スケッチブック

写真と文章で、日常を記録に残す

明治村番外編

2005-12-05 13:35:28 | 観光


カバーピクチャーは明治天皇・昭憲皇太后御料車内部。建造地:東京都品川区大井町 明治22年(1889)
スライド1 第八高等学校正門 名古屋市瑞穂区瑞穂町 明治42年(1909)
スライド2 森鴎外・夏目漱石住居 東京都文京区千駄木町 明治20年頃(1887)
スライド3 西郷従道邸内部 東京都目黒区上目黒 明治10年(1877)
スライド4 北里研究所本館・医学部 東京都港区白金 大正4年(1915)
スライド5 神戸山手西洋人住居 神戸市生田区本通 明治20年(1887)

※ 森鴎外が明治23年から1年あまり借家して、「文づかい」を発表。夏目漱石はこの同じ家を明治36年から同39年まで借家して「我が輩は猫である」などを発表した。


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8 コメント

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時代の雰囲気 (じゃこしか)
2005-12-05 18:36:46
 poloさん今晩は。

どの建物もその時代の雰囲気というか、時代の風格が良く醸し出されていると思いました。

 特に森・夏目両文豪の住居の鄙びた感じが良いですね。此処で両文豪の作品が生み出されとは、感慨ぶかいものがありますね。



 随分と楽しませて頂き感謝です。
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じゃこしかさん、こんばんは (polo181)
2005-12-05 20:40:40
コメントを有難う。両文豪が住んだ借家の写真は、どちらかと言えば、離れ座敷のようで、背後に母屋が繋がっています。ですから、写真ではちょっとみすぼらしく写っているかも知れません。これの他には田山花袋の住居も展示されていました。明日からは、近場の放浪が始まります。笑 ただ、こちらもいよいよ寒くなってきたのでこれまでのように軽いフットワークで動くことはできません。
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明治の文豪 (anikobe)
2005-12-05 23:28:11
ここで、名作が生まれたのかと感慨深く拝見しました。



繊細でいてどっしりとした、他の建築も、明治らしい、西洋文明のふんだんに取り入れているのがよく分かりますね。
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poloさん、お早うございます。 (upplain)
2005-12-06 09:19:36
お早うございます。今朝は雪空でさむいです。でも、西の空に富士がよく見えました。

旧帝国ホテル、大谷石造りの表玄関懐かしく見せて貰いました。

設計者のライト氏は、この頃米国では仕事が細っていて大変だった時代のようです。

それに、アルカポネの恋人と交際していて米国に居られなくなり、欧州から日本に来て一時大谷に滞在したとか・・・なんて話しもありますが多分作り話でしょう。

外壁の大谷石の彫刻、室内の壁面、日本を意識しての設計がされていて日比谷などに行ったときは、父なんかとロビーで休んだことがあります。

所で、マイブログのコメント欄にカメラのこと書いておきました。尚、次の雑誌などが参考になると思います。ソフトバンク編「月刊誌デジタルフォト」購入だけではなくて、撮影のヒント、よその人の作品など参考になります。
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anikobeさん、こんにちは (polo181)
2005-12-06 10:29:18
コメントを有難う。明治村を隈無く歩き回りましたが、政治家の家が立派で文豪達の家が鄙びていて複雑な気持ちになりました。あまりの落差に唖然としました。まぁ、そのような見方をするとつまらなくなるので、なるべく考えないように、ただ建物だけを見て回りました。
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upplainさん、こんにちは (polo181)
2005-12-06 10:34:24
コメントを有難う。ライト氏の裏話は知りませんでした。誰言うとなく伝わっている話としては、全体像がどうしても宇治の平等院に似ています。さらに、室内の装飾は、仰ると通り、日本建築を強く意識した作りになっています。評価はいろいろ分かれるところでしょうが、関東大震災にも耐えたとなれば、その一点だけで、今どきのちゃちな建物とはちょっと違うなと思いました。カメラについては、後ほど見せて戴きます。
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明治のスライド (あまもり)
2005-12-06 13:57:01
番外編にスライドが!

素晴らしいです。写真がきれいだとスライドも映える。

漱石の我が輩猫がここで生まれたと思うと、この屋根の上で我が輩猫が恋をしたんだとか、家の奥に砂糖を舐めた壺や最後となった水桶があるのかと想像して何度も見ました。ありがとうございます。
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あまもりさん、こんばんは (polo181)
2005-12-06 16:43:36
コメントを有難う。ああ、そうでしたか。貴女はそのような見方をしたんですね。とても素直で明るい見方だと思いました。私はちょっと違いました。何故、たいした功績も残していない政治家の家や別荘が立派で、日本を代表する両文豪の家がこうも粗末なのか、しかも持ち家ではなくて、借家だったのかなどと一種の憤懣を覚えたのでした。私はどうも物事を斜めにみるくせがあります。
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