の台の白い布が被された桐の箱から教育勅語の巻物が出され、校長先生が一礼、巻物を恭しく広げ「朕惟フニ我カ皇祖皇宗・・・」と読まれるのを、生徒達は頭を下げ聞いたものです。
中には神話的な個所もありますが、poloさんの言われるように、父母長兄を敬い、友を尊敬しするなど、モラルの荒れた現代の世にも通用する教えだと思います。
自分の出身校に出掛けた折後輩達に、ここに奉安殿があって云々・・・と、教育勅語のその部分を話したことがあります。
貧富の差が増すであろうこれからの世の中、このような倫理の教えが益々大事にになって行くのではないでしょうか。
教育勅語は明治23年に制定されましたから、すでに110年以上まえのものです。また歴史的に見て、これが軍国主義に繋がる部分も確かにある。でも、私が掲げた部分は、今日最も大切なことではなかろうか。
貧富の差は政治問題として問題化するべきだと思います。もっともっと、みんなが等しく豊かになれるよう、政治が舵を切る必要があると痛感します。仰る通り、倫理の教えを徹底して押し進めるべきだと思います。